‐‐1901年秋の第一月第一週、カペル王国、王宮‐‐
カペル王国の王宮にある大宴会場は、どちらかと言えば祭典に使う方が向いている。アンリは派手な玉座に腰かけると、大臣たちが頭を垂れるのを見回した。
慇懃無礼なレノー・ディ・ウァローは、顔を持ち上げるなり、もう一つの玉座にいるアリエノールを睨みつけ、腰かけなおした。
会議と言えば聞こえがいいが、大宴会場の円卓を囲んでの会議は、玉座の上から言葉を放つアンリの大権に対して、ほかの大臣はただ頭を下げるだけのものである。アンリは一同を見回すなり、手短に用件を伝えた。
「今日は、国家総動員法の制定に関して、意見を募ることにしたい」
大臣たちは顔を見合わせる。彼らの頭上には、疑問符が浮かんでいる。
会議室は真っ赤な絨毯を敷き詰められている。その上に革製の靴がずらりと並び、それらを包み込むように、巨大な円卓の足が四つついている。この太い足にはカペル王国を代表するアイリスの花が象られており、丁度城砦に防衛のために張り巡らされていた薔薇の花が、この椅子に絡みつくように刻まれている。
足から頂上を抜けると、巨大な円卓の上には白いテーブルクロスが敷かれ、その上にはペアリスの城壁越しの大農園から運ばれてきた、家畜のステーキと、新鮮な野菜、そして茸のスープが並べられている。机上には年代物のワインが置かれ、秋の実りを祝福する、カペラの像が燭台を掲げる。
エニシダの枝を模した黄金の縁で飾られた壁面のキャンバスには、シルクの布を身に纏い、踊るように春の日差しを祝福する半裸のカペラや、王国きっての大決戦、オルガネアの星型城塞攻略戦を描いた絵画が並ぶ。そしてそれらの隙間を埋めるように、アイリスの花が散りばめられている。
高い天井と、換気に良い大きな窓はペアリスの街並みを臨み、貴族を中心とした大通りには、織物を並べる商店が盛況しているのを見おろせる。
「国家総動員法とは、具体的にどのような法案なのですか?」
「よく聞いてくれた。此度の戦争を終結させるために、国民の生活を規定するための法律だ。具体的に伝えると、まず、戦士の徴兵を始める。そして、臨時徴税金の徴収をする」
大臣たちは顔を見合わせた。封建領主に対して国王が大権を発動すれば、領主はそこから兵士を徴用して戦場に向かう。そして、臨時徴税金は現在でも、名前に反して殆ど恒常的に徴収され、これは国家の防衛のために用いられている。
「この臨時徴税金は、一つの用途は国防費を賄う為、もう一つの用途は地方防衛力の強化のためだ」
大臣たちは狼狽える。誰もが聞き間違いではないかと、隣席の者に小声で確認をする。
並んだ食事に手を付けていた者も、中途半端な高さでフォークの手を止め、肉汁が皿に滴り落ちるのを気にかけずにいる。レノーは彼らに代表して声を張った。
「陛下、それはつまり、封建領主の所領に対しても、臨時徴税金を徴収するということですか?」
「そのように聞こえませんでしたか?」
「とんでもないことです、陛下!民からの反発は避けられませんよ!」
アンリは話を遮られたことに眉を顰める。しかし、今回ばかりは、自身の直接の利益に関わるレノーも引き下がることは出来なかった。
仮に、国民から臨時徴税金が徴収された場合、彼らの持つ所領の民衆は、そこから差し引かれた分を、年貢として納めることになる。領地の収入は当然、領民の財産に対する割合から決まるのだから、各地封土の収入は減少する。それを吸い上げるのが国王とあっては、領主の面目も立たないのである。
「貴方の言うことは良く分かりますが、この国難に対して団結の意思を見せられないのは、忠誠心の欠如を疑わざるを得ません。国民も、恐らく抵抗なく徴税に応じるでしょう」
レノーは咄嗟にアンリの右手に座るアリエノールを睨みつける。国王の賢明な判断のうち、勇気と誇りに関するものを除けば、誰の差し金なのかを、目敏い重鎮は理解していた。
アリエノールはすまし顔で控えている。
(ナルボヌの商売女め……)
レノーは左手を上に添えて座る王妃に、軽蔑の舌打ちを贈った。
アリエノールはさながら置物のように動かない。長い宮廷生活で、自分の立ち位置を理解しながら立ち回っているのである。しかし、この宴会に列席するような重鎮達であれば、アンリが彼女の助言を素直に聞いていることは良く知っている。外面を取り繕おうとも、その賢明さ、或いは狡猾さはもはや隠しきることが出来ない。
レノーに続けて、ビール腹の突き出た、肌理の細かい肌を持つ男が手を挙げた。
「全く陛下の仰る通りではありますが、我々も身を粉にして国難に立ち向かっております。命の危険に加え、まさか収入まで失うとなれば、陛下への忠誠が揺らぐのも致し方ないことと存じます」
レノーの非難はやや歪曲的な搦め手であった。国民が納得するのか、という形式で説いたためだ。しかし、彼、外務卿ヴィルジール・ディ・リオンヌのそれは直接的な脅迫に近かった。彼は、肉汁を滴らせるステーキを静かに皿の上に戻し、国王の返答を待つ。
