はじめてのいっとうりょうだん
「キ、キャリー先輩。バ、バリカンなんてどこに……」
「社会見学で使った動物用のバリカンが図工室の隣の部屋にまとめて置いてあるわ。この犬の毛を刈るには丁度良い道具でしょう?」
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃ……」
キャリーの余りの狂気の沙汰に周辺の後輩一同が震え上がる。
「って、こらぁぁぁぁぁぁッッッッ! ちょっと待てッ!! 何で俺がバリカンされなきゃならないんだッ! おかしいだろッ!!」
一方、震えているばかりではいられないのは久遠だ。
「そのロン毛、思うにあなたのトレードマークなんじゃない?」
「そ、そうだけど、それが何だ?」
「そのロン毛をバリカンでリバースモヒカンにでもしてあげれば、もう間違っても愛梨と付き合うことなんて無いでしょ? ああ、そうだ。ついでに裸にひん剝いて、その無残な姿を撮影してネットにアップロードすれば万全だわ。それでようやく私は安心してロサンゼルスに行くことができる」
(……コ、コイツ、マジキチかッ!?)
薄ら笑みを浮かべて淡々と話すキャリーは、もう視線が虚ろで一カ所に定まっていない。現実と妄想の区別が付かなくなっているのではないか? これでは何をやらかすか分かったものではない。
「キ、キャリー! いい加減にしなさいッ!! でないと私も本気で怒るわよ!」
「お、おおっ!?」
ここで遂に愛梨も自ら竹刀を持ってキャリーと久遠の間に立った。
「よ、ようやくやる気になったか!?」
「見てなさい! 部長の実力を見せてやるわッ!!」
愛梨の実力は久遠も身を以て体験済みである。肩書きも部長であるし、キャリーより強いと見て間違い無いだろう。
「あなたの為よ、愛梨……。その変態と関わっていたら、近い将来にあなたは破滅する。私が助けてあげるわ、愛梨……」
一方、虚ろな視線でユラユラとしていたキャリーだったが、剣を握れば剣士の魂に火が付くのか、竹刀を正眼に構えると視線の焦点が愛梨に定まった。しかし目は笑っていないのに口元には薄ら笑みが浮かんだままだ。不気味極まりない。
「た、頼むぜ、姉。一発ぶん殴って、その金髪の目を覚ましてやってくれ!」
「ええ、任せておいてッ!」
そして愛梨も同じく、竹刀を正眼に構えた。
(……で、でも、今のキャリーって防具してないわよね)
キャリーと対峙した愛梨が気になるのは、防具だ。剣道の試合は必ず厳重な防具を着用して行う。しかし今は愛梨とキャリー、互いに生身である。竹刀というのはイメージに反して意外にダメージがあって、当たり所が悪ければ骨が折れるくらいの威力はあるのだ。
(……ど、どうしよう。小手? いえ、それは危ないわ。指の骨くらい折れちゃうかも。かといってキャリーに面をかますわけにもいかないし、胴も苦しそう。そ、そういえば私、先週はコイツをいきなりぶん殴っちゃったのよね。あ、あれはやり過ぎだったわ)
愛梨は先週、久遠を竹刀でぶん殴ったのはあり得ない凶行だったと反省しているのだ。
(……かなり痛かったでしょうね。私でもそんなのやられたこと無いわ。で、でもコイツ、私があんなことしたのに助けてくれたし、今もそんなに怒っているわけでも無いっぽいし。け、結構心が広い人なんじゃないかなって思ったり。だ、だから、なおさらあの時の私はマズかったかなって思ったり。ぼ、暴力女って思われちゃったかしら? そ、そんな。私はそんな女じゃ……)
ガッ!
「えっ?」
愛梨が考え事をしている間に、キャリーが鍔迫り合いに持ち込んできた。
「ぬうんッ!」
「きゃあっ!?」
鍔迫り合いであれば体格で勝るキャリーが圧倒的に強い!
