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間引き

 最初に思い出すのは、がらんとした土間で(こめ)(びつ)を抱えて泣くおっ母の横顔。美しかったその顔は、見る影もなく(やつ)れ果てていた。

「おっ母……」

 と躊躇いがちに声をかけるとおっ母はせっちゃんを力いっぱい抱きしめた。


 次に思い出すのが、月の無い闇夜。

 薄い行燈の明かりが襖の間からこぼれていた。

「もうそれしか方法がねえ」

 おっ父の殺気だった声色が恐ろしくて、頭からすっぽりと布団を被ってただ震えていた。

「そ…そんな殺生な! お腹痛めて産んだ子を」

「おらんとこだけでねぇ、村中が飢饉でどうしようもねぇんだ。佐竹んとこの(せがれ)も昨日天神さんに参ったそうな」

 佐竹んところの倅っていうと、幼馴染の草餅(くさもち)か。草餅のことは一等好きだった。誰より優しくて、綺麗な顔をしている。せっちゃんは大人になったら草餅のお嫁さんになることを密かに憧れていたりもする。その草餅が『天神さまに参った』そうな。どういうことなのだろう。その夜はずっと天井の不気味な染みを見つめて、天神さまについて考えていた。


 翌朝目覚めると、おっ母が上等の着物を出してくれた。

「なんで正月でもねえのに、上等の着物着る?」

「天神さんに参るんだよ。節子も今年七つになるじゃろ? そのお礼に参るんだよ」

 おっ母は能面みてぇな顔をしていた。


「とおりゃんせ…とおりゃんせ…こ…こは どこの坂道じゃ…」

 途切れ途切れに、込み上げる嗚咽を堪えるようにして、おっ母の乾いた唇がその歌を口ずさんでいた。

「おっ母、天神さんの神社はそっちじゃねえよ。そっちは寺だ」

「いんや、こっちでええんだ」

 有無を言わさぬおっ母の口調に、後は無言のままについて行った。

 永遠に続くかと思われる石段を一段一段登ってゆく。途中で足が痛くなったけど、おっ母が辛い顔をするのは嫌だったから、黙って登りきった。

 寺にある大きな楠の下に連れてこられて、初めておっ母はせっちゃんの顔を見つめた。

「節子、許しておくれ」

 おっ母の手が首にかけられて、まるで人じゃないみたいな強さで締め上げられていく。


――――おっ母! やめて、苦しいよ。恐いよ――――


 そう言いたかったけど、もはや喉が潰れて声を出すことは叶わない。

「ご婦人、やめなされ!」

 寺の僧侶が止めに入ったが、幼子は目尻にいっぱい涙を溜めて既に事切れていた。

「仕方なかったんです……。間引かなければ私たちが生きていけなかったのです。この場所で死を迎えたのなら、きっとあの子は極楽浄土に参れましょう」

 

 幼子の薄く開いた唇から、虫食い歯が覗いている。もうすぐ抜けて生えかわるはずだった。桜色の頬に漆黒の豊かな髪、無事に成人していたらどれほどの美しい女人として成長していたことだろう。


「ご婦人よ、残念ですがこの子は極楽浄土へは参れません。己が生き残る為に自分を犠牲にした親を深く恨んでおります。ほれその木の陰から、じっとわしらを睨つめておる」


 刹那降り出した雨が、僧侶の黒染めをしめやかに濡らしてゆく。

「この雨が……この雨が、もう少しだけはよう降っておったら……」

おっ母はその場にへたり込み狂ったように泣き叫んだ。


 低い読経の後で

「天は……誰をも救いはせんて……」

 僧侶のうちに込み上げる、やるせない思いをそっと呟きににのせて、鉛色の天を見つめた。


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