一致団結して決戦を攻略したかつての国民たちの姿を背景に、ヴィルジールは言葉を選ぶ国王に勝ち誇った風に言葉をつづけた。
「陛下はまだお若いので、物事の裏表というものが分かっておられないのかもしれませんが、私でさえ二十年はこの場所に通う身ですから、信用を失った国王がどうやって国難を乗り切ったのかをよく存じておりますよ」
レノーは嘲笑を嚙み殺す。混乱期の王の中には、反対者を見せしめの処刑で処分した者がいた。そうしてインテリたちと対立した王の一人は、彼の母后ジャンヌ・アントワネットが崩御すると、繋ぎ止めていた枷が外れたかのような暴挙に出て、王国を衰弱させた。
ヴィルジールがそれを意図したかは判然としないが、レノーは言葉のうちに依存した王の末路を読み取っていた。
アンリは彼らの言葉に耳を傾けると、ヴィルジールを睨みつけた。
「では問うが、実際に命を捧げている国民が承諾したとすれば、ヴィルジールは私の言葉を承諾するのか?」
「えっ」
「もしや、国家の防衛も、臨時徴税金の徴収も、両方を王国のためにと飲み込んで戦う前線の戦士たちを差し置いて、戦う人たる貴族の貴方が、命さえ捧げずに金を出し渋ることはないだろう?」
「えっ」
ヴィルジールは口を開けたまま硬直する。レノーは彼の饒舌が止まり、雲行きが怪しくなるのを感じ取り、すかさずフォローに入った。
「陛下、それは国民の承諾があったうえでのことでしょう?苦しい局面で従うとは、私には思えませんが」
「ですから、地方防衛力の強化の為と、殊更に強調したのですよ」
鋭く高い声に背中を刺されたかのような衝撃に、レノーは身震いする。沈黙を守ってきたアリエノールは宮廷の窮屈な作法に従わず、ドレスの下で足を組む。すらりとした脚の輪郭が、布の上から浮き上がった。
「レノー閣下はご存じないかもしれませんが、国民はプロアニアに対して大層不信感を募らせています。その侵略に対して、貴方達の武器を作り、立ち向かうために資金を集めさせてくださいと言って、誰が反対出来ましょう?」
レノーはみるみる顔を赤くしていく。宮廷の由緒ある話し合いで、堂々と、まして偉そうに足を組んで、教会で語ることも許されない女が、しかもあろうことかナルボヌの商売女が声を上げているのである。王の血縁者ですらない田舎者、デフィネル家も所領の金欲しさに招き入れたに過ぎない置物が、人並みの言葉をしゃべっている。レノーは額に青筋が浮かぶのを抑えられなかった。
アリエノールは玉座から立ち上がる。柔らかいが窮屈極まりない、肘掛けに挟まれた玉座を降りると、家臣たちの後ろを、ハイヒールを鳴らして歩き始めた。
「貴方は私を見て、顔を真っ赤にして怒った。憤怒の原因は私が伝統を守らないからですか?それとも身分にそぐわない無礼者だからですか?どちらでもいいですよ。いずれも、この法令に対する意見ではありませんからね」
アリエノールが夫を一瞥する。彼は肘掛けに肘をかけ、頬杖をついて微笑んでいる。その表情は誇らしげで、アリエノールも口角を持ち上げて返した。
彼女は国王陛下と向かい合う。彼女の背後には、優美な黄金の額縁がある。そこには国民から高い人気を誇る、星型城塞を建て、王国を苦しめた、女傑ジェイン・グクランの肖像画が飾られていた。
「では、国家総動員法について、詳細を説明いたします」
彼女はのびのびと、自由に立ち歩きながら、その詳細を説明し始めた。
「徴収した臨時徴税金は、武器の製造と開発、研究の為に用います。そして、徴兵された兵士達はこの最新の武器を与えられて、プロアニア兵に立ち向かう」
堂々たる立ち振る舞いに、大臣一同が呆気にとられる。彼女が後ろを通り過ぎれば、僅かに香水の匂いが鼻を掠める。しかしそれは香水ではなく、よく洗われた衣服の香りだ。
「兵器の大量生産の為に、国営工房を設営します。そして、現在奢侈品の販売をしている業者は、その販売を規制する代わりに、この工房での労働に力を貸すことになります。勿論、専門的なところは出来ないでしょうが、生活に必要な費用は捻出できるでしょう」
華奢な体が手を組んで、颯爽と宴会場を進む。そのたびに揺れる宝飾品を、彼女はさり気なく取り外す。細い腰を締め付けるコルセットさえ、彼女はしている様子がない。
「男性は戦場に行くでしょうから、その穴埋めをするために、女性労働者も増えるでしょう。それについては皆様が偏見を持たれないこと、それ一つで解決します」
彼女はそこまで言い終えると、円卓を一周し終えて、自らの玉座の前に立つ。家臣たちは唾を飲み込み、凛とした瞳にただ見惚れた。
「以上、何か質問は?」
家臣の一人が拍手をする。それに合わせて少しずつ、拍手が宴会場を伝播した。堂々と背筋を伸ばすアリエノールを、アンリは誇らしげに見つめていた。