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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1895年
8/361

‐‐1895年春の第三月第二週、プロアニア王国、ゲンテンブルク‐‐

 1895年春のその日も、王都ゲンテンブルクには深い霧が立ち込めていた。煤の香りが充満した平屋の工場群の間を、人々は忙しなく進んでいく。都市全体が奇妙な緊張感に覆われており、普段からよく耳にするような、子供が鞭打たれる音が、その日はさらに多く聞かれた。


 地上移動用の秘匿されていない高級馬車は、宮廷でも『足が遅い』と評判が悪い。そんな早馬に曳かれながら、民族衣装(スーツ)の男が、片手で漆喰を塗った杖を弄んでいる。


「今日という晴れの日に、なんと空は陰惨な顔を見せるものだろうか?」


「閣下、それはこの度空を晴らしたのが、ムスコール大公国だからではないでしょうか」


 背の低い、いかにも紳士的な男が答える。閣下と呼ばれた男は、整えた口髭を摩り、眉間に深いしわを寄せた。


「技術部の連中もまともな仕事をしないなら、予算を削ると伝えておけ」


 馬車は速度を緩め、広い敷地を持つ「バラックの宮殿」へと到着する。『皇帝』ヴィルヘルム・フォン・ホーエンハイムの居城、ゲンテンブルク城の頭上には、工場から降り注ぐ、分厚い煤煙が立ちこめていた。



「いい加減公用道路で車を走らせてはどうかね?どうせカペルやエストーラには、同じものは作れまい」


 宮殿に入城してすぐ、宰相は交通相に苦言を呈する。額の広く肩幅の狭い貧相な風貌の交通相は、しきりに頭を下げて、これまで通りの煮え切らない返答を返した。

 背の低いバラックの宮殿であるゲンテンブルク城は、内装を豪華に着飾った接待用の会議室と、極秘情報について話し合う非公開の上級会議室がある。このせっかちな宰相にとって、今回の緊急会議を公開会議室で行うことは屈辱というほかなかった。


「アムンゼン、なぜ公開会議室で、重大な会議をしなければならない?」


 宰相は、馬車で連れ添った背の低い紳士に耳打ちをする。華美な装飾のある会議室までの道を、アムンゼンは目的地に視線を向けたままで歩いていく。


「それは、此度の発見がムスコール大公国によって『公表』されているからに違いありません」


 アムンゼンの耳元で、深い唸り声が響く。大工の神ダイアロスの説話を伝える、無意味な絵画の群れが、彼らの眼前に姿を見せ始めた。


 宮殿に不釣り合いな大きな扉が目前に迫ると、宰相はますます苛立った様子で、歩幅を大きくする。


「陛下はいらっしゃるのか?」


 尋ねられた衛兵は小さく頷く。宰相は乱暴に兵士の頭を掻き撫でてから突き飛ばし、門扉を勢いよく開け放った。


国王陛下(カイゼル)、今日も随分とお早いですね」


「私は会議が好きだからね」


 宰相はヴィルヘルムの隣に座る。アムンゼンは末席まで早足で移動した。

 ヴィルヘルムは、老いぼれた、その上小心者のエストーラ皇帝を忌み嫌い、家臣には自らを皇帝(カイゼル)と呼ばせている。29歳の彼は皇帝の冠の代わりに鉄兜を、錫杖の代わりに拳銃を持ち歩いている。さながら軍人といういで立ちの彼は、陸軍相たるアムンゼンのことを、殊の外気に入っていた。


 無愛想なアムンゼンは末席に座るとすぐさま会議資料を取り出す。ボールペンをノックして起こすと、資料の隙間に顔を挟むかのように中身を覗き込んだ。


「アムンゼン、猫背だよ」


「結構。猫は好きなので」


 アムンゼンは無愛想に答える。彼の回答が面白かったのか、ヴィルヘルムはからからと大きな声で笑った。


 公開会議室での会議は、ムスコール大公国の政府にも議事録を送る取り決めとなっている。秘匿主義のプロアニア王国は、この会議室で簡単な式辞を述べた後、本番を上級会議室で行うものと認識していた。


「しかしカイゼル、斯様な事態となっては、我々も開発を急ぐよりほかはありません」


 宰相が貧乏揺すりをしながら言うと、ヴィルヘルムは列席者をぐるりと見回してから、空席がなくなったのを確かめた。


「そうか、そんな時間か。そろそろ始めなくては」


 家臣たちが一斉に立ち上がり、頭を下げる。他国のそれと比べて貧相な玉座から、ヴィルヘルムは左右に視線を回す。


 紺と黒の民族衣装(スーツ)が、家臣たちを背景の外壁であるかのように統一する。ヴィルヘルムはゆっくりと立ち上がると、自分よりも20は年上の宰相から順番に、その肩を叩いて回った。


「権力は一つに集中するほうがいい。そうは思わないか?」


 礼をするアムンゼンの耳元で、ヴィルヘルムは囁いた。アムンゼンの視線が一瞬動く。頭を下げる高齢の家臣たちは、顔面蒼白で身を震わせている。国王は涼しげな表情で、返答をしないアムンゼンの肩から手を離した。


 そうして一同を労わるように肩を叩いて回ったヴィルヘルムは、最後に貧相な玉座にかけなおし、ゆっくりと足を組んだ。


「面を上げよ。着座をしなさい」


 家臣たちが一斉に言葉通りの行動を起こす。皆薄っすらと額に汗をかき、目を見開いている。一人表情を変えないアムンゼンは、ヴィルヘルムの言葉を待っていた。


「この度の緊急会議の議題は、ムスコール大公国の開発した強大な兵器についてだ。今や彼らは全世界にその威容を公表し、戦争の抑止力となることを発表した」


「平和は喜ばしい事です、わが同胞もこれを分かっていることは、何よりうれしく思います」


 外務相が答える。アムンゼンは二度頷くと、大蔵相に視線を移した。大臣は身を竦ませ、慌てて全員に資料の頁を指定した。一同は資料をめくる。大蔵相はきまりが悪そうに続ける。


