第一話 転機
気が付けば、頬から伝わるのは冷たい感触。冷たい、硬い、寒い、そんな感想が頭の中で木霊する。なんでここにいるんだっけ、解らない、僕は何なのだろう……そんなことを考えながら、目で周囲を見渡す。
よく解らない人たちが、よく解らない言葉で言い合ってたり、叫んでたりしていた。そしてデカい声が耳を通り抜けると……目の前が真っ暗になった。
「はッ、はッ、はッ、はッ……」
そして再び目が覚め、気づいた時には僕は走っていた。暗がりが広がる森の中、泥濘んでる土を蹴ってひたすら走る。何で走ってるのか解らないが、心がとにかく走れと言っている。目からハラハラと流れる雫、それだけでなく体という体から流れ出ていく。止まれば二度と後戻りができなくなると、ただひたすらに……
「ッガァッ!」
だけど足を踏み外して、地面に激突した。跳ねる泥、硬く冷たい感触が全身を駆け、痺れる衝撃で立てなくなる。
それでも、とにかく走らないと。そう思い直して立ちあがろうとした、その時だった。
「君、どうかしたのか?」
「っ!」
「子供は風の子というが、夜中に運動会は感心しないな……」
この時、僕を人に戻してくれた恩人と出会った。
アラームが鳴り響き朝を告げ、それと同時に俺は目覚めた。俺は「出口 昴」、青葉高校に通う高校二年生。今日から夏休み明けの学校の始まりで、同時に新居への一人暮らしをすることにした。それまで小さい時から親戚の家で暮らしていたが、流石にいつまでも叔母さんの世話になるのは気が引ける。だが叔母さんにとって俺はまだまだ子供で心配らしい。
制服を着て、玄関で靴を履いて振り返る。お金に関しては、無駄に有り余ってる亡き両親の財産を使いつつ、バイトで稼いでいこうと思う。叔母さんが困ったら仕送りすると言ってるけど、そこに甘えるのはやめておこう。寂しそうな叔母さんの顔を見ると気引けるが、いつまでも甘えるわけにはいかない。
「それじゃ、今までお世話になりました。」
「……うん、行ってらっしゃい昴ちゃん。辛くなったらいつでも帰ってらっしゃい、茜も喜ぶと思うわ。」
「ははは、アイツだったらそのうち自分で俺のところに来そうですけどね。じゃ、行ってきます。」
そう言って俺は扉を閉めた。茜は、おばさんの一人娘だ。小学四年生の女の子で、すごく元気が有り余って俺をよく振り回すお転婆な子だ。もうそろそろ目覚める頃で、そうなると俺の登校を妨げようとするだろう。
だから、少し早足気味に俺は家から離れていった。ちょっと悪い気もするが、そこはご容赦いただきたいというところだ。そして、叔母さんの家が見えなくなってきた頃に……
「オイィィッス、おはようさん昴ゥ!」
「ウゲッ!?」
背中から中々に痛い刺激が襲う。朝っぱらからこんな無駄なテンションで俺に絡んでくる奴は、アイツしか知らない。
「あぁ……うん、おはよう濵田。」
「んだよ、元気ないなぁ。学校行くのが怠いのは分かるが、折角なんだから楽しんでいこうぜ。」
俺の肩に手を回しながら語り掛けるコイツは、「濵田晃一」という奴だ。俺が青葉高校に入ってから、最初に絡んでくれた友人だ。
この通り、朝夕関係なく元気な奴で正直一緒にいるだけでだいぶ愉快になれるから、実に面白い奴だ。ただ、一つ大きな欠点があり……
「どうせお前、重村先生の乳がまた見れるから嬉しいんだろ?」
「そうだ、流石我が親友よく分かってるじゃあないか。あの奏ちゃんのデカ乳こそ我が渇望にして愛、俺は卒業するまでに必ず俺の物にしてやるのだァッ!!」
「あぁ……うん、その夢カナウトイイデスネー」
「オイオイオイオイ、親友の夢はもっと熱く応援してくれませんかねェ!」
とまあ、こんな感じに濵田は弩級のおっぱい好きというわけだ。まぁ、俺も同じ男だ。気持ちは分からなくもない。重村先生の胸は学校の女性陣の中でも一番デカいのは認める。加えて美人だし、生徒からちゃん付けで呼ばれるくらい慕われてる。
