契約
「そんなわけ、ないでしょうが! もう、人がいない間に勝手に話を飛躍しないでちょうだい!」
黒染めに身を包んだ萌菜加が茶室に乱入し、丸顔の僧侶の後ろ頭をはたく。
「てへっ」
丸顔の男がぺろりと舌を出す。
つうか、全然可愛くねえし。
俺のそこはかとない殺意を感じ取ったのか、僧侶は萌菜加に一礼してその場を出た。
静まり返った茶室で、萌菜加が居住まいを正す。
庭に咲く一面の藍の紫陽花に目を映し、何気なしに呟いた。
「久太郎は、私が主だったら嫌だ?」
出会って数日、お数珠でしばかれたり、せっちゃんと闘ったり、遊園地に行ったり……。泣いたり笑ったり怒ったりと、こいつは随分と忙しい。
だけどひとつだけ言えることがあった。
「嫌じゃねーよ」
嫌じゃないんだ。
主だとか、従者だとか、そんなのは今の俺にはあんまりよくわかんねーけど、こいつの隣にいんのは嫌じゃねえ。それどころか、なんかしっくりとくる気がする。
「本当は久太郎を巻き込みたくないんだ。あんたはここで成仏すべきだよ」
「成仏なんていつでもできるし。それに俺もうすでに死んでるわけだしさ、なにがあっても、あんまリスクはねーんじゃねえ?」
萌菜加は頼りなく肩をすぼめて小首をかしげた。
「せっちゃんみたいに、魂を封じられたりするかもしれないんだよ?そしたら生まれ変わることもできないんだよ? それでもいいの?」
「そんときゃあ、お前が俺を助けてくれりゃあいい」
そう言って微笑むと、萌菜加が泣きそうな顔をして俺に抱きついた。
「ばかっ」
「どうせ俺、バカだし」
「ありがと……だけどあんたのことは私が命をかけて絶対に守るから」
「ばーか、俺がお前を守るんだよ。そうしてぇんだ」
「今は、その言葉に甘えさせてもらうね」
萌菜加が懐からお札を取り出し、懐刀で傷つけた人差し指で何かを書きつけると空に投げた。
「我、汝と契約を行う。汝我を主と認め我に忠誠を誓うか?」
「ああ、誓う」
「久太郎、目ぇ瞑って歯を食いしばりなさい」
俺は衝撃に備え目を瞑って歯を食いしばった。
唇に降りてくる優しい何か。
温かな光が身体を満たす。
萌菜加の唇が微かに震えていた。
「契約成立よ」
萌菜加がふいと横を向く
――――は……はじめて、だったんだからね――――
情けなくも体中が震えていた。