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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1901年

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92/361

‐‐1901年春の第二月第三週、エストーラ、ベルクート宮2‐‐

 その日の会議は、皇帝の到着が数分遅れた。会議室の重苦しい空気は、物憂げな皇帝の動きを一層鈍重にさせた。既に到着していた家臣たちにいつも通りの謝罪を述べると、銀の杖を頼りに玉座に腰かけ、そのまま杖を机に立てかけた。


 皇帝の前に一杯の水が配膳される。口を付けられていない人数分の水差しが揃うと、ヘルムートは咳払いをする。


「それでは、始めようか」


 皇帝の言葉を受けて、ジェロニモが手を挙げる。


「陛下、会議を始める前に、一つだけ、よろしいでしょうか」


「話してみなさい」


「有難うございます」


 ジェロニモがべリザリオを一瞥する。向けられた敵意に満ちた瞳に、海相は思わず眉を顰めた。


「べリザリオ様、そろそろ、私達に明かすべきことがあるのではないですか?」


 カチッ、と振り子時計の鳴る音がする。一同の中からどよめきが起こった。敵対心を剥き出しにしているジェロニモに、べリザリオは大仰に両手を振ってみせた。


「落ち着いて下さい、ジェロニモ様。私には特にやましいことはありませんよ」


「ならば何故、もう一つの御羊の御座へ、足をお運びになるのですか?」


 べリザリオは何かを言おうとして指を振る。しかし、周囲の視線の険しさに思わず表情を強張らせ、アインファクスに視線を送った。当のアインファクスはすまし顔のまま、ベリザリオの言葉を待っている。


 二重の蓋の一つが開くと、もう一つの蓋が空気に晒される。彼も頃合いかとも思っていたが、流石にこの時勢での、この異様な緊張感は骨身に沁みる。


 機械時計の音がカツ、カツと響く。ベリザリオの視線が左右両翼へ泳ぐたびに、ジェロニモの剣幕はますます険しくなっていった。


「ジェロニモ君、ありがとう。そして、ベリザリオ君、隠し事はやめて話してくれ。君が私達を裏切らないとわかっていても、それが重要な事であれば皆で話し合いたい」


 皇帝は静かに手を組み、穏やかな口調で諭す。右に座ったノアが皇帝を不安げに見つめている。


 重苦しい空気を回すために、時計の針は進む。ベリザリオは余裕のない笑みを浮かべ、一同に弁明をするように重い口を開いた。


「既にアインファクス様にはお話ししたのですが……」


 一瞬アインファクスが身震いする。ノアの不安げな視線が彼に向けられた。

 ベリザリオはしたり顔でアインファクスを一瞥し、満足したように、饒舌に話し始めた。


「アビスの教皇猊下と共に、空を飛ぶ乗り物の開発に勤しんでおりました。今、試作段階の乗り物が、アビスの周辺で試験飛行されているはずです」


 驚愕に一同が顔を見合わせる。左右両隣から、不満げなアインファクスに確認の耳打ちがされている。皇帝は手を組みなおし、優しい瞳をベリザリオに向けた。


「空の鯨だね?その他にもあるようだが」


 水晶玉のような澄んだ瞳に見つめられ、ベリザリオは完全に観念する。思えば皇帝の眼は一つではなく、もう一つの澄んだ水晶が複眼を持っているのである。流石に一般の設備にまで皇帝の親愛の証を贈ることはないだろうと高を括っていたが、教皇宮殿にはあるのだろう。彼は普段の余裕綽々とした様子を取り戻し、半ば投げやりな様子で続けた。


「飛行船は我が国でも製造可能ですが、やはり私はもっと速いものを作りたいとこだわりを持っておりましてね。陛下のお目にかかれる日はそう近くはありませんが、どうぞご期待ください」


「楽しみだ。私達もヴィルヘルム君に負けていられないからね。とても喜ばしいことだよ」


 皇帝の言葉に場の空気は一転して和やかになった。アインファクスの両耳からも口が離れ、期待の声が囁かれる。


 その一方で、ジェロニモの眉間は益々深いしわを作っていた。


「ふざけるな!そのような重要なことを、何故先に陛下にさえ報告しない!研究だって、陸軍も注目しない筈がないだろう!戦いを有利に進めるために、少しは協力してはどうですか!」


「貴方が私を信用していないように、私も信用していない人物がいるということですよ」


 ベリザリオは言葉の尻に重ねて語気を荒げた。ジェロニモは机を叩いて立ち上がる。涼しい笑みを怪しげな笑みに取り換えて、ベリザリオが周囲を見回した。


「昔プロアニアには出来のいいスパイがいましてね。それが、当時の第三皇子を拉致した事件が、どうにも気がかりなのですよ」


 妖しい笑みは皇帝に向けられる。ジェロニモの怒号が議場全体を包み込む。陶磁の器や絵画が音を立てて揺れるほどの激しい罵声の後、息を切らせた彼の言葉の隙間を狙うように、ベリザリオは静かに問いかけた。


「皇帝陛下、勿論このことは、国民にご報告等されませんよね?言っておきますが、あの時のスパイも、身分を隠して入国していたのですよ。何があっても不思議でない以上、私は二重の蓋の少なくともいずれかは、閉ざしておくのが良いかと思います」


 ノアが彼を諫めようとするのを、ヘルムートが遮る。


「君の言う通り、念には念を入れるべきだろう。今回は報告を先送りにするよ」


「それが賢明かと存じます」


 ベリザリオはヘルムートに深い礼をする。


「行儀の悪いことこの上ない……」


 アインファクスの独り言は、ジェロニモの怒号にかき消された。


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