はじめてのきゅうじょ
久遠は璃梨を抱えて、どうにかホテルの玄関外まで逃げて来られた。
「竹刀を収納しておけばお前の勝ちだったろうにな。やっぱり世の中は段取りを調えることが肝心だぜ。おい、璃梨。いい加減目を覚ませ」
「ふにゃ……?」
璃梨の頬をペシペシすると、ようやく璃梨も気がついた。しかし、まだ少し寝ぼけているようだ。
「おい、しゃきっとしろ! 姉が捕まるぞ」
「ん……、え、ああっ! お姉ちゃん!?」
璃梨が目覚めてすぐに目に入ったのは、ホテル玄関のガラス越しの遙か遠く、先ほどまでいた喫茶店の前で警備員に囲まれ拘束されそうになっている姉の愛梨だった。
「あひゃわわわわわ!? お、お姉ちゃんが!? た、た、大変です!! ど、ど、ど、どうしましょう!?」
「全く、今度はあっちか! いいぜ。助けてやるけど、ちょっと待て。段取りが整っていない」
久遠と璃梨が様子見しているうちに、愛梨は警備員に連行されてしまった。
「つ、つ、連れて行かれちゃいました!」
「よし、これでOKだ。行くぞ」
それから数分後、姉の愛梨の方はどうなったかと言うと。
「名前と学校は?」
「聖十字女学院附属高校二年生、凜咲 愛梨です……」
警備員室に拘束されて取り調べを受けていた。
「それで、何で竹刀なんぞ振り回していたのかね? ホテルの店員は君がいきなりあの少年を竹刀で殴りつけたと言っているぞ」
「そ、それは妹が誘拐されると思って……」
「あの子供は君の妹なのか?」
「は、はい」
「で、誰に誘拐されると?」
「あ、あの男です……」
(……こ、これ、一体どうなってるの?)
当然ながら、愛梨はこんな物騒な場所に拘束されて取り調べを受けた経験など無い。いくら剣道有段者でも根本的には育ちの良いお嬢様だ。叱られた経験も余り無い愛梨にとって、密室で強面の警備員から取り調べを受けることは余りに酷であった。顔面蒼白で体を震わせ、完全に戦意を喪失している。
「あの男とは、君の妹を庇っていたあの少年だろう? 君は面識が無いのか?」
「ありません……」
「妹は何と言ってるんだ?」
「と、友達と……」
「じゃあ友達だろう。何で妹の友達を竹刀で殴るんだ!」
目の前の警備員にドンッと机を叩かれ、愛梨はビクッと体を震わせた。その横では別の警備員が今後の相談をしている。
「どうする? とりあえず親御さんを呼ぶか?」
「いや、その前にあの少年と子供はどこ行った?」
「離れているように言ったら、そのままどこかに行ってしまって」
「まさかとは思うが、本当に誘拐だったら大変なことになるな」
「警察か」
「そうだな。親御さんと警察、両方呼んで後は任せようか」
(……け、警察!? そ、そんな!?)
事態は進行し、遂には警察沙汰だ。となれば、親は嘆き悲しみ、学校にも連絡が行くだろう。学校は停学処分。下手すれば退学もあり得るかもしれない。いや、最近は未成年の犯罪にも厳しくなってきているから、もしかしたら刑事事件にまで発展するかも。そして全国ニュースとしてマスコミに流れてしまって、自分は投獄される。子供の不始末を理由に父親は会社をクビに。近所の視線も厳しくなり、家族は遠く後へ引っ越すことに。姉が犯罪者では妹の璃梨も肩身が狭く、転校先の学校ではイジメられ。精神的に疲れ果てた母は首を吊り……。
と、冷静に考えればあり得ないことでも、一度坂を転がり始めた思考は留まる所を知らずに転げ落ちていくのだった。
(……な、何でこんな事に? 何で、何で!?)
ガタガタと体の震えが止まらなくなり、その頭は悪いことしか考えられない。完全に無力化して指一本動かす元気も無くなってきた所に、救いの手が差し伸べられた。
ガチャ。
「どーも。警備員室はここだって聞いたのですが?」
「お姉ちゃーん」
(……あっ!?)
