克服への一つのきっかけ?
ユートアルパを構成する七つの区の内、中央区にあるクエストカウンターに着いた。そもそも初期スポーン地点が、この近くだから徒歩二分も掛かっていない。
「えっとクエストは……」
クエストカウンターの横には大きな掲示板がいくつも張られた部屋がある。壁が一面だけ取り除かれて、広い入口のようになっていて、残りの三面に掲示板が張られている。二階建てになっていて、二階も同じ感じだ。二階のクエストを受ける人は、横着して手すりから飛び降りてきたりするので、ちょっと危ない。
私はその中で、一階の一番奥にある人気のない掲示板の前に立つ。現状私が受けられるクエストは、この辺りのものだけ。このゲームのクエストは、受けるために必要なスキルや職業などの条件があるものが多い。
そのため受けられないクエストには、赤い✕印が付いている。これは、受けられない人にのみ見えるもので、私の視界では、ほとんどの掲示板が赤で埋め尽くされている。その理由は大体が戦闘か生産のスキルが必要になるからだった。
「これだ」
私が選んだのは、ログインした時に毎回受けている中央図書館の掃除と整理だ。このクエストの良い部分は一つ。一人で出来る仕事である事。誰かと話したりする機会が極端に少ないし、図書館だから基本的に中にいる人は静かに行動するから、落ち着いて作業が出来る。
まぁ、そもそもプレイヤーの利用客は、ほとんどいないのだけど。
クエストカウンターに持っていくと、猫が受付をしてくれる。
そう。ちょっと面白い事にこのクエストカウンターは、基本的に二足歩行の猫が受付をしてくれる。喋ってくれるわけじゃなくて、鳴き声だけで受付をしているから癒される。ゲームだから注意事項とかは、クエストの用紙とかに書いてあるだけで十分って判断なのかな。
「にゃ~」
「あ、ありがとう」
受付が完了したというメッセージが流れるので、猫の受付にお礼を言って中央図書館に向かう。
中央図書館も中央区にある。中央区の中で一番大きな建物なので分かり易い。見た目がケルン大聖堂みたいな感じで、厳かな雰囲気も強い。多分、ケルン大聖堂よりも遙かに大きいのだけど。
その中央図書館のカウンターに黒い髪を床まで垂らした司書さんがいる。陰鬱な雰囲気を持つ司書さんだけど、それは見た目だけの話。
「あらあら、今日も来てくれたの? ありがとう。それじゃあ、そこにあるワゴンと十階の掃除をお願いね」
こんな感じでちょっとお姉さんチックで妖艶な司書さんだ。髪が長すぎて顔がまとも見えた事がないのだけど、ちらっと覗く赤い瞳だけでも綺麗な人なのだろうと思わされる。
「ひゃっ、はい……!」
ただ返事をするだけで、噛んでしまった。いや、ちゃんと返事が出来ただけマシだ。現実だったら、返事が出来ず高速頷きになる事もあるのだから。
私は司書さんに言われたワゴンを押していく。ワゴンの数は五台。一台に五十冊以上は本がある。基本的にワゴンは、置いてある階の本棚に入れる本しかない。なので、これは一階の本棚に入れる本だ。
(え、えっと……この番号は……向こうの棚だ)
ちゃんと本に分類番号があるので、入れる棚がある場所は分かり易い。加えて、【整理】のスキルにより大体どこに入れれば良いのかが分かるので、作業の手が止まる事はない。ただ本棚が三メートル以上あるので、高い場所に関しては梯子を使わないといけないのが、ちょっと面倒くさいくらいだ。
結構な回数を繰り返しているので、この作業にも慣れた。おかげで、一時間くらいでワゴンの本は全て戻す事が出来た。
(次は十階の掃除。そういえば、十階は初めてかも)
これまでの掃除では、基本的に一階から九階だった。だから、十階には入った事がない。この中央図書館は十階建てらしいから、そこが最上階となる。
(最上階かぁ。何があるんだろう?)
ここはエレベーターとかエスカレーターがないので、十階まで階段で歩いて移動するしかない。その階段の踊り場には、大きな絵画が飾ってあったりする。
美術に精通している訳では無いので、その絵画がどのくらい貴重なのかとか、どんな想いが込められているのかとかは分からない。でも、綺麗な絵だなと思いながら階段を上がっている。
(あれ?)
