‐‐1895年、春の第三月第二週、プロアニア王国、上級会議室‐‐
上級会議室は、誰の目にも陰気な掩蔽壕にしか見えない、暗く殺風景な部屋である。3畳ほどのスペースの中に、赤い光を放つガスランプと、地図が広げられる大きな机があり、そのほかに横長のパイプ椅子が数点折り畳んで壁に立てかけられている。アムンゼンは、宰相と王より一足先に、この部屋へと到着した。
2つの鍵がある厳重な扉と、地下室への入り口となっている鍵付きの隠し扉に守られたこの部屋は、国家の崩壊までを覚悟した古い時代に作られた最後の隠れ家であり、カペル王国やエストーラとの度重なる戦いの日々を、国王が過ごした舞台でもあった。
アムンゼンは三人分の椅子を用意し、末席に腰かける。彼は再び資料を見ながら、各人の到着を待った。
プロアニアにおける王の命令は絶対である。それはムスコール大公国を除いてすべての国が君主に与えている権限と同じであるが、この国では若干意味合いを異にする。
カペル王国の支配は力による支配であり、それは即ち魔術師の強い血によって王権が保たれることを意味する。翻ってエストーラ皇帝は、第一に「皇帝選挙」があり、この選挙権者の血縁を独占しているエストーラ家による「権力者による支配」である。そこに力は要しないが、帝国領内の力を操る権利が、彼らには与えられることになる。
プロアニアの王は、いずれの場合とも異なり、権力と力を超越した統治がなされている。数の多寡や魔術的素養などは一切関係なく、「ある秩序」のための「王」であり、誰一人として、彼に歯向かうことができないのも、力でも権力でもない秩序維持のためである。王は法であり、法によって王は王となる。国民の意思を繋ぎとめるための鎖以外に、王の存在価値は見出されないのである。
その点、ヴィルヘルムは特異な王である。機械のように事務的な王が合理的な選択をしてきた結果として、プロアニアは発展してきた。しかし、ヴィルヘルムは非合理的なものも好む傾向にある。例えば、彼が特に楽しむのが家臣虐めで、理不尽な法たる彼の前に、家臣はなすすべがない。こうした国王の傾向は、宮廷だけでなくプロアニア国民全体に、人間臭さのようなものを生み出すきっかけも作った。かつてからヒステリックに行われてきた魔女狩りは常態化し、警察組織が各地で権力を振るうようになった。国家全体が、私腹を肥やすということを覚え始めたのである。
アムンゼンはその点、これまでの王の器を持っているように思われた。人を人と見ず要素と見て、国家の運営に助言する。それが、彼に期待された仕事である。
ヴィルヘルムが入室すると、アムンゼンは立ち上がり、頭を下げる。背後には宰相の姿も見られた。
「アムンゼン、君はこの国が勝利をする予測を立てることができるか?」
着座し、開口一番にヴィルヘルムが尋ねる。神経質な様子で、宰相がアムンゼンを睥睨している。
「可能です。こと戦争となれば、我が国は無類の強さを発揮する」
アムンゼンは当然のことを答えるように、ごく自然にいう。地下牢のようなほの暗い上級会議室に、彼の声が反響する。
「具体的には、どのように?」
「我が国には代替の利く大量のマンパワーがあり、逆に資源がありません。つまり、まずは資源を確保すること、これが肝要です」
「言語道断だ!四か国同盟の崩壊は、パワーバランスの崩壊を意味する!カイゼル、もう止めましょう!この男の話は道理に適わない!」
「お黙り」
ヴィルヘルムが宰相のこめかみに拳銃を突き付ける。ひゅう、という荒い呼吸音が何度も響き、安全装置を外す音がこだまする。冷ややかな視線で宰相を見るヴィルヘルムを前に、宰相は脂汗をかいたままで動くことができない。
「続けて」
「我が国直近の資源大国といえばカペル王国ですが、宰相がご指摘の通り、一工夫必要です」
「アムンゼン、君の肩を借りるとしよう」
アムンゼンは静かに頷く。胸を掴んで呼吸を荒げる宰相を尻目に、ヴィルヘルムとアムンゼンは正確無比な地図を覗き込んだ。
主な出来事
ムスコール大公国、大量破壊兵器「ツァーリ・ボンバー」の開発
エストーラ、千年城壁の解体「リングシュトラーセ」の開通