you make me happy
この世界で生きるためには他の何かを粉々にしなくてはならない、それには自分の血肉さえも含まれるのだ。
真実は常に嘘をつく。どんな純粋な奴でも純粋に生きられない。
「アルカディア!!貴方からも何か言ってやってよ!!」
「そうだよ!!幻に言ってやってよ!!!」
「あー…困ったなぁ……」
どうして出会い頭に姉妹喧嘩を見させられなきゃいけないんだろう。耳を塞いでも聞こえて仕方がない。頼んでもいないのに事の成り行きを聞かされる、もはや煩わしいを超えて暴力である。兄さんが鬱陶しがる理由が少しわかった気がする。
喧嘩の原因は僕からしたら死ぬほどどうでも良い事だった、どちらが銀狼の貯金箱を手にするか…だ。太古から争いというものは度々起きた、未だ生きとし生けるものが克服できていない難題である。
半分こすれば良いじゃないか。ていうかそもそもその貯金箱、叡智さんのものであって君達のものではないだろう。それに週末は演奏会なんだろ? もうお願いだから姉妹喧嘩は他所でやってくれないか!!!
「末っ子だからって何しても許されると思うなよ!」
「そっちこそ!姉だからって思うように扱えると思うな!!」
「なんだよ!この前私のおやつ食べたくせに!!」
「姉さんだって私のいちご食べたじゃないか!!」
あぁ……耳が痛くてたまらないや……だれかこの嵐を止めてくれなんでもしますから。
「このちびでロリっ娘!」
「うるせぇ!破壊神もどき!!」
ごめん暴言のレベルにちょっと吹いた。ていうか破壊神は流石にやめなされ。せめて破壊の権化にしなさいな。
「…………?」
目を閉じて嵐が過ぎ去るのを待っていると、途端に静かになった。ゆっくり目を開けると、幻さんと寂滅さんは互いに対峙していた。まるで縄張り争いをする直前の獣のように、お互いを睨みつけて身体中に緊迫を浸らせている。
びゅうっ
風の音色がその場の雰囲気を後押しする。まるで反応に遅れた方が死ぬみたいな、そんな雰囲気。
僕は慌てた、ここは兄さんの縄張り内だ。めちゃくちゃにされたら僕が怒られるんだ。お願いだ、やめてくれ。僕は翼脚を広げて二人の間に割り込もうとする。
「二人とも、ここで暴れるのは…」
しかし、どうやら僕のこの言葉が引き金になったらしい。電光石火、紫電一閃、電光朝露、疾風迅雷。当たり前といえば当たり前なのだが、二人はそれぞれ各々の楽器を取り出して音をぶつけあった。演奏家らしい闘い方と言えような。
拍子抜けした僕はとりあえず翼脚を仕舞う。なんだか阿保らしくなってきた。
向かい合って真剣な顔つきで演奏しあうその姿、喧嘩としては滑稽すぎるが本人達は本気らしい。寂滅さんのミサイルのような光芒が幻さんの複雑な音色を打ち砕いたかと思えば幻さんのファンタジアが寂滅さんのカノンを歪ませていく。騒霊らしい闘い方だ。勝敗のボーダーラインは僕にはわからないが。
ああ、まるで儚い流れ星を眺めているようで美しい。
「………っと、いけないいけない」
僕ははっとして首を振った。兄さんにバレる前に二人を早く止めなくちゃ、彼女達の音色は危険なんだから。
「ああ……」
どうやら慌てる必要もなかったようだ、体力が切れたのか幻さんは汗だくで地に伏していた。寂滅さんも汗こそはかいていたけれど、その体軸を崩してはいなかった。どうやら勝敗が決まったらしい、僕には珍紛漢紛だったがな。
「……ちっ、プレリュードを奏でてたつもりだったけどいつのまにかポストリュードを奏でてたとはな……」
うーん?何を言ってるのか僕にはさっぱり。
「はっ!姉より優れた妹が居るわけないだろうがッ!!」
……でも、僕はわかってるよ。寂滅さんもわりと本気めに演奏したんだよね。僕には丸わかりだよ。
「それじゃ、戦利品も得たことだしじゃあね」
寂滅さんは銀狼の貯金箱をを手に取ってどっか行ってしまった。なんというか、叡智さんが気の毒である。
僕は項垂れている幻さんに手を差し伸べる。
「大丈夫?あんなに力こめて演奏してたから疲れたでしょ」
「…うん」
幻さんはその小さな手で僕の手を掴む。
「やっぱり、姉さんには勝てないのかなぁ」
