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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1900年
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‐‐●1900年秋の第二月第一週、プロアニア、ケヒルシュタイン‐‐

 プロアニアでも有数の鉱山を有する、ケヒルシュタインの街には、今日も硫黄のにおいが漂っていた。町を囲い込む海と鉱山は、天然の要塞として役立ち、軍港としての役割も担っている。

 近年では国営自動車製造会社の本社が設けられ、軍事・経済・産業のすべての面での重要性が増した。元より北の玄関口としての役割を担っていただけに、ケヒルシュタインには更なる繁栄の予兆が垣間見える。


 一方で、王国の軍人にとっては、ケヒルシュタインの役割の変化が、国家の命運へ対する焦りとなって重くのしかかっていた。古い鉱山跡に残るトロッコと廃線路、崩落した廃鉱山の入り口、煤煙と混ざる古い鉱泉のにおいは、プロアニア最大の資源都市としての夢の跡である。

 海軍大臣であるラルフ・オーデルスローは、機械化された埠頭の冷たい潮風に当てられながら、沈みゆく夕日を眺めていた。


 若きカリスマ、アムンゼン・イスカリオによる急進的な政策と奇襲戦争を基盤とした電撃戦により、国庫に再び溜まりだした資金は再び右肩下がりを始めた。ラルフとて、現状の食料自給率を改善する方法について、憂いを感じないわけではない。しかし、軍人としての矜持が、彼と宰相閣下とでは全く異なっていた。


「サー・ラルフ!お疲れ様です!」


 セーラーに身を包んだ若い軍人が敬礼をする。埠頭から視線を外したラルフは、覇気に富んだ溌溂とした青年に、同様に敬礼を返した。


「いつもお勤め御苦労!君たちのお陰でプロアニアの海は平穏だ!」


「ヤー、キャプテン、鬼畜枯花には負けられません!」


 青年ははきはきと答える。ラルフは頼もしくもある青年に対して、思わず表情を曇らせた。

 鬼畜枯花とは、エストーラ・カペラの嫩葉同盟を揶揄した言葉である。彼は、こうした汚い言葉を敵に浴びせる兵士が、実に多くなったと感じた。


 ラルフは改めて姿勢を正し、丸く澄んだ瞳を向ける青年兵士に向けて威厳ある声で投げかけた。


「いいか青年!君たちは国を担う若者だ。この国を守る誇り高き戦士であれ!決して、敵に打ち克つ為に、卑怯なことをすることのないように!君たちが立ち向かうべきは、自らの邪な心だけだ!」


「ヤー、キャプテン!失礼いたします!」


 青年は訓練された姿勢で、持ち場へ戻っていく。ラルフはその背中を見送ると、腕を組み、水平線の向こうに浮かぶ太陽に向かい合った。


 茜色の海の上を、カモメが飛び交っている。彼らは真っすぐに首を北へ伸ばして、群がりながら茜色の上を泳いでいた。


 第二次ブリュージュ侵攻の件について、ラルフは快い印象を抱いていなかった。彼は国の為に戦う戦士としての誇りを、侵略者というレッテルに奪われることを嫌ったのである。


「この国は変わってしまったのだろうか……」


 戦争について、自国のエゴが絡むことは致し方ないことである。破綻した論理によって相争うこともまた然りである。しかし、彼はそうであるにしても、誇り高きエゴイズムをぶつけ合うべきであろうし、双方に一方的な押し付けがましい理論の武装によって戦うのではなく、双方がその誇りに命を賭けるべきであると考えていた。

 それらは、プロアニアを最大の国家とするべく侵略行為を続ける、アムンゼンのやり方とは相いれない。国王の高慢さと言い、アムンゼンの乱暴さと言い、彼は今の祖国を愛することが出来ないでいた。


 彼は深い思案の末、国王からの直々の命令に、ついに行き着いた。


 ‐‐カペル・エストーラ間の補給路を断て‐‐


 プロアニアが優位に立つために、戦争の絶対的な勝利の為に有効な打撃を与えること。その為になら多少の民間人の犠牲も厭わないということ。国王の命令は国家にとって大いに有益で重要な、ラルフ率いる海軍が恐らくもっとも活躍するであろう最適な命令である。

 しかし、ラルフの求める正義には悖る行為である。補給路を断つということは、そのまま市民を巻き添えにして、戦場の勇士と無関係な者たちを絶望と困窮に陥れよ、ということに等しい。護国の誇りをかなぐり捨てて、王の傀儡として仕える自分に、果たして義があるだろうか?


 ラルフはそのあまりの正論に煩悶し、故郷の沈みゆく夕陽を、目を細めて見送る。夜は東の空に漂い始め、古い鉱山の前に立つ、終業の鐘が天高く響き渡った。


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