‐‐1901年春の第二月第三週、エストーラ、舞台座‐‐
陛下は劇場の舞台に立ち、今日の犠牲者の数について訥々と語られました。
劇場の舞台を映えさせるための仄暗いシャンデリアの灯は、今はしめやかな祈りの炎と化しております。出稼ぎの為に戦地に赴いた家族を慮る庶民も、息子を送り出した貴族も、皆一様に陛下の途切れる言葉の間を、固唾を飲んで見守っております。
良い報せは早く、悪い報せはなお早く。陛下は誰よりも、自分の知った情報について素早く報告されるお方でした。静かで愁いを帯びた、落ち着き払った口調で、陛下が犠牲者の名前を読み上げます。前線で犬死を繰り返す西側の戦士たちの犠牲に比べて、我が国の犠牲は本当に一桁程度のごく少数で、その多くがコボルト達や、病気がちの老兵のものでありました。
客席で起こる安堵の雰囲気に反して、陛下は前で揃えた手を組み替えて、深い深い、お辞儀をされます。舞台の照明が僅かに前方に動くと、客席に先程の緊張感が戻りました。
「私は、こうしてお悔やみをお伝えするたびに、胸が張り裂けそうになるのです。私がよい判断をしていれば、犠牲にならなかった命があるのではないかと……。そう思うと、いつも、この細い肉体に宿る魂が胸を貫くのです。皆様、どうか元気で、健康でいて下さい。前線で戦う戦士の方々も、それを願っておられるはずですので。そしていつか、良い報せをこの場所で報告できるように……。私は、最善を尽くします」
陛下の礼に合わせて、小さな拍手が起こります。陛下は数分の短い報告を終えると、舞台から降り、そして聴衆も即座に帰路に着きます。ぞろぞろと舞台座の出口に向けて人が集い、それらが完全に散っていくと、陛下は劇場から客席へと戻られました。
皇帝専用の観覧席……豪華な赤のカーテンと、金箔を貼った手摺、オオウミガラスの置物と、ワライフクロウの絵画……。今となっては在りし日の栄光の残滓のような、眩い栄光の数々から、陛下は銀の杖に体重を預けながら劇場を見おろされます。
物憂げで潤んだ瞳は、閑散とした舞台の、下りたカーテンの内側に何を見ておられるのでしょうか。
「……ノア」
数秒の間を開けて、私を呼ばれます。私は即座に、背筋を伸ばして答えました。
「はい」
「何故、この老いぼれが、生き永らえてしまうのだろう」
私には、何も答えることが出来ませんでした。いつにも増して憂鬱な表情の陛下が、僅かに唇を震わせながら続けます。
「西の彼方では、若者がその命を燃やしているというのに。大地に突っ伏して動かなくなるまで、戦うというのに……」
歓喜や祝福の声が響く劇場は、遥か過去のものになってしまいました。今は舞台の上で、年老いた皇帝が臣民に懺悔をする演目だけが、毎日のように公開されています。
「時々考えるのだ。もしヴィルヘルム君が私に乞うてくれたように食料を工面できていたならば、世界は平和なままではなかったか、と。或いは勲章を買い取り、平和の使者であるイーゴリ殿に受勲していれば、少しはヴィルヘルム君も思いとどまってくれたのではないか、と」
陛下は瞼を下ろし、顔を下ろします。銀の杖を持つ手を持ち換えて、自らの皺だらけの手に爪を立てるように強く握りなおされます。
「それは、陛下のせいでは……」
「ノア、すまない。泣き言を言ってはいけないね。今はただ、耐え忍ぶ時なのだろう……」
陛下は僅かに口角を持ち上げて、そう仰います。そのまま杖をつきながら、劇場の長い階段を下って行かれます。
かつ、かつ、と杖が地面を叩く音が、巨大な劇場の中に響き渡りました。遥かな天上の世界から垂れる、シャンデリアの灯が一つ、また一つと闇に溶けていきます。宛ら、命が途切れるように、一つ一つが消えるたびに、劇場は暗くなっていきます。人の影がシャンデリアの僅かな明かりの中を通り過ぎては、また一つ、また一つ消えていくのです。やがて全てが闇に沈むと、陛下は不意に階下から振り向かれました。
真っ赤に充血した瞳、もう2日も昼食を抜かれた、こけた頬が私を見上げておりました。張り裂けそうな胸を抱えたまま、私は陛下の後に続くのでした。