「勝てる勝てないの問題じゃないよ。誰一人欠けちゃいけないんでしょ、君達は。それに、寂滅さんも7割くらいは本気だったよ。それくらいの闘いを君はやったわけだ、普通にすごいと思うけど」
「…………」
幻さんはそういう問題じゃないと訴えるような表情をする。
「………チッ、朝っぱらからじゃかあしいと思ったら……てめぇかよ」
いつのまにか、兄さんが来ていた。相変わらずの不機嫌で仏頂面フェイス。
「はっ、その様子だとあいつに負けたんだろ?」
汗だくの幻さんにそう言った、幻さんは小さく頷いた。
「お前があいつに勝てるわけがない。勝てるわけがないんだからもう争うんじゃねぇ。こっちが迷惑だ」
「うるさい、エルドラドには関係ないだろ」
「だったらせめて俺の縄張り外でやれ、やかましすぎて眠れねぇだろ。大体な……」
兄さんの口から放たれる嫌味に耐え切れず、幻さんは楽器を兄さんに向かって投げつけた。
「……ッテェ、何すんだよ」
すぐさま兄さんの鳩尾を深く殴った。
「ぐっ……!!!」
流石の兄さんも堪えたようで、鳩尾に手を置いた。
「お前……騒霊の分際で……」
「うるさい!!!私を見つけたらすぐ嫌味吐いて!!!ちょっとは労ってくれてもいいじゃん!!!」
幻さんは顔を真っ赤にして、涙目でそのまま何処かへ行ってしまった。
「あのね、兄さん」
流石に僕も怒り気味に
「あの言い方はダメだよ、幻さんは繊細なんだから」
「はっ、本当のことを言って何が悪いんだ?」
「口が悪すぎるんだよ、もう少し遠回しに言ってあげなよ」
「だから遠回しに言っただろう」
ダメだ、話にならないや。
「とにかく、ちゃんと幻さんに謝ること。いいね?」
「チッ」
兄さんは嫌そうな顔をする。
「…………そこの龍、主を見かけなかったか?」
銀色の狼が茂みから出てきた。
「君は?」
「私の名前はアヴォルフ・ウェーア。我が主人である寂滅様を依代とする人狼の思念体である」
「思念体?」
「簡単に言えば寂滅様の強い想いから私が生まれたのだ。とにかく、寂滅様は何処にいるのだ?」
「さぁ、行き先までは知らない」
「…………ふん、どうせ人里にでもいるんだろ」
「そうであるか」
するとアヴォルフはそのまま人里の方へ走り去っていった。
「おいおい、いくら思念体だからって人里に近づいたら巫女に殺されるぞ」
僕はアヴォルフを追いかけていった。
「………チッ、楽器を俺に押し付けやがって。クソが」
「あれは……何をしているんだろう?」
僕は物陰に隠れながらアヴォルフに聞いた、アヴォルフはまるで世界の常識であるかのように語る。
「見て分からないか、寂滅様は団子を買っているのだ」
「いや、それはまたわかるけどさ」
あんなに買ってどうするんだろう。家族みんなで食べるにしても多すぎるではないか。
「知らないのか?寂滅様はファン達にああやって差し入れを渡しているのだ。たまに思念体である私にもくれる」
「へぇ、それは意外だったな」
「ふん、寂滅様の使い魔なら知ってて当然だ」
別に僕は彼女の使い魔でもなんでもないんですけど。しかし、一番彼女にファンが多い理由がなんとなく分かった気がする。幻さんは情熱でファンを呼ぶのであれば、寂滅さんは親しみやすさでファンを呼ぶのだろう。
「のぞきとは関心しないな、獣ども」
背後から兄さんが幻さんの楽器を抱えてやってきた。
「その割には兄さんも来るんだね?嫌なら来なければいいのに」
「こんな煩わしいものを抱えたままやってられるか、ボケ」
寂滅さんは人里中に差し入れを出した後、寺子屋に向かって一曲演奏した。子ども達はもっともっととせがんでいたが、寂滅さんは優しく首を振った。
「どこまで行く気なんだろう?」
人里の外まで行ってしまった、屋敷に戻るつもりだろうか。
「これ以上はもういいだろ、いくら使い魔だからってやりすぎると嫌われるよ」
「寂滅様に嫌われたって構わない、私は寂滅様が心配なのだ」
「心配?」
特に寂滅さんにこれといった異変はないが。
「お願いだ、私と一緒に来てくれないか」
アヴォルフはぐっと、その頭を下げた。狼はプライドが高いと聞く、そんな生き物が僕に頭を下げたのだ。
僕はため息をついて、その頼みを承諾したのであった。
寂滅さんの姿は見失ってしまったが、匂いが残っているのかアヴォルフはスンスンと鼻をひくひくさせて歩いている。さながら麻薬探知犬みたいだな。
