‐‐1901年春の第二月第三週、エストーラ、ベルクート宮1‐‐
海軍大臣べリザリオは、軽快に鼻歌を歌いながら、カペル王国に差し出したものとは全く異なる設計図を開く。現在、舞台座では、戦禍の報告が行われている事だろう。
プロアニアがカペル王国の新兵器に手間取っている間に、彼は秘密裏の計画を推し進めなければならなかった。
その為に、彼はこの計画に関して、二重の蓋で、帝国ともカペル王国とも一定の距離を置いていた。その計画が一つ進展したために、今度は自国にしていた蓋を外そうと思い至ったのである。
皇帝が執着する鳥たちの彫像を文鎮代わりに使い、丸まった設計図を広げる。僅かに日が射すだけの小さな窓の光さえカーテンで遮った室内を、真新しいカンテラの灯りで照らす。長身の体を丸めた彼は、設計図の部品一つ一つに至るまで、細かく指で追いかけて確認した。
プロアニアが技術大国として歌われる中で、エストーラは細々と技術を発達させてきた。べリザリオは設計図に残された痕跡の一つ一つを、指先でたどる。まず、鳥の足先にあるのは巨大なプロペラの図解である。このプロペラの下で、さらに彼は設計図をトン、と突いた。
そこには、エストーラではおよそ見たことのない機構が記されている。燃料と空気を入れる空洞があり、この空洞を圧縮する装置が取り付けられている。圧縮装置が空洞を押し込んで空気を圧縮し、そこに燃料を投入する。投入された燃料は圧縮された空気の高温によって発火し、この反動で押し戻された装置の動力が、それに繋がれた連接棒を通して回転運動に変換する。この回転運動によって、設計図上部にあるプロペラを回転させる。指先はこのエンジンの図面を撫でまわすと、そのまま本体の外観へと滑っていく。
二足の車輪に支えられた機体は腕を広げるように両翼を広げ、細い体で十字型を作る。頭部に当たるプロペラは、四枚の羽根が風の抵抗に合わせて若干沿っており、その滑らかさが細くしなやかな機体と相まって優美な雰囲気を醸し出している。操縦桿を持つ操縦室は非常に狭く、土竜の開けた穴のようだが、この中に乗り込みさえすれば、地上からの多くの危険を回避できる。カペル王国へ提供した飛行船が巨躯と鈍重な動きで敵を圧倒する鯨ならば、エストーラのこの飛行機はしなやかで柔軟な駆動で敵を翻弄する蝶である。
そして、ベリザリオはこの新たな乗り物を、最終的には大型化し、商業利用することまでを考えていた。海の盟主ウネッザ出身者として、母なる海の道を蔑ろにするのは複雑な心境ではあった。しかしその一方で、機動力と広い範囲を利用できる安全性と応用力、輸送速度の面で優れた飛行機が、交通の領域に大きな影響を与えるだろうとも確信していた。商売人として、この垂涎の素材を利用したい欲望に駆られない筈もない。二つの感情のうち、彼はより商売人の情が強かった。
彼は愉悦に満ちた笑顔で設計図を撫でると、満足げな鼻息を吐く。これ自体に相当の価値がある。彼の見立てでは、プロアニアでさえこれを欲しがらない筈がなかった。
皇帝が監視する絵画によって獲得した、プロアニアに隠された技術を、長い間エストーラでは解明できなかった。
ところが、76年前に、初歩的な蒸気機関がカペル王国のナルボヌで開発され、この情報がブリュージュを通じて帝国に伝えられると、エストーラでも二か国に遅れて機械式の技術開発が進み始めた。若い時代の負傷によりほとんど寝たきりとなった皇帝シーグルス・フォン・エストーラの熱心な助成活動によって蒸気機関も発達し、ようやく彼らの技術が試作段階に入った。
「ようやくこの大それた秘め事に一区切りつけることが出来たようだ」
教会の鐘が鳴る。幾つかの鐘が奏でるのは、昔ながらの讃美歌である。彼は鼻歌を讃美歌にすり替えて、文鎮代わりの鳥の置物をそっとずらす。幾つも削った跡のある設計図は、届けられた形に従って両端から丸まった。彼は一度広げ直し、丁寧に一本に丸める。浮かれた様子でこれを伴い、小走りで会議へと向かった。