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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1901年
94/361

‐‐●1901年、夏の第二月第二週、エストーラ領ウネッザ2‐‐

 真っ青な世界を自在に泳ぐ魚たちが、口をパクパクと開閉しながら、降り注ぐ食料の恩恵に与っている。水面に広がる鉄のにおいも、この深さまでは届かない。


 黒い海藻やごつごつとした海底の地面に、古い時代の漁礁が沈んでいる。それは石を積めて沈められたウネッザの英知かもしれないし、無力な人々を水底に押し込めた神の怒りかもしれなかった。


 水底は音に溢れている。ぼこぼこと空気と水が混ざる音がし、プロペラがかき混ぜて前進する際の僅かな駆動音もする。何より、この鋼鉄の密閉空間には、ポォン、という人工的なソナー音が響く。水面を滑る船の音や、同じように水底を這うように進む同志たちの存在が、この音から判別できる。


「嗚呼、わだつみが泣いている……海を割るその罪深さを……」


記念すべき潜水艦の処女航海に同乗したラルフは、思わず言葉を零した。普段のはきはきとした声ではなかったため、同乗者はそれを聞き取ることが出来ない。


 水上では罪なき人々が彼らの商売道具と共に生命線を断たれ、命を脅かされている。嘆き、悲しみの声は聞こえないまでも、ラルフには想像に難くなかった。その指揮をする彼自身が、その有効性と残忍性に煩悶しているのである。


「魚雷は正常に敵艦に命中いたしました!」


「よくやった!それでこそ、プロアニアの男だ!」


 ラルフは船員と拳を突き合う。その分厚い拳の感触に違和感を覚えて、歴戦の乗組員は僅かに顔を顰めた。


「失礼ですが、何かお悩み事ですか!」


 ラルフは口を結ぶ。水兵の瞳はあまりにも真っすぐに、爛々と輝いている。


 一拍置き、ラルフは視線を潜望鏡に戻す。水兵は違和感に首を傾げ、なおも長の言葉を待った。


「……敵は一隻ではないぞ!次の標的は左舷だ!狙いを定めろ!」


 普段通りの快活な声が響く。声にこたえるために、乗組員一同は限界まで声を張って答えた。


「ヤー、キャプテン!」


 水兵たちは持ち場に戻る。もやもやとした気持ちを抱えたまま、「規則の通り」である正義に従って、ラルフの指示に従った。


 ラルフもまた、苛立ちと焦燥感を覆い隠すために、任務に没頭する。『無抵抗の敵艦』を探し出しては、もっともらしい理由を付け、彼らを攻撃しなければならない。そうして士気を上げながら、香辛料と明礬で武装した敵艦に、魚雷を叩きこむ。


(祖国の生存のため、この戦いの勝利は必要不可欠だ……。プロアニアはエストーラとカペルの陰湿な包囲によって飢えに苦しんでいる。これは解放戦争だ。これは解放戦争だ)


 水底の深い青に紛れて、真黒な船体が息を潜める。海上を滑る木造船の航行音に慎重に耳を傾け、ソナーの警笛に細心の注意を払い、海面に向けて伸びる潜望鏡を左右へ動かす。間抜けな魚がレンズの前を横切る。口をパクパクと動かしながら、エラブタを時折持ち上げては、気泡を吐き出している。滑らかな魚体がその場を去ると、潜望鏡は海上にキャラベル船の影を捉えた。


「敵影発見、装填準備!」


「ヤー、キャプテン!」


 船員たちの心地よい掛け声が響く。ラルフにはそれが、水底に蹲る自分を、責めたてているように思えた。


照準が視線の先に重なる。ラルフは深い呼吸で精神を整えた。


「発射!」


 彼の言葉を水兵たちが復唱する。直後水上を真っすぐに駆け上がる魚雷が潜望鏡に映る。海水を掻き分ける凄まじいスクリューが、水中を気泡で満たした。気泡が弾けて消えていくと、潜望鏡は水上を滑る敵艦に一直線で進む魚雷を視界の端でとらえた。

ラルフの内心を罪悪感とも高揚感とも取れる感覚が駆け抜けていく。

次の瞬間、敵艦の船底に命中した魚雷は炸裂し、水上に向けて海水を噴き上げた。真っ二つになった敵艦の残骸が、ぼとりと音を立てて水上に落ちてくる。


ラルフは明確なむかつきを覚え、水兵たちに隠れて口元を覆った。

水泡の残りが水面へ向けて浮上していく。乱反射する日光の柱が、潜水艦へ向かって歪曲しながら伸びている。その後に残るのは、日の光を受けて真っ黒に染まった木片が、水上を漂う凄惨な様子であった。

ラルフは潜望鏡から顔を離し、呆然と前を見つめる。即座に船長がラルフと入れ替わった。


‐‐わだつみよ。私の魂、私の誉を、どうか穢してくれるな。私はいつまでも、貴方の非難を受け容れよう。この罪人に然るべき罪が下りますように‐‐


ラルフは帽子を脱ぎ、胸に当てる。船体はゆっくりと旋回しながら、故郷へ戻る商船に、照準を合わせた。


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