「どうしてそこまでして寂滅さんを主人と見立てるんだい?」
僕は普通に気になったからそう問うた。そもそも、本来の彼女を見ればこんなことはありえないと思っていたから。
「私は無意識のうちに寂滅様を傷つけていた、その償い故だ」
「あぁ……」
なんとなく理解はできた。
「なんだ、てっきり胸だと思っていたが」
兄さんの言葉にアヴォルフは過敏に反応する。
「貴様、何を抜かすか!!私がそんなものに惑わされるわけがない!!そんなものだけで彼女を好きになるわけがない!!!」
「『だけ』?」
アヴォルフはさらに怒った。
「そんな言葉を吐き出す貴様こそむっつりではないか!!?そうであろう!!!」
「むっつりで何が悪いんですか?男はみんなむっつりだぜ?」
「このっ!!!」
「まぁまぁ、兄さんはいつもこんなだから気にしないで」
閑話休題。アヴォルフは突然立ち止まるとキョロキョロと辺りを見回した。
「たしか、この辺りのはずだ」
「寂滅さんが?こんなところまで来るの?」
「私とあの方しか知らない秘密の場所があるのだ」
それを僕らに見せてもいいのかい?
「でも、音は聞こえない。帰ったんじゃないの?」
ぐるぐると、周囲を見渡す。
しばらくすると、金管楽器のメタリックな音色が現れた。それはあまりにも唐突すぎた。アヴォルフは耳を垂直に立てる、僕らはそのまま慎重に音がする方へ向かう。
ふと、そのメタリックな音色は息の根が止まるように聞こえなくなる。次に聞こえた獣声、唸り声。寂滅さんが自分の楽器に噛みついてそのまま玩具で遊ぶ犬のように振り回していたのだ。僕は思わず目を疑った。口から泡を吹き出して、本当に狼になってしまったのか、そう思ってしまうほどに彼女は僕の知っている彼女ではなくなっていた。
「主人!やめるんだ!!」
アヴォルフがそう叫んだ、びくりと彼女は身体を止めて僕らの方へと向く。その瞳は、酷く濡れていた。
「じ、寂滅…さん…だよね?どうしてこんなことを……」
彼女の楽器は凄まじい噛み跡がついていた、演奏に支障をきたしてしまいそうなほどに。
寂滅さんは湿った顔を拭うと、そのまま俯いて喋った。
「……見られちゃったか」
「それは……君の大事な相棒じゃないか。いいの……?」
「大丈夫だよ、いつものことだから。幻達がなんとかしてくれるよ………」
いつもの陽気な彼女とは打って変わってか細く嗚咽を交えて答える。
「どうしたんだ主人、本当に何があったんだ?」
「何もない。私には最初から何もないんだよ」
「…………幻か」
兄さんがそう言った。
「少なくとも二人は知ってるでしょ?幻の技能の天才さを。あの子は基本さえ覚えてしまえばあとはどんなことでもできてしまう。あの喧嘩の時、ほぼ本気を出さなきゃ負けてた。それほど幻は上手になってる。そうなったら…私は姉さんみたいに姉らしくいられない……」
ああ、そうか。寂滅さんは幻さんの才能に嫉妬していたんだ。たしかに、幻さんは天才という言葉さえも生ぬるいほどの才能を持っている。そういう妹を持つと姉は苦労するらしい。
「私は姉さんみたいに誰かを導く力も幻みたいに情熱があるわけじゃない。怖いんだよ!!ステージに立つのが!!センターに立つのが!!!」
寂滅さんは牙を剥き出してそう叫んだ、ガルルルと警戒心MAXの狼みたいに。苦しそうに胸をぐっと掴んだと思えば、そのまま走り去ってしまった。
アヴォルフはそのまま追いかけようとしたが僕は止める。
「やめておこう、寂滅さんは今一人になるべきだ」
「だが…」
「使い魔ならわかるだろ、彼女がとても繊細だということくらい」
「そのくらいわかっている、だからこそ傍にいてやらねば。それに、今度の演奏会は人妖合わせて3000人は来るのだぞ?」
「そんなに?」
「寂滅様は努力家だ、いつもここで練習しているのを私は知っている。雨の日だろうが、風の日だろうが。私はそんな主人が大好きだ。ひたむきに楽器に息吹を通す様を見ているのがたまらなかった。私はそんなかっこいい寂滅様の音楽が大好きなんだ」
近くに銀狼の貯金箱があったのに気づく、中身には手をつけなかったらしい。なら、あの姉妹喧嘩はなんのためにやったのだ?