ただ、本人の性格は非常に男勝りで、加えて体育教師なのもあって非常にサバサバしている。当然、女性らしいお淑やかさを求める男性陣からはやや敬遠気味というわけだ。まぁ、コイツにはそれは関係ないようだが……
「お前、その内先生の胸触って警察のお世話になるんじゃないぞ。もし俺はインタビュー受けたら『彼とはよく話してましたが、いつかはやりそうだなと思ってました』って答えるからな。」
「ふッ、愚か者めが。」
「な、なんだよ……」
「俺は女性の恥じらいは華だと思っているが、悲しみの涙は美しさも伴う毒の香りよ。俺はそれは尊重はすれど求めはしない。」
「……えーと、つまり何が言いたい?」
「つまりィ、女性の同意なく触る痴漢野郎は愚の骨頂故に万死に値する!真に惚れた女の乳を触るなら、恥じらいを持ちつつ奏ちゃんから同意を得てこそ至高の楽園。俺はその、男女の愛を交換し合う永劫の円環こそを求めているのだァッ!」
「お、あの俳優結婚したんだ。お相手はあのアイドルねぇ……」
「おいコラ、人に聞いておいてシカトは失礼だろうが。」
熱いおっぱい論を語る濵田を無視しつつ、俺はSNSのニュース投稿に目線を向けていた。コイツのおっぱい論を真面目に聞いていると、耳が腐りそうになるんだよ。それよりもまだ、関心があまり強くないニュースにでも目を向けてた方がマシだ。
が、流石に長い歩きスマホは危険だ。ざっくりと見終わったら画面を閉じ、情けで友人として濵田の話でも少しは聞いてあげるかと顔を上げた、その時だった。
「……………」
「_______」
浮世離れした女性が一人、俺の横を通り過ぎていった。目を惹くような美貌、少なくとも俺が今まで見てきた中でも一番の美女。穢れを一切払った白い肌の色、そして雪景色を連想するような銀髪がとても特徴的だった。思わず立ち止まり、振り返って色気の漂う後ろ姿を眺めてしまうほどに。
「ひゃー、漫画から出てきたようなすんげぇ別嬪な外人のお姉さんだったなぁ。」
「……」
「ま、俺のセンサーには惜しくも刺さらなかったけどね。おっぱいも奏ちゃんの方がでかいし。なぁ昴、お前的には……」
「………悪い濵田、忘れ物したから先行っててくれ。」
「は?忘れ物っておま、今からか?お、お前まさか、さっきの姉ちゃんナンパする気かよ……たく、遅刻するんじゃねぇぞ!」
濵田の叫びを背に受けながら、俺は早足気味にさっきの女性の跡を追いかけた。我ながら、何をやっているのかわからない……
「…………」
だけど、心が、俺自身が違うと考えながらも止まらなくなってたんだ。まるで、あの女を決して逃してはならないと心の底から結論つけたように。
気がつけば、俺は路地裏の中にいた。理屈は不明だが、この先にさっきの女がいると確信している。だから、躊躇いもなく俺は歩みを進めた……そして、ついにさっきの女の姿が目に映る。
「ッ!」
「…………」
そこは、女と赤く染め上がった壁面と地面があった。血だ、血がある。そして生肉のようなものが散り散りと転がっており、まさに殺人現場となっていた。
息が苦しい、心臓の鼓動が速くなる。手足が痺れて、まるで金縛りにあったように動けない。なんだ……これは一体なんだ?俺は、こんなものを求めて来たのか?だめだ、思考が上手く纏まらない………
「17→.☆7°$(2229¥→・0°\9」
「……え?」
女が険しい表情を向けながら、俺に向かって何かを叫んでいた。日本語でもなければ、英語ですらない。なんだこの言葉、まるで聞いたことがないぞ……
俺のその様子を見て、女は驚いたような表情を向けた。だが、その直後に体を俺に向けて、そして睨みつけながら走って来た。
「ヒッ」
あまりに非日常過ぎる光景で、俺は体を硬直させることしかできなかった。ああ、なんで俺はこの女を追いかけてしまったのだろう、普通に通学すればよかったのに。今更ながら、そんな後悔を抱いてしまった。
鬼の形相を浮かべる女が、俺の顔に向けて手を出して来た。何も握ってないが、多分俺の首を絞めるのだろう……そして俺は死ぬのかな?
