はじめてのはんけつ
愛梨とキャリーは親友同士だが、同時に愛梨が剣道部の部長、キャリーが副部長という関係だ。三年生はすでに引退して受験勉強に入っているため、二年生の二人が部長と副部長なのだ。
二人の実力の程はというと、まず愛梨は文句無しの超強豪である。最高成績は県大会での準優勝だ。一年生の頃から頭角を現しており、常に優勝候補には数えられいたのだが、惜しくも優勝だけは逃してしまっている。しかし愛梨はまだ二年生であるから、三年生が引退した今となっては、もうライバルは少ない。次の大会の最有力候補なのだ。
一方、キャリーは剣の腕前は愛梨に一段劣るが、それでもベスト十六に入ることもあるくらいの強豪である。しかし、その実力はあくまで剣道の試合としての話だ。真剣で斬り合うと想定すれば剣の腕で勝る愛梨が上であろうが、現実問題として身近にある竹刀や木刀でケンカすると仮定すれば、それは体格で勝るキャリーが有利という意見は根強い。
打撃の威力は、体重がモノを言うのだ。
「ひいいいぃぃぃぃぃ!? キ、キャリー先輩! そ、それ、やり過ぎッ!?」
いきなり竹刀の柄による突きを、しかも急所である鳩尾に思いっきりぶちかましたキャリーに腰を抜かしたのは、周囲にいる後輩達だ。キャリーを呼んできたのはこの後輩達だが、どうせ竹刀で少々強めにバシバシ叩けば久遠は逃げ帰る、後輩達はその程度にしか考えていなかった。それがまさかの全力突き! しかも鳩尾! これは洒落になってない。
「やり過ぎ? 何を言ってるの? ここからが本当の戦いよ。さあ、あなたたち。この男と愛梨を逃がさないよう、取り囲みなさい。蟻一匹逃がさないように」
「せ、せ、先輩!? い、一体、ど、どうしちゃったん……」
「早くしなさいッ!」
「は、はいぃぃぃぃぃぃ!?」
余りに凄まじい剣幕に圧倒され、後輩達は言われるが儘に円を作った。これで外からは久遠の姿は絶対に見えない。この様子を他の誰かが見ていたとしても、剣道部員が夏休み前に円陣を組んで何かしている程度にしか思われないだろう。
場を調えたキャリーは、再度久遠と愛梨に問い掛ける。
「さて、もう一度聞きましょう。あなた達、まさか付き合ってるなんてことは無いわね?」
「ゲホッ……ゴヘッ……。なわけないだろう。何でそうなる……」
「そ、そうよ! そ、そ、そんなわけ無ななな……ッ!?」
(……え、こ、このバカ姉! な、何で慌ててんだ!?)
未だ崩れ落ちた儘の久遠と、その隣にいる愛梨はキッパリと否定した。だが、愛梨はどうにもこの手の話が苦手のようだ。別にやましい事なんか何も無いのに、顔を赤くして慌てている。
(……シャキっとしろよ、バカ! 怪しまれるだろうが!!)
だが時既に遅し。愛梨の様子を見てキャリーはピクリと眉を動かし、周囲の後輩達にも動揺が広がっていく。
「せ、先輩、まさか本当に……」
「嘘……」
「ちょ、ちょっと、みんな、ち、違うの! わ、私は、別にそんな!?」
(……ダ、ダメだコイツ! 俺が何とかするしかねえッ!!)
少し休んで体力も回復してきている。愛梨は全く戦力にならないと判断した久遠は自らの機転で切り抜けることを決断した。
「おい、違うって言ってんだろ!! ちょっと顔見知りってだけで勝手に付き合ってる事にすんじゃねえッ!!」
だが久遠とて、周囲の女子高生達がこういう空気になってしまうことは分からなくも無い。なぜなら、この学校は女子校だからだ。しかも中高一貫校である。男女共学なのに女とまるで接点の無い久遠のような男がいるのだから、女子校に通っている女子高生はほとんどが男に免疫が無いだろう。過剰反応を示すことも無理は無いのかもしれない。
「なるほどねぇ。ま、本当に付き合っていないんでしょう。付き合っては。そりゃそうだと思うわ。愛梨にそんな暇無いもん」
(……ん? コイツだけ何か違うな)
いきなり突きをぶちかます凶行に出たこの金髪女、キャリーがこの場で一番常軌を逸しているように思うが、意外にキャリーは冷静であった。というより、周囲の女子生徒達はみんな動揺していて、このキャリーだけがただ一人、落ち着き払っている。遊び慣れているということなのか、この手の話に免疫があるようなのだ。それにも関わらず、この凶行である。この行動の異常さと現在の冷静さとのギャップが、久遠には非常に不気味に思えた。
(……こ、これ、さっさと撤退した方が良さそうだな)
「ほ、ほら、分かったんならもういいだろ。ちょっとコイツに用事があるんだ。五分もかからん。家庭内の問題だから詮索すんなよ。姉、早く来てくれ。もう疲れた……」
「う、うん……」
そうして再び久遠は愛梨を連れて行こうとするのだが……。
「でもッ!」
ビシッ!