「…………」
僕は噛み捨てられた金管楽器を拾う。よく見れば修復された跡がたくさんついていた、きっと壁に当たる度に噛みついていたのだろう。
「…………幻より才能が劣っていても、誰も責めるわけじゃねぇのに。馬鹿な奴」
久しぶりに兄さんの言葉に賛同した、自分を下に見るのは姉妹共通の悪癖なのかもしれないな。
「………それ貸せ」
兄さんが僕から強引に楽器を奪い取る。
「何するのさ?」
兄さんは何も言わずに、自分の鱗をぶちりと一つ引っこ抜いた。そのまま鱗を研磨石のように楽器に擦り付ける。
「これで良いんだろ」
まだ5分も経っていないのに、楽器の修理が終わった。噛み跡も見えなくなりひん曲がったマウスピースも元に戻っている。
「渡してこい」
「うん。でも、兄さんもついてくること。幻さんにも謝らなきゃ」
「…………チッ、ほら行くぞ」
寂滅さんはぐったりと不貞寝するように倒れていた。しばらくして僕達に気がついた。
「それ……は……」
「兄さんが直してくれた、また演奏できるよ」
「やめて……もうやだ……嫌なんだよ……」
「なら、どうしてここにいるんだよ。探してたんでしょ、これを」
視線を合わせない寂滅さんに、アヴォルフが楽器を咥えて前に進む。
「私は、主人の演奏が大好きだ。また聞きたいんだ」
「だけ……ど……」
「…………幻だってそう言うはずだ。みんなお前が大好きだ。自分に勝てるのは自分しかいないんだぞ戯け」
兄さんの言葉からしてしばらく、寂滅さんはゆっくりと身体を起こして微笑んだ。それは正しく、昼間世界を照らす陽光のように。
「また、貴方達に励まされちゃったね」
アヴォルフの頭をゆっくり撫で、楽器を手にする。
「また前の場所でリベンジ待ってるってさ」
「そうなの、なら魅せつけてやらなきゃ。姉の凄さってやつを!!」
銀狼の貯金箱をを拾い上げたのちに
「エルドラドもありがとう」
ぎゅっと、兄さんのことを抱きしめた。はぁ、今日はひどくこき使われた気分だ。もうすぐ日も沈むし……
「………ん?」
アヴォルフが口をガン開きにしながら兄さんのことを見ていた。
「どうしたの?」
「抱きしめた……私は撫でられただけなのに!!ずるいじゃないか!!!私は主人に抱きしめられたことないのに!!!」
「知るかバカうどん」
僕はふと思った、僕にもこんな日常があったのかなって。今となってはそんな記憶霞隠れして海の向こう側にまで置いていってしまったのだろう。
「………ってこともあったよね。まったく、兄さんは口が悪いんだから。でも、彼女達のことが心配だったんだよね。兄さんは口下手なだけなんだものね。……もうそろそろだね兄さん、準備は出来てる?」
いつも闇の中にひとり取り残された奴らのことを考えると血は煮えたぎるが骨は逆に凍えてしまう。
神さえも呪う言葉になりたかった、これが夢だと嗤ってほしかった。
君を救う術を見出したとしても、こんな自分を愛してくれる人はまだ居るのだろうか?