イキタイ
……そうだ、死にたくない。脳裏に浮かぶ、幼い頃の記憶。石畳に包まれた何処かの部屋、怒号を交換する大人たち。言葉すら覚束無いあの時の自分。
イキタイ カラ シニタクナイ
気がつけば、そこは血溜まり。何故こうなったか幼い自分に分かるはずもなく、理解できる訳もない。ただ……ただ一つ、俺が抱いたことは。
シニタクナイ カラ コロサレルマエニ
生きたい、死にたくない。ただその想いだけだった。それを切に切に願って、走り抜けたあの日の夜。生きるために、死なないために幼い脚で走り出してた。だから……
コロセ
「……は?」
目の前には、例の女がいた。しかし、その顔から、全身から生気が感じられない状態だった。混乱したが、その原因はすぐにわかった。何故なら、俺の右腕が女性の胸を抉ってるのだから。文字通り、心臓を鷲掴みにできるほどに。
「な、んで………」
あり得ない、まずそう感じた。女性の体は男性と比べて柔い方なのはなんとなくわかるが、いくら何でも素手で簡単に胸板を破れる程の力なんて普通出せない。ましてや俺は、そんな力持ちではない。部活に入ってる濵田に腕相撲でギリギリ負けるくらいだぞ。
だけど、今目の前にある現実は確かなものとわかってて……次第に込み上がる恐怖、忌避感、嫌悪感が俺の全身を染め上げていった。
「ア、アア、アァァァァァァァッッ!!」
喉の内皮膚が裂けるほどの絶叫、穴の空いた胸から手を即座に出して抱きしめるように地面に蹲った。何でだ、何で俺はこんなことをしたんだ。
解らない、分からない、わからないわからないわからないワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイイイイイイイイイイイ……….
「う、が、ゲハァ!ウゲェェェェェ!!」
混乱に乗じて急に体内から棘が発生したように、小さくも鋭利な痛みが体内を駆け抜ける。同時に内側から込み上がるものが俺の意思を無視して、無理矢理口から汚物を漏らした。血と酸と残飯の様な匂いが鼻を刺激して、更に汚物を促そうする。
だが、ぐっと歯を噛み締めて堪える。そして、再び目の前の惨劇を見据える。ああ、俺は人殺しをしたんだ……そう自覚すると目から涙が浮かび上がる。頭の悪い男子高校生が抱えるには、あまりに重い罪。だが、ふと違和感を得た。それは……
「何で………俺の手、血の跡がないんだ?」
そう、理屈は分からないが人体の中に素手を突っ込んでたんだ。だのに、俺の手には血どころか肉片の一つすら無い。血の匂いも無く、あくまで俺にとって馴染みのある匂い。
まるで悪い夢を見てるかのようだ、だがそれでもこれは現実なのだといやでも分かるから……
「どうする?まずは、警察に自首を……イヤ、だけど、俺がやったという証拠は……」
そう、形はどうあれ多分俺がこの女殺した。だけど、それを知ってるのは現行犯である『俺』だけだ。
だけど凶器は素手であり、包丁や銃といった指紋がつく道具じゃない。いや、まて。そもそも俺の手に血がついてないのなら、俺がこの女を本当に殺したのか確証が………
「ああクソ!分かる訳ないだろうッ!」
八つ当たり気味に、俺は壁に拳をぶつけた。血が滲むような痛みを感じる、やはり俺は今、現実をきちんと認識している。
だけど、この不可解な現象は俺の手に余る。少なくとも、混乱しているこの状態じゃまともな答えは出せそうに無い。もう、イヤだ。早くこの場から逃げたい……逃げなきゃ……そんな感情が滲み出て、俺は走り出した。
「ハァ……ハァ………ハァ…………ハァ……あぁ……」
とにかく本能のまま走り、スタミナの限界を感じ止まった。顔の朝を手で拭い、気が付けば校門の近くにいた。あの惨劇の後、混乱しつつも習慣的に学校の近くに来ていたようだ。
