第1話「南東風の涙」
辺境砦・ガルツ。
朝靄の向こうに、砦の旗が小刻みに揺れていた。南東の風に煽られ、旗の裂け目がかすかに鳴る――まるで泣いているかのように。
「……おや?」
リラは杖状の観測杭を手に、旗を見上げた。等圧陣を刻む杭は、周囲の風と気圧を瞬時に読み取り、光のラインとして体感させる。
今日配属されたばかりの新人気象官にしては、少々目立ちすぎる武器だが、リラにとっては身体の一部も同然だった。
杭を地面に差し、手のひらで光る等圧線をなぞる。風の圧力、湿度、微細な回転……データは確かに、異常を告げている。
「回帰渦の兆候……ですか」
彼女の耳に、重厚な金属音と靴音が近づく。
「新人か。気象官ってやつは、こういうところで何をするんだ?」
現場主義の騎士隊長ヴァイレンだった。肩にかけた鎧が朝日に反射し、鋭い視線がリラを射抜く。
「旗の揺れです。単なる風ではありません」
リラは落ち着いた声で答え、杭が描く光の等圧線を指さした。
「……ふむ、ならば説明してもらおうか。その“回帰渦”ってやつを」
ヴァイレンの視線は疑念を含むが、同時に興味も隠さない。辺境砦の騎士は、新米気象官の知識を侮れないことを知っていた。
「回帰渦は、自然の気流が通常のルートに戻る前触れです。強力な嵐の核が形成される可能性があります」
リラの言葉に、風がわずかにざわめいた。彼女の体内で、微細な気配感覚が風の力と人の動きを同時に拾う。砦の周囲、山脈、雲――全てが、これから起こる嵐の前奏だった。
「……ならば、この砦、そして道を守るのは俺たちの役目だな」
ヴァイレンは短く頷き、剣を手に歩き出す。リラも杭と風標を手に、彼の後を追った。
南東風は、まるで涙のように砦を吹き抜ける。
だがリラの目には、ただの嵐ではない――誰かの意志が、自然の姿に紛れていることが見えていた。




