‐‐●1901年春の第二月第一週、カペル王国、ヴィロング要塞5‐‐
プロアニアの強さは統一された面の強さである。戦場の朝はきっちり時間通りに始まり、砲撃は第二歩兵連隊隊長の指示で開始される。機関銃を構えて草原の中で息を潜める前線の歩兵達は、匍匐をしながら敵の射程に近づいては発砲をし、発砲をしては後退する。塹壕の中から顔を出すカペル王国の兵士達は、宛ら土竜のようだ。浮かない表情を地上に出して様子を伺っては、我武者羅に矢を放ってくる。
相手は高射砲の周辺を狙って攻撃することが非常に多い。歩兵部隊は前線で睨みあいを利かせながら、もう一つの作戦を第十四擲弾兵分隊に任せていた。
彼らはプロアニアの仮の拠点裏側から、ダイナマイトや掘削用の巨大なドリルや、様々な工具で地面に穴を掘っていた。彼らは地下から塹壕の下を爆破させ、それに乗じて歩兵達を一気に前進させるという役割を担っていた。相手も同様の方法を用いていることは明らかなので、彼らは慎重に壁面に集音機を当てて確認しては、手早く爆弾をセットする。プロアニア人特有の生真面目な気質の為、カペルの騎士たちのように雑談を交えることは殆どなく、彼らは実に事務的かつ非常に手際よく、掘削作業を続けていた。
地上には凄まじい発砲音が響き、時折地鳴りを起こしていた。しかし、彼らは手を止めることはしない。揺れて地面が剝がれても、彼らはそれが味方の攻撃が敵を打ち砕いていると信じられた。
長い時間をかけて地面を削っていくと、彼らは攻撃地図上の特に抜きんでた位置に、自分たちが前進しているのだと気づく。丁度平均的な弓矢の射程圏内まで入り込んでいた彼らは、いよいよ作業も大詰めと言わんばかりにその手を急いでいた。
反撃の支度が整うと、巨大なアンモニア爆弾を壁に貼り付けるように設置する。敵の足元から緊張した面持ちで、第十四擲弾兵達は爆弾のスイッチに手をかけた。
歪な狭い空洞の中で、兵士達はカウントを始める。塹壕の真下まで続く空洞の壁に、カウントをする声が反響する。
長い導火線が延々と闇の先まで続く。たった数センチの細い導火線には、鉄製のスイッチが繋がっている。戦況を大きく動かす緊張感に、彼らは一様に胸を高鳴らせた。
カウントがゼロになる瞬間、背後で強烈な着弾音が響く。思わず身を竦ませた擲弾兵達は、顔を見合わせて狭い空洞の奥へと進む。彼らは集音機でしっかりと向かい側を確認したが、そこに敵の気配はなかった。
再び味方陣地に何かが落ちる強烈な音が鳴る。しかも今回は、高射砲周辺ではなく、より近い地上に落ちている。彼らは地上で非常事態が起こったことを悟った。高射砲の着弾音も、明らかに普段とは違う場所を目掛けて放っているように思えた。
「急いでスイッチを押せ!とにかく報復だ!」
彼らは慌てて持ち場に戻る。再びカウントを数え、爆弾のスイッチを押した。
地上と地下を貫通する壮絶な爆発音とともに、地盤が崩落する凄まじい音が彼方で響く。顔を撫でる風圧が、砂や石を吹き飛ばしながら、狭い洞穴の中を吹き抜けていく。天井や岩盤の欠片が、頭上へとパラパラと崩れ落ちてきた。
「……どうなった?」
地上からは未だに砲弾の着弾音があちこちで響いている。擲弾兵達は呼吸を整え、恐る恐る崩落した瓦礫の間を登っていった。
機関銃の発砲音が頭上に鳴り響く。前進する同志たちの軍靴の音も、高らかに響き渡っていた。爆心地は細い塹壕の痕跡も残らないほど、巨大で歪な穴となっている。擲弾兵の一人が頭を軽く出すと、混乱した敵兵たちの足が塹壕の間を駆け回っていた。彼は咄嗟に身を引っ込め、洞穴の中に潜り込む。急いで頭上を岩盤の欠片を積み上げて塞ぐと、滑り落ちるように仲間たちのもとへ急いだ。
「あいつら慌てふためいている!穴を埋めながら逃げるぞ!」
短い歓声を上げた同志たちは、一等狭い穴を土で埋めながら、全力で味方の陣地へと走っていく。歓喜と激しい動悸のあまり、彼らは普段より激しく息を切らせながら、光を求めて駆け上っていく。
「傾斜だ!もうすぐ地上だぞ!」
一気に心臓の鼓動が早くなる。走る速度もそれに合わせてより速くなり、強い安堵感によって泥まみれの顔に表情が戻る。
彼らの目前に光が差し込む。地面を蹴るたびに、同志の顔に土がかかろうと、彼らは興奮に任せて地上を目指した。
「作戦成功……!」
土に汚れ、煤で黒ずんだ顔が、晴れやかな表情で地上に身を乗り出す。
その場所には、無数の鉄球で潰された本陣の変わり果てた姿があった。
彼は思わず硬直し、言葉を失う。彼の頭上を巨大な楕円の影が覆い始める。恐る恐る顔を持ち上げた。
遥か上空に、空を埋め尽くすほどの巨大な楕円の物体が浮かんでいる。雲によく似た真っ白な体は、時折形を揺らしながら、空を気まぐれに漂うように、ゆっくりと頭上を通過していく。
「鯨……?」
白い物体の影が暗く濃くなっていく。やがて彼の頭上目掛けて、無数の鉄球が空から降り注ぎ始めた。
彼は洞窟へと逆戻りする。地上と洞穴を繋ぐ小さな出入口は、巨大な鉄球の礫によって圧し潰された。