「うわっ!? あっ、危なっ……!?」
ガシッ!
パワー負けした愛梨は思いっきり吹っ飛ばされ、転倒しそうになった所を後方にいた久遠が受け止めた。吹き飛ばされた際に落とした竹刀がガシャガシャと地面を転がっていく。
「お、おい、お前、何やって……」
「う、嘘……」
これでも愛梨はこの剣道部内では最強とされている使い手である。それが余りにもあっさりと負け過ぎてしまい、ショックで愛梨は自失呆然となる。そしてそれは周囲の後輩達も同じだ。
「よ、弱っ……」
「あ、あの凜咲先輩が……」
「男にたぶらかされて弱くなったんだわ……」
最強と名をはせていた愛梨がボロ負けした姿を見るのは後輩達にとってもショックだ。幻滅したと言わんばかりの居たたまれない静けさが周囲を包んでいく。
(……ち、違うの、みんな。ち、ちょっと考え事をしてただけなの。ほ、本当の私はもっと頑張れるの。わ、私はそんなダメ部長じゃないのッッッッ!!)
しかし、ここで奮起出来ないのが愛梨という女だ。思えば、愛梨の剣技の実力ならば今までも優勝は絶対に揺るぎないものであるはずだった。しかし、このメンタルの弱さにより決勝になると急激に弱くなり、いつも優勝を逃してきた。愛梨の弱点がこの場でまた露出してしまったのだ。
「ほら、分かったでしょう、愛梨? あなたはそんな変態と付き合っていてはいけないのよ。これからも私と一緒。二人で頑張って強くなりましょう。ね?」
「う、うう……」
弱り切って半泣きな愛梨にキャリーが優しく慰めて手を伸ばした。そして、愛梨もいつものように弱々しくその手を取ろうとしたが……。
「こらぁぁぁぁぁッ! ちょっと待て待て!」
しかし、今日はいつもはいない者がここにいた!
「こんなのおかしいだろ! やり直し! やり直し!」
「で、でも、もう勝負はついたような……」
「無し無し! コイツ部長だろ? こんなに弱いわけあるかッ! お前らだって変だって思うだろ!?」
「ま、まあ、確かに……」
「凜咲先輩、いつもはもっと強いし……」
(……こ、この人……)
何と、久遠が周囲の後輩を相手に説得して場を取り繕ってくれている。
「だろ? こんな結果ありえねえって。無し無し! いや、無しってのはダメか。三本勝負だ! おい、姉、立て! ほらっ!」
久遠が転がっていた竹刀を拾ってもう一度愛梨に持たせる。
「あ、あなた……」
「俺はお前の剣を一回受けてるから知ってるんだ。お前の剣はマジで見えないくらい超速い! 踏み込みも一瞬だった。絶対あの金髪より速いはずだ! あんな感じにズバッとやれ! お前の実力ならチョロいって! 頑張れッ!!」
「う、うん……」
久遠に元気付けられて、愛梨はもう一度竹刀を取った。しかし、これで収まりがつかなくなったのはキャリーだ。
「愛梨……。やっぱりあなたは友情よりも男を取るの? そんなの、そんなの、そんなの……、許さないッッッッッッ!!!!!!!!!!」
「うわぁッ!?」
怒り狂ったキャリーが久遠に斬り掛かる!
ガシッ!
「あなたの相手は私でしょう?」
しかし、見事、愛梨が素早く動いてその剣を受け止めた。
「愛梨ィィィィィッッッッ!? ぬうんッッッッ!」
キャリーは先ほどと同じく鍔迫り合いで吹き飛ばしに掛かる!