「我が国の至宝にも匹敵するほどの偉大な発明であることは疑いありません」


 彼の奇妙な言い回しに、ヴィルヘルムは片眉を持ち上げる。家臣たちは誰もが無言で、大蔵相に同情の視線を送った。

 彼のかいた大粒の汗が、鼻の上から滴り落ちる。資料に汗が滲むと、そのさまを見下ろしながら、大臣は瞳を潤ませていた。


 ヴィルヘルムは三拍おいて鼻を鳴らすと、科学相のほうへ視線をずらした。


 つい先日50を迎えた高齢の科学相は、落ち着きなく手を組みなおして、自らの口を覆うようにしている。ゲンテンブルク王立科学研究所長が彼に耳打ちをすると、科学相は目をひん剥いて所長を睨み、一拍おいてヴィルヘルムに向き直った。


「我が国とムスコール大公国の関係は盤石です。ゆえに」


「君は専門家としての自覚が足りないようだね?」


 ヴィルヘルムは科学相の言葉を遮る。その視線はごみを見るような辛辣なもので、科学相は覆った手の下で、「失礼いたしました」とくぐもった声で返した。


 工場の群れから休憩の合図が響く。煤煙越しに震えた空気は議場まで届き、扉越しには衛兵が交代をする際に敬礼をする、衣擦れの音が聞こえた。

 科学相は何度か周囲をぎょろついた瞳で見回したが、汗がいよいよ手元に溜まってくると、たまらず目を瞑って続けた。


「陛下、我が国は既に兵器の研究開発を始めています。恐らく近いうちに……具体的には3年もすれば、同等かそれ以上の兵器の開発ができるでしょう」


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 科学相はもはや限界という風に天井を仰いだ。ヴィルヘルムは対話相手がそうしていたのを真似して、口元を覆うように手を組む。その目は、相手と違って弧を描いていた。


「我が国は他国との関わりが薄い。その中で、ムスコールブルクの大公陛下と手を取り合って、長い事技術の研鑽に励んでこられたのは幸運なことだ。子が親離れできたというのに、親が子離れしないというのはどういうことか?」


 ヴィルヘルムはくっくっと笑いを漏らし、科学相を睨みつける。研究所員が彼と視線を合わせないように、資料に目を下ろした。


「今後とも、この友好な関係は変わりなく続いていくことと存じます」


 外務相は口を挟む。ヴィルヘルムは彼に視線を向けると、手から見えるほど大きく口角を持ち上げた。


「まったく眩しい友情だ」


 外務相はすまし顔で科学相に視線を向ける。今にも崩れ落ちそうな同じ年頃の男は、彼に向けて力のない謝辞を送った。


「さて、軍事といえば、ケヒルシュタインの港の件はどうなったかな?」


 ヴィルヘルムが海軍相に視線を送ると、彼は自信ありげに分厚い胸板を見せつけた。


「ヤー、カイゼル。我が国の防備は盤石です。一時不審な船舶の接近も確認しましたが、わが軍は一切被害なく、威嚇射撃で退却させました」


「結構。では、この度の兵器については?」


「ヤー、カイゼル。海の上での使用は難しいでしょう。何故なら、わが軍が強力であるとはいえ、同兵器を軍船の殲滅に利用するには、開発費がかかりすぎます。量産も現状では難しいことを考えると、使用するにしても上陸前の露払いでしょう。その上陸を、我々が許さなければよいだけです」


 海軍相は胸を張って答える。ヴィルヘルムは納得したように何度も頷き、小さく拍手をして見せた。相に満面の笑みが咲く。この拍手は、予算の追加を意味するものであったからだ。


「道理だね。アムンゼン、君はどう思う?」


 ヴィルヘルムは再び視線を動かす。一人末席に座るアムンゼンは、資料を片手で持ちながら、ペンを回している。


「まず、この兵器が我が国の脅威となることは少ないでしょう。ムスコール大公国の民は戦争を嫌う雷の民です。次に、もしもその兵器が我が国に放たれた時の被害についてですが、それは甚大なものとなりましょう。例えば首都直下に落ちれば、我が国の主要な工場、兵廠は壊滅的な打撃を受けることが予測されます。そのうえ、我が軍の主要な戦術は兵力を集中させた一点突破か、辛抱強い籠城戦に頼らざるを得ません。よって、もし主戦場に放たれたならば……わが陸軍は壊滅することとなるでしょう」


「随分と軽く言うね。プロアニアは滅んでも良いと?」


 ヴィルヘルムが猟奇的な笑みを浮かべる。各大臣がどよめき、アムンゼンへのフォローを出そうかと口を開いた。アムンゼンは、動じる様子もなく答えた。


「簡単なことです。我が国は平和を望んでいる」


 ヴィルヘルムは満足げに頷く。大臣たちは顔を見合わせて、思い思いに絶望の表情を浮かべた。


「以上が、我が国の総意だ。閉場としよう」


 大臣たちが一斉に立ち上がり、最敬礼をする。ヴィルヘルムは再び、彼らの肩を叩いて回る。


「詳しくは、上級会議で聞こうか」


 ヴィルヘルムはアムンゼンの耳元で囁く。彼が先に退場を果たすと、議場に大きな安どのため息が零れ、科学相が外務相へ頭を下げる様子が見られた。

 アムンゼンは一人、資料を持ち上げて立ち上がる。彼は早足で過剰に装飾された議場を後にし、宮殿で最も狭く暗い、上級会議室へ続く廊下を進んでいった。


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