はじめてのこうかん
「痛ててててて……。とんでもない目に遭ったぜ」
「もう。何よ、あのメールはッ!」
久遠が程々に痛めつけられた後、家庭内の事情ということで愛梨が引き取ってあの場は解散となった。そして二人で帰路について現在に至る。久遠の頬や腕は竹刀で殴られ赤くなってしまっていた。
「写真さえ来なけりゃ丸く収まるはずだったんだが。やられたぜ」
「そういう問題じゃ無いでしょ! 歳の差を考えなさいよ、歳の差を!! あんたたち、まさか本当に付き合ってるの!?」
「ま、まあ、付き合ってるって言っちまっても別に嘘じゃ無いのかもな。でも、俺は別にロリコンじゃないし、何もヤバイことはしてないぜ」
(……ほ、本当に大丈夫なのかしら?)
愛梨はジトッと訝しげな視線を久遠に送る。
(……で、でも、別に悪い人ってわけじゃないのよね。何度も助けてくれたし。見た目はちょっと不良っぽいけど、どっちかって言うと良い人のような気がするわ)
愛梨にはどうにも久遠という男が計りきれなかった。普通、こんな目に遭えば怒って帰ってしまうと思うのだが、久遠は特に怒った様子も無く未だにこの場に留まっている。
(……いえ、どちらかと言うとじゃなくって、むしろ凄く心が広いんじゃないかしら? 璃梨がこの人に凄く懐いているのも、ワルっぽいのは顔だけで、中身は凄く優しくて大切にしてくれるって認識だから? だったらなおさらこの前、見た感じで勝手に不良と決めつけて殴りかかった私は何なのって話になるわけで……。さっきも助けてくれたし……。か、借りを作ってばっかりだわ。このままじゃそのうち逆らえなくなりそう……)
「っていうかお前、やっぱり俺と璃梨が明日遊園地に行くって知らなかったんだな?」
「えっ?」
久遠の横顔を見ながらボーッと考え事をしてしまっていたが、久遠に声を掛けられて我に返った。
「そ、そうね。璃梨はそんなこと言って無かったし」
「やっぱりそうか。アイツ、また家族に秘密にしてるんじゃないかって気がしてたけど、大当たりだったぜ」
「あ、あなたたち、いつの間にそんな予定立ててたのよ!?」
「いつって、先週、そこだよ、そこ。お前もいただろ。俺と璃梨が次に会う時は遊園地だって。その次ってのが明日なんだよ」
「そ、そう言えば……」
久遠が指し示すすぐそこには、見覚えのある交差点があった。先週、久遠と愛梨、そして璃梨の三人で帰路に着いていた時の解散ポイントである。久遠はここを右に曲がると家に着く。愛梨は真っ直ぐ帰るわけだ。
「今日は疲れたぜ……。じゃあ、またな」
「え? ち、ちょっと、待ちなさいよ!」
何気なく久遠が別れの言葉を言って去ろうとしたので、慌てて愛梨は久遠の服の裾を掴んで止めた。
(……あ、あら?)
そして少し引っ張ってみたのだが、予想に反して久遠はビクともしない。
(……や、痩せてるように見えて、け、結構重たいのね。キ、キャリーも強いけど、何と言うか、重心が違うわ。こ、この人、別に体とか鍛えてるわけじゃないのに。や、やっぱり男の人って、体つきが女の子とは違うんだわ)
「おい、どうした?」
「え? あ、あの……」
知らず知らずのうちに、また考え事をしてしまっていたようだ。
「ま、またな、じゃ無いでしょ! あなた、ウチの学校に一体何しに来たのよ!?」
「そりゃもちろん、明日、俺と璃梨が遊園地に行くってことをお前に伝えに、だよ。璃梨は遊園地の事はお前に秘密にしてるんじゃないかって思ったんだ」
「……それだけ?」
「そうだけど」
「そ、それだけ?」
「お前が約束させたんだろ? 先週、ここで。俺と璃梨がどっか行く時は、事前にお前に連絡しろって。だから連絡しに来たんだよ。それが段取りってもんだぜ」
どうやら本当にただそれだけの為に来たらしい。
(……り、律儀な人だわ!?)
こんな一言で済む些細な伝言の為だけに、あんな騒ぎに巻き込まれるとは! 普通だったら嫌になって帰ってしまうだろう。それをよく最後までやり遂げたものだと、感心を通り越して呆れてしまう。
「璃梨が秘密にしてたことはあんまり追求すんなよ。子供にだって秘密の一つや二つはあるんだからな。まあ、そう心配すんなって。帰りは家まで届けてやるからさ。じゃあな」
久遠の用事はただそれだけであるため、手短に話を切り上げようとする。
(……ど、どうしよう!? このまま全部お任せしていいのかしら? こ、この人、結構頼りになりそうだし、別に大丈夫な気もするけど。で、でも、私も何もしないってわけにもいかないような……。な、何かした方がいいのかしら?)
ドキドキドキドキ……。
かつてどれだけ剣道の練習に励んでもこれほどには心臓が高鳴ることは無かった。それ程に心臓が激しく鼓動する。
どうするのが最も正しい選択だろう? このまま黙って久遠を見送るべきか? それとも何か行動を起こすべきか? 優柔不断に迷っている愛梨を尻目に、久遠は用事は全て済んだとばかりに愛梨に背を向けた。
(……ッ!?)
その背中を見た時、不安とも強迫観念とも言えない初めての感覚で頭が真っ白になり、気がついたら次の言葉を口にしていた。
「ま、待ちなさいッ!」
「ん、何だ?」
「わ、私も、遊園地に行くわ!」
「え、お前も!?」
久遠がポカーンと口を開けて意外そうな顔をする。
(……ちょ、な、何よ、その顔は!? ま、まさか、お前は邪魔だから来るな、とか言うんじゃないでしょうね!? こ、こっちはせっかく勇気を振り絞って言ったのに! そ、そんなこと言ったら、ほ、ほ、本当に切り捨ててやるからッ!)
全身から嫌な汗が噴き出し、額からダラダラと汗が垂れ落ちたような気分になる。だがそれは愛梨の取り越し苦労で、すぐに久遠はニコッと明るい笑顔を浮かべた。普段が不良顔なので、こうして笑うと逆に凄く優しそうに見えてしまう。
「そりゃ助かるぜ。やっぱ身内がいてくれた方が安心だもんな。特に女子トイレを心配してたんだよ。俺は入っていけないし、アイツ一人で大丈夫かなって」
「そ、そうでしょう。や、やっぱり私がいなきゃダメだわ。か、感謝しなさいよね」
「ああ、ぜひ頼むぜ。なら、スマホの番号を交換しておこうぜ」
「え、ええ……」
そして、久遠と璃梨は互いにスマホを取り出し、番号とアドレスの交換を始めた。
「俺のメアドは、k、u、o、……」
(……み、身内以外で男の人の番号を入れるの初めてだわ)
「おい、お前、手が震えてるぞ。大丈夫か?」
「こ、細かい操作は苦手なの! 大丈夫よッ!!」
そうしてお互いメアドを交換して、送信確認も行った。これで相互の連絡は万全だ。
「じゃあな。集合時間は十時な。何かあったらメールしてくれ」
「わ、分かったわ……」
そして、そのまま愛梨は自転車を引いて去る久遠を見送った。
(……こ、これで明日は、アイツと、遊園地……)
久遠を見送った愛梨は、その場で無言のまま、胸元に抱いたスマホをいつまでもギュッと固く握り締めていた。




