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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1901年
95/361

‐‐1901年夏の第二月第四週、カペル王国、ペアリス‐‐

 買い出しの為に宮殿から市場へ足を伸ばしたリュカは、疎らな人の流れに僅かな違和感を覚えた。

 ペアリスの市場と言えば、北はムスコール大公国の皮革、西はカペルの毛織物、南は宝石、コボルト奴隷、香辛料、東はエストーラの楽器や銀製品など、兎に角多くの品揃えで常に盛況する市場である。さらに大道芸人や、遍歴学生、吟遊詩人などの旅人も集まり、説教の声や聴衆たちの歓声、客寄せの掛け声で大賑わいである。

 それだけに、リュカは賑わいにむらのあることを直ぐに感じ取った。

 彼はひとまず目的地の文具店を目指す。市場を一度通り抜け、閑静な住宅街から西へしばらく進むと、学生や古物商などが買い物をする文具店へとたどり着く。彼は扉に手をかけると、ベルが鳴りやむかどうかのタイミングで、店員に声をかけた。


「いつものインクとペン」


「あいよ」


 店員は重い腰を上げ、月に一度は訪れる常連のお気に入りを棚から降ろす。店内では学生が一人、高額なノートを中腰で吟味している。


「市場がどうも変なんだ」


「そうかい。リュカは目敏いね」


 店員が生返事をする。高い位置にあるインク壺を、背伸びをして手に取ると、閉めにくそうに扉を閉じた。


「何か知ってるのか?」


 リュカの声に短く唸ると、店員は首を横に振った。


「俺は特に気づかなかったけどなぁ」


「本当に?」


 店員は肩を竦める。彼はそのまま、受付に注文の品を並べていく。リュカも事務的に財布を取り出し、高い代金を支払った。


「……市場のことと言えば、最近は模造宝石が高騰してるって聞くぞ」


 店員は代金を乱暴に奪う。大雑把な梱包を済ませると、リュカの手に商品を乗せる。リュカは口をへの字にして、店員にじっとりとした目を向けた。


「やっぱり知ってるんじゃないか……」


「思い出しただけさ。ささ、貧乏人は帰った、帰った」


「ヘイヘイ」


 リュカは商品を再度確認し、玄関へ向かう。彼は扉を半分開けると、再度店員を睨みつけた。視線の先では、歯を見せて悪戯っぽく笑う店員が手を振っている。

 リュカは深い溜息を零し、乱暴に扉を開け放つ。入退店を告げるベルが苦しそうに唸る。彼は背中で軋む扉の音のことは気にも留めず、足早に去っていった。


 華々しい中心街の賑わいに影が射したのは、つい先週から続く急な物価の高騰のせいだった。

 リュカは貴族たちに混ざって中心街をぶらつく。やはり文具店での話の通り、市場の陳列棚ががらんとしている店が散見される。


 模造宝石を取り扱う硝子商人の陳列棚などは特に悲惨である。目新しいものが現れない代わりに、既存の商品が日を跨ぐごとに少しずつ減っていくのである。

 リュカは話好きに見える硝子商を一人捉えると、徐に近づいた。


「旦那、何かあったのかい?」


 意気消沈とした硝子商は、沈痛な面持ちをしながらリュカに微笑む。


「お客さんですか……。何故だか分からないんですが、ウネッザからの入荷が滞ってしまいまして……。お客さんからの注文もままならない状態です」


「あー、商売あがったりですなぁ」


 リュカは他人事のように笑う。硝子商は苦笑いだけでこれに答えた。


 彼の周囲にある店舗のうち、織物などを取り扱う店舗にそれほどの変化はないように見える。一方、硝子商品は軒並みなく、薬売りの棚にある薬や薬瓶も、種類が少ないか香辛料が極端に減っている。リュカは硝子商の受付にもたれ掛かり、周囲を見回した。


「海からの供給が軒並み少ない、という感じですね」


「アーカテニアからの供給はあるんですよ。だから香辛料は少ないけどあるでしょう?ただ、年や月を跨ぐことが多くて、流通は安定しないんですよね」


 丁度荷馬車が薬屋の前に停車する。硝子商の溜息が一層深くなった。


「あー。外洋航行ですからね。ガラス細工だとウネッザの特産品だから、大層困るってわけだ」


「生活に関わるので」


 硝子商は自嘲気味に笑う。リュカは懐の財布を弄る。そこから数枚の銅貨と一枚の銀貨を取り出し、硝子商の手の前に置いた。


「情報料と思って受け取ってください。妻が出来た時にお伺いしますわ」


 硝子商は口を半分開けたまま、リュカの細い首を見上げる。彼は気だるげに身を起こすと、手を振ってその場を去っていった。


 リュカは来た道を戻り、宮殿に向かって歩いていく。点々とする疎らな人混みは、特定の店だけに集っており、歯抜けのようになっている。


 模造宝石を取り扱う硝子商だけでなく、宝石商の棚も寂しく、また酒店では、ウネッザ経由で輸入されるような新物が殆ど並んでいない。

 宮殿が近づくにつれ、彼の疑念は確信に変わっていく。いまだ影響が拡大していないものの、このまま放置すればいずれ大きな被害につながることだろう。リュカの歩幅がますます広く、速くなっていく。


「どうやら相当まずいことになっているみたいだ……」


 彼は最後には駆け足で、宮殿の庭を通り抜けていった。


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