‐‐●1901年春の第二月第一週、カペル王国、ヴィロング要塞‐‐
そこに居並ぶは忠義の人、ただ清浄なる心の戦士
守るべきは彼らが祖国、討つべきは悪しき侵略者
大蛇の守る道を越え、槍と剣を携えて
禍振り撒く煙を断ち切り
征け、己が義を貫くために
騎士たちが居並ぶ壮観さは時代を問わない。ヴィロング要塞には、若い魔導騎士たちが、古い城の中で整列していた。
彼らは自分の領主の指示に従い、ヴィロング要塞から交代で地下へと向かい、地上のプロアニア軍らに打撃を与える任務を任されていた。
「もう私の番かぁ……」
「おい、怒られるぞ」
若い騎士たちは、短く切り揃えた自慢の金髪を、アーメットの中に隠している。帯びた剣もまだ真新しく、錆は勿論、手入れの跡も多くはない。木製の槍に慣れた無骨なフルプレート・アーマーは、ぎこちなく指を開閉させながら、任務の時を待っている。
要塞の広い兵営には、カンテラの灯りと彼らの装備の輝きで明るく照らされている。彼らの前には、太った騎士が窮屈そうな装備を身に纏って腰かけている。
「諸君、今日も良く励み、祖国を守るように」
太った男の一声で、騎士たちの背筋がピンと伸びた。張りつめた空気の中で、彼らは威勢よく返事を返す。
「はい!」
派手な火鼠紋のマントをなびかせた太った男が、細い視界から目を爛爛と輝かせている。5秒間、騎士たちの姿勢が崩れないことを確かめると、彼は良く響く声で続ける。
「よろしい、行ってきなさい!カペラのご加護がありますように!」
「はい!」
騎士たちが一斉に城を出発する。男は暫くその背中を見送っていたが、彼らが完全に見えなくなると、素早くナッツの入った袋を取り出し、数粒を摘まんで口に放り込んだ。
「さて、俺も頑張らなければ!」
ボリボリとナッツを噛み砕く音だけが響く。若き騎士たちの主にして、アンリ・ディ・デフィネルの親友、マルタン・ディ・ケルナーは、ブローナ城から最前線のヴィロングへと、危険な任務へと自ら名乗り出た。それは彼が、自分が適任者だという自覚からくるものであった。
戦場には激しい発砲音が響く。塹壕の戦士たちを、小さな窓から真っすぐに見つめながら、マルタンはひたすらナッツを噛み砕いている。
マルタンのいる要塞の狭い窓からでも、プロアニアの巨大な高射砲が彼方に目視できる。見渡しのよいヴィロングの平原に聳え立つ巨大な鋼鉄の塔は、一定間隔で弾を放っては、要塞の前や、塹壕の前に着弾する。その様を目敏く見つけては、彼はナッツを口に放り込んだり、嚥下したりした。
窓を覆うほどの精度の良さで、ヴィロング要塞へ向けて砲弾が迫りくる。彼は指を舐め、暗くなる窓をじっと見つめる。
すると砲弾が僅かに逸れて、ほぼ直角に落ちていった。
「ナッツはまだあるかい?」
彼は従者にナッツをせがむ。従者が難色を示すと、「残念」と呟いたきり、狭い窓の方に視線を戻した。
高くそびえる高射砲は、さながら伝承として伝わる塔のようであり、前線は切り取られた絵画のようにも見える。白い雲と青い空の間を割く不気味な人工物が、快晴の空へ向けて鉄の雨を降らす。彼は冷静にそれを見つめながら、届きそうで届かない弾丸の不気味な軌道を見つめている。
もっとも、砲撃を受ける本人はその軌道を半ば楽しんでさえいた。
「お腹が減るのだけは勘弁だ……。戦士の娯楽はうまい飯に限るからね」
彼はそう呟き、懐から自前のナッツを取り出した。彼は先程の大胆さをやめて、一粒一粒をゆっくりと口に運ぶ。それを何度も咀嚼するうちに、迫りくる弾道を読み取った。
難攻不落のヴィロング要塞だが、地の利は決してカペル王国にとって有利なものではなかった。広い平原地帯を見渡すことのできる監視塔、突き出し狭間の類はあれど、見渡しの良さはプロアニアにとっても変わらない。遮るもののない高い空を、弾丸は自在に飛ぶことが出来る。草原も風に靡くので、弾の軌道は目視でもそれなりに読み易い。まして、三世代は前に機械化されたプロアニア人の演算能力は優れたもので、素人の兵士達もそれに従順に従うのである。
しかし、不思議なことに、ヴィロング要塞に砲弾が直撃する例は殆どない。そして、それがマルタンのお陰だというのを、彼らは知る由もない。
目に見えない薄い壁を軌道に合わせて断片的に張り巡らせることで、弾の軌道を微妙にずらす。敵から見れば軌道が極端にずれることはないうえ、前線には時折着弾する。徴兵が当たり前で、素人の兵士が多いプロアニア兵ならばなおさら軌道の変化に気づきづらい。まして、上官に意見できる者は、プロアニアの一般兵にはいない。マルタンの防御魔術は、違和感に気づきにくくばれにくいので、国境の継続的な守りには適していた。
とはいえ、彼の疲労も相当なものとなる。それだけにナッツは手放せないのである。
「そろそろ来るだろう。俺も少し疲れたよ」
広い石造りのパレスに居座りながら、ナッツを食べるだけの怠惰な城代は、若き騎士たちが地下に到着するのを今か今かと待ち望んでいる。すると、空がにわかに暗くなり、プロアニア高射砲の頭上に氷の塊ができ始めた。
「お、今日は氷の魔法かぁ。涼やかでいいね!」
誰もいない室内で、彼は親指を立てる。弾丸が塹壕の近辺に着弾し、砂埃が巻き上がる。機関銃の発砲音が絶え間なく続いている。
氷は十分な大きさで白い雲の付近に出来上がり、自分の重さに任せて落下を始める。要塞に照準を合わせた高射砲が、それを覆いつくすほどの氷塊に圧し潰された。