胸に疼く罪悪感、それを押し殺してひとまず校門へと向かっていった。
そして……
「おー、戻って来たか色男。」
「出口くんおはよう、ギリギリだったねぇ。」
暫くして俺は、自分のクラスの教室へと入った。すると濵田が俺の机の前にいて、隣には一緒に絡むよく見慣れた女子がいた。
名前は『大田 恭子』といい、濱田の次に俺に話しかけてくれた子だ。
「ああ……悪い、充電器忘れてしまってた。」
「はぁ?本当に忘れ物だったのかよ。あーぁ……ナンパじゃなかったのよ、つまんねぇな。」
「え、何の話?」
「ハァ……聞かなくていいよ大田さん、こいつの何時もの寝言だ。」
「起きてるわバーカ。」
なんて、いつも通りのやり取りを交えて俺はホッとした。やはり、さっきの出来事は悪い夢だったのかもしれない。
寝不足、なんて事はないだろうけどゲームや動画を見て、夜遅くまで起きてたなんて事は夏休みにそれなりにあったからな。それが原因かもしれないし、暫くは夜遅くまでスマホを触るのはやめるか……そう考えたら、重村先生が入って来た。
「オース、お前ら。ほらほら、ペチャクチャ喋ってないで座れー。夏休み明け早々、無断欠席してる奴は居ないなー?」
「おいっす奏ちゃん、前よりボイン大っきくなった?」
「お、濵田は欠席か、今日でアイツの無遅刻無欠席伝説は途切れたと………」
「ひでェよ!?居ます、濵田晃一こっちに居ます!ごめんない冗談です許して奏ちゃーん!?」
「たく……休み明け早々にセクハラして出鼻挫かせるじゃないっての。」
「馬鹿やりやがって……」
クラス全員から爆笑の渦が起こり、俺は呆れつつ息を吐いた。まあ、何にせよ今日から再び、学校生活の始まりだ。でもって、バイトもそろそろ目星付けとかないとな……そう考えた時だった。
「えーっと、そうそう。お前達、休み明けに急だが転校生がこのクラスに追加される。」
「えっ……」
「ほら、入ってこい。」
クラス全員がどよめき始める、そりゃそうだ高校生の転校生なんて今時珍しい。そのどよめきを断ち切るように、先生が手を叩いた。
すると教室の入り口から、見慣れない女生徒が入って来た。それは、それ、は……
「……えっ」
穢れを寄せ付けない白い肌、そして雪景色を連想する銀髪。そう、数分前に………俺が殺してしまったはずの女が、制服を身に包んでそこに居た。
「わぁ、すごい綺麗な子……」
「オイ、オイ!昴、あの子って確か……オイ聞いてるのか!」
大田さんと濵田の声は、聞こえてるけど通り過ぎていってしまう。それ程までに、目の前で起きてることが衝撃的すぎる。
あの悪夢は、まだ終わってなかったのだ。
「それじゃ、自己紹介頼む。」
「ハイ、有村ニコルです。どうぞ、よろしくお願いします。」
「えっと席は……お、出口の後ろが丁度空いてたな。そこに座ってくれ。」
「分かりました。」
クラスから歓迎ムードの中、有村ニコルと名乗る転校生が俺へと近づいて来た。頼む、よく似た別人であってくれ、さっきの惨劇は単なる悪夢だったのだと。
そう願っていると、席へと向かう最中に有村と目線が絡んだ。直後に柔らかい微笑みを俺に向けて後ろの席へと座る。そして、その直後に……
「よろしくお願いします………サツジンハンさん。」
最後だけ俺にしか聞こえない小声で、鈴を鳴らす声が告げるには、あまりにも似つかわしくない残酷な言葉を突きつけたのだった。
そう、これは。この日を境に俺の日常が残酷な世界へと変わる物語である。
初めて一次創作に触れることにしました。
色々と不慣れで、拙い箇所も多くあると思いますが、頑張って完結できるよう励もうと思います。
ご意見や改善点があれば、遠慮なくお伝えください。