九階と十階を繋ぐ階段の踊り場は初めて来たので、ここの絵画は初めて見た。その絵画を見て、私は何か惹かれるような感覚を覚えた。でも、その理由が全く分からなかった。
(何だろう……目が吸い込まれる)
中央の上部に大きな月。そこから注がれている月光と下部に広がる湖。湖面には月が映し出されているけど、その色が上の月とは異なる。上は黄色っぽいけど、下は青っぽい。
そして、一番目を引くのは、絵画の左側に描かれている小さな小舟とその上で私の名前の由来になっている竪琴を弾く女性だ。女性はシルエットでそう分かるだけで顔とか服装の詳しいところは分からない。
(竪琴を弾いているから? でも、そんな事で……って、そんな考えてる場合じゃなかった。十階の掃除しないと)
私は首を横に振って絵画から目を離すと、十階へと上がった。十階にも沢山の本棚が並んでいるけど、それ以上に気になるものが中央に置いてあった。
「ハープ……」
中央にあったのは、オーケストラで使うような大きなハープだった。間近で見た事もあるから、それと似たようなものだというのは間違いない。天使の羽のような金属製の飾りなどが付けられており、神聖な雰囲気がある。
ショーケースのようなものに入っているので、直接触れる事は出来ない。
「何で図書館にハープが……」
絵画とかは飾りとかで説明が出来るけど、ハープを最上階に飾ってある理由は何も思い付かない。思わずショーケースに片手を伸ばしてしまうけど、触れる寸前でもう片方の手で止める。
(駄目駄目。態々ショーケースに入れてあるって事は触れちゃいけないものだろうし。意識切り替えてお掃除!)
私は周囲を見回して、どの階に用意されているお掃除ロッカーを探し、中からは掃除道具を取って、掃除を始める。一時間程で全体の掃除を終えた私は一階のカウンターに戻る。
「はい。お疲れ様。今日も綺麗にしてくれてありがとうね。これは個人的なお礼。どうぞ」
「ふえ!? あ、ああありがとうございましゅ……」
最初の綺麗にしてくれての部分はいつも言われる事だけど、その後の個人的なお礼は初めてだったから、凄く戸惑った。でも、貰わないのも失礼だと思って貰う事にした。
そのお礼は、楽譜のようなものだった。歌詞もあるけど、合唱とかじゃないみたい。バンドスコアっぽいかな。
(知らない曲……いや、何か覚えがあるような……あっ、パラユニのPVで流れてた曲?)
京花ちゃんに誘われてPVを見た時に流れていた曲だと気付いたけど、それでも何故という困惑は消えない。
「ここの役所で許可を取れば、ストリートライブが出来るの。お金が欲しいならやってみたら?」
「え……あ、は、はい……ありがとうございます」
私は司書さんに頭を下げると、司書さんが手を振って送り出してくれた。私がずっとここでバイトみたいなクエストを受け続けるから気を利かせてくれたのかな。高度なAIって言っていたけど、ここまでやってくれるっていうのは驚きだ。
中央図書館から出て、改めて楽譜を見る。
「でも……これってちゃんと楽譜が読める人じゃないと意味がないような……何を基準に選んでくれたんだろう……思えば、司書さんって謎が多いような……カウンターから移動したような感じはないのに、私が掃除した場所がしっかりと掃除されたって認識してたし……」
ゲームだからっていう理由で済ませられるのなら、それでも良いのだけど、色々と凝った作りをしているゲームだから、何かしら理由があってもおかしくはない。
「まぁ、考えても答えは出てこないかな。まずは役所で申請してストリートライブを……ストリートライブを……?」
私は改めて自分が口にしている言葉の意味を考える。
(ストリートライブ……ストリートでライブ……つまり路上ライブ。路上でライブ……ライブ……曲はある……でも、楽器はない。弾き語りも出来ないからアカペラ。アカペラで歌うの? 道で? 私が?)
私は即座に頭を抱えて、しゃがみ込む。
(無理無理無理無理無理! そんな注目されちゃう事! 注目されちゃう……? 注目されるのかな? 戦闘メインじゃなくても出来るゲームとはいえ、基本は戦闘メインなプレイヤーが多い……私みたいなの注目されないんじゃ……いや! 違う違う! 私はここにコミュ障を治すために来てるんだ! めめめめ目立つ事が目的でしょ! す、姿で目立てないなら、行動あるのみ!)
頑張って心で奮起しても、足は動かない。
NPCから渡される楽譜だから、諸々の権利関係は問題ないはず。配信したりするわけじゃないけど、この辺りはしっかりと考えておかないといけない。演奏はないとはいえ、あまり勝手に路上ライブで披露するのも良くはないと思うから。
(そう! ここから踏み出すのに必要なのは、私の勇気! 私に欠けているもの。それは勇気。今こそ勇者になるときだ!)
そこから二十分程踏み出せずにいると、アラームが鳴る。それはそろそろ夕食の時間だと知らせるために設定したアラームだ。
「…………夜にログインして考えよう」
逃げたわけじゃない。保留だ。そう。保留は逃げじゃない!
クエストカウンターで、クエストクリアの報告をして、猫の受付から肉球の判子を貰う。報酬として8000マニーを受け取ってからログアウトした。