突然ドアが開いて、そこから璃梨が顔を出した。璃梨が久遠と呼んでいる不良男子高生も一緒ではないか。
「さっきの高校生じゃないか。探したんだぞ。どこに行っていたのかね?」
「すいません。ホテルの外まで逃げてました。先ほどはどうも」
「まあいい。一体何があったんだ? 説明しなさい」
「はい。そこの愛梨さん、この娘の姉なんですけど、僕と愛梨さんでちょっと喧嘩してしまって」
「原因は?」
「僕が璃梨ちゃんを秘密でちょっと遠くまで連れて過ぎてしまいまして」
「私が連れて行って欲しいとお願いしたのです!」
何と、二人は話を丸く収めるように取り繕ってくれているらしい。
「家族に黙って子供を連れ出しちゃダメだろう!」
「はい、すいません。愛梨さんも凄く怒ってて、それで竹刀で……」
久遠の作り話と演技は実に上手だった。愛梨だけでなく自分にも非があるという形にして、その上で自分が謝ることで話を丸く治める。大人の対応だ。『妹の為』という大義名分を前に出すことで竹刀の問題も仕方の無い事だったという方向に持って行ってくれた。
「それが何であんな集団暴行に発展するんだ?」
「僕って短気なんで。あの人達、最初は僕たちの仲裁に入ってくれていたんですけど、僕がうっせー、とかって逆ギレしたら、あの人達もキレてあんなことに」
「君ね、もう高校生だろう。そういうのはいい加減に卒業しなさい」
「はい、すいません」
「まあいい。十分に反省しているようだし、もう行っていいぞ。今後こういう事が無いように」
「はい。ありがとうございます。以後気をつけます」
「お姉ちゃん、行くよー」
「え、あ、あ……」
璃梨に手を引かれて愛梨もヨロヨロと立ち上がり、三人揃って無事にこの場を後にした。
「わ、私はあなたたちが付き合ってるんなんて、まだ信じてないんだから!」
「友達だよ、友達。そういうことにしておけよ。子供にだって秘密の一つや二つくらいあってもいいだろ。そう詮索すんなって」
「む~……」
それからしばらくして、三人は一緒に帰り道を歩いていた。互いの家はそんなに遠くでは無いので、途中までは同じ道なのだ。
愛梨はまだ久遠と璃梨の関係を疑っているが、流石に疲れ果てたようで、もう詮索を続ける気力は残っていないようだった。
「で、でも、さっきは助けてくれて……れ、礼は言っておくわ……」
「いや、気にすんなって。俺も後で捜査員とか来たら困るしな」
(……随分しおらしくなったな)
愛梨は顔を赤くしてコソッと礼を言うと、そのまま顔を逸らしてしまった。竹刀で殴りつけた相手に助けられては恥ずかしいのも無理は無い。武士だったら切腹モノの失態である。
「流石は久遠さんなのです。とっても頼りになるのです!」
「いや、お前もよく頑張ったよ。いきなりキスするなんてビックリしたぜ」
「あ、あれは緊急避難なのです! ノーカウントなのです! 本番はもっと夜景の綺麗な所でするのです!」
璃梨にしても、あのキスは頭に血が上ってやり過ぎだったのだろう。ファーストキスがあんな荒れ場ではトラウマだ。あれは無かった事にして、ちゃんとシチュエーションを作った上でやり直しを希望らしい。
そうこうしているうちに、三人は分かれ道に来た。久遠はこの交差点を右に曲がる。璃梨と愛梨は真っ直ぐだ。
「じゃあ、俺はここで。今日は色々あって楽しかったぜ」
「く、久遠さん! こ、今度は?」
「いつになるか分かんねーけど、今度は遊園地にでも行くか?」
「ぜ、絶対ですよ。約束ですよ!」
「ああ」
「ちょっと、あんたたち。どっか行くならちゃんと私にも連絡しなさいよ!」
「分かってるって」
このまま見合いの継続で交際開始なんてことになったらとんでもないが、また会って遊ぶくらいならいいか、と久遠は軽く返事をした。
これで人生初の見合いは終了だ。久遠は普段と同じ足取りで家に帰った。
これにて第二章、お見合い編は終了です。
あり得ないお見合いも無事に丸く収まりました。
もちろん、この話がここで終わるはずも無く。
この縁談は続行されます。
しばらくは『繋ぎ』の話です。