「ンッ!!」
しかし、愛梨は力での対決を避け、受け流して横に回り込み、数歩下がって十分に間合いを取った。
「今度こそ本気よ、キャリー。まだこれ以上やるって言うなら、切り捨てるッ!」
「私を甘く見るんじゃないわ。男にたぶらかされた軟弱者の剣なんて、私の前では素人同然! この一撃で目を覚ましなさいッ! でぃやぁぁぁぁぁぁぁッッッッッ!!!!!!」
「あっ!?」
「ダ、ダメッ!?」
「きゃああああッッッッッ!?」
素人の久遠にはよく分からないものの、周囲にいる後輩達にはハッキリ見えた。キャリーが放った一撃は、フルパワーの面だ! 女子高生としては恵まれた体格と怪力を誇るキャリーが、防具を装備していない愛梨に向かって、骨も砕けよとばかりに大上段から渾身の一撃を放ったのだ! 修羅の如き剛剣が愛梨の頭上に迫る!
(……ッ!!)
―――このような面の軌道を取る斬撃への対処として、剣道には『合撃』という技がある。この技の使い手として有名な剣豪と言えば、柳生新陰流 柳生 三厳。即ち、柳生 十兵衛であろう。
この技の術理は、まず相手が先手を打って上下まっすぐ面の軌道で切り込んで来る所から始まる。それに合わせて、こちらも同じく上下真っ直ぐ、神仏を拝むように同じ軌道で合わせ撃つ。こうすることで両者の剣が双方同じく上下一直線に交差することになる。当然、先手である相手の剣の方が先に来るわけだから、普通に考えれば後手に回った使い手の方が斬られて負ける。仮に剣速が相手より速かったとしても相打ちが精々であろう。
しかしこの時、後手である使い手は両者の剣が交差した際に、自分の剣の傾きを利用して相手の剣の軌道を正中線からズラしてしまうのだ。これにより相手の剣は自分の体の横を空振りし、逆に自分の剣はカウンターで思いっきり相手の顔面を直撃出来るわけだ。真剣であれば即死は絶対に免れない、後の先を取る神業である。
「なッ!?」
キャリーが『殺った!』と勝利を確信した次の瞬間、まるで幻術でも使ったかのように、自分の眼前スレスレの所に愛梨の竹刀が出現していた。愛梨の剣はキャリーの皮膚一枚に触れるかどうかの所でピタリと止まっていたのだ。
「す、寸止めッ!?」
「キャリー先輩は全力の一撃だったのにッ!?」
「凛咲先輩は寸止めで対処した!」
「や、やっぱり凛咲先輩が最強だわッ!」
この結果には周囲の後輩達も騒然となる。実戦での殴り合いなら体格に勝るキャリーが有利だという評判も一撃で吹き飛ばす、圧倒的な技量差であった。
「う……ぐ……ぐぐ……」
キャリーはその場で竹刀を取り落とし、ヘナヘナと地面に座り込んでしまった。歯を食いしばって再起を試みるが、しかし完全に腰が抜けてしまっているようだ。足腰は全く立たず、その両手も震えて竹刀を持てる状態に無い。
愛梨の剣は、キャリーの肉体には傷一つ与えなかった。しかし、その剣はキャリーの持つ剣士の魂を一刀両断に切り捨てたのだ。
「す、凄ぇぜ、姉!」
間近で観戦していた久遠も大喜びで歓声を上げる。
「やれば出来るじゃねえか! まさかこんなに綺麗に決まるなんて。俺が思ってたより遥かに上だったぜ!」
「ふ、ふん。あ、当たり前じゃない。これくらい当然よ」
「そうだな。お前、毎日凄く頑張って練習してるっぽいもんな。やっぱり世の中は全部段取り、日頃の積み重ねが一番ってことだぜ!」
(……な、何よ、そんなに喜んじゃって)
こういう時、愛梨はついつい強がってしまう性格だが、久遠は嬉しいことがあったら素直に喜ぶ性格のようだ。愛梨の勝利を自分の事のように喜ぶ久遠を見て、何だか自分の方が子供のような気がしてしまい、愛梨は面白くなかった。