「うわぁ!?」
キャリーは立ち上がった久遠に竹刀を突きつけて動きを封じた。
「な、何だよ!?」
「今は付き合って無くても、これから付き合う可能性はある」
「は?」
「愛梨は勉強と剣道ばかりの人生だった。碌に男と口を利いたことも無い。だから男を見る目なんて全然無いのかも。だから愛梨に悪い虫をつけないように気をつけなければいけない。それが副部長である私の役目。そうでしょ、みんな?」
キャリーが周囲の女子生徒達に賛同を求めると、
「そ、そうです!」
「凜咲先輩はずっと私たちの部長です!」
「私は先輩に憧れて剣道部に入ったのに……」
「私はバレンタインデーにチョコあげたわ!」
「なのに何でこんな変態と!?」
「許せません!」
「キャリー先輩! 私たちはキャリー先輩の味方ですッ! みんなでこの変態をブチ殺しましょうッ!!」
(……げぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっ!?!?!?!?)
いとも簡単に周囲の雰囲気がキャリーの計略どおりになってしまった。
(……ど、どうする!? って、決まってるか)
「おい、姉! お前が部長だろ。何とかしろ!!」
「え、わ、私?」
もちろん、こうなったら部長の愛梨に調停を頼むのが筋である。愛梨も久遠と付き合ってもいないのに付き合ってることにされるのは困るわけで、当然、二人の間には特に何も無いことを伝えてくれるはずであった。
「あ、あのね、みんな。この人は私の妹の友達でね、最初は私も不良っぽい人だなって思ったけど、意外に親切な所もあるっていうか……。わ、私も変態かもって思ったこともあるけど、話してみれば別にそうでもないような……。だ、だから、別に危ない人じゃないし、みんな心配しないで……、あの、その……」
「何でこの変態の肩を持つんですか!」
「怪しいです!」
「超怪しい!!」
(……何ぃぃぃぃっっっっっ!?!?!?)
あえなく重いっきり事態が悪化した。
「こらぁぁぁぁぁッッッッ!! 違うだろッ、姉!! ちゃんとキッパリ否定しろ! あやふやな事を言うんじゃねえッ!!」
「な、何よ! あんたが変態扱いのままじゃ可哀想と思ってフォローしてあげたんでしょッ!! ちょっとは感謝しなさいよ、感謝を!」
「そういう風にキッパリ言えって言ってんだよ! 俺達は付き合ってないし、今後もそんなことは無い。心配無用、詮索無用だって、ビシッと言え!」
「い、い、言ったもん……」
「全然言ってねえよ! お前、この前もそうだったじゃねえか!! 最初は威勢が良かったのに、土壇場になると急にヘナヘナになりやがって!」
「なってないもん……」
「なってた! あの時お前、完全に腰抜けてフラフラだったじゃねえかッ! 俺達が行くのがあと五分遅かったら、お前絶対に泣いて」
ドガァァァァァッッッッッッ!!!!!!
「うわっ!?」
「きゃぁっ!?」
周囲そっちのけで口論を始めた二人の間に、怒りの鉄槌が振り下ろされた。
「キ、キャリー?」
「もういいわ。全て分かったわ、全て」
そして、キャリーはゆっくりの竹刀の切っ先を久遠に突きつける。
「お、おい……」
「判決は下った。愛梨がこれからも私たちの大切な部長でいてくれる為には、この場で将来への不安を根こそぎ取り除いておかなければならない」
「だから、将来も付き合ったりしないってば!」
「そ、そうそう! 私はずっと剣道一筋で行きますッ!」
「だったら、証拠見せて」
「は?」
(……また証拠か!!)
証拠と言えば、先週の愛梨を思い出す。どうも女というのは疑り深いらしく、動かぬ証拠を見せないと納得しないようだ。
「って、そんな証拠あるわけ無えだろ! ありもしない将来が無いって事なんて、どうやって証明しろってんだよ!! 約束すりゃいいのかッ!?」
「そうね、何がいいかしら……」
キャリーは考え込むように口元に手を当てると、周囲を回りつつ、頭から足先まで、ジロジロと久遠を観察し始めた。
「一体何がこの変態を変態たらしめているのか、それを分析する必要がある。身長は普通。体格は痩せてる。服はちょっとだらしないけど普通に学生服。靴も学校指定の物。この辺りは特徴とは言えない」
キャリーの押さえた口元からブツブツと声が漏れ聞こえる。その視線は極めて冷静である。むしろ冷酷とさえ言っていい。久遠を人として見ておらず、単なるデータの集合体として客観的に分析しているようであった。
「ふむ、目つきが悪いわね。しかしこれは単に顔の造形が原因。これを矯正する手段は無い。口が大きいようね。犬歯がチラチラ見えて犬みたいだわ。この歯を二、三本抜いてやればもう付き合おうなんて気は起きなくなるかしら?」
「お、おい……」
歯を抜く、とかトチ狂った事を言い出して、流石の久遠も背筋が寒くなってくる。
「でも、私たちは歯医者じゃないし、抜く道具も無いし、血も見たくない」
(……だ、だよな)
しかし、久遠がホッと胸を撫で下ろしたのも、ほんの束の間だった。
「となれば、もう一つしか無いわね。夏だというのに肩まで伸びたその長い髪、チャラチャラと不良っぽくてこれが気になるわ。うん、これにしましょう」
「え?」
「誰か、バリカンを持ってきて」




