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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1900年
75/361

‐‐〇1900年秋の第二月第一週、カペル王国、アビス‐‐

 遥か高くに聳える教皇庁に燃える、不滅の炎が町を見おろす。穢れのない空へ向けて、白い尖塔が伸びていた。


 オルクメステスは朝課の祈りを終えると、聖堂の前に配備した僧兵に、厳しく時間を守るように言いつけをして、肩を怒らせながらアビスの大聖堂を飛び出していった。


 オルクメステスにとって、朝の眩い日差しは目に悪い。彼は眉間に深いしわを寄せ、馬車に飛び乗ると、御者に対して乱暴に言い放った。


「とにかく早く、ダンドロ銀行アビス支店へ!」


 御者は直ぐに手綱を握り、馬車がアビスの街を進み始めた。

 以前と比べて人通りが少なくなったアビスの市場には、客寄せの声よりも多くの職探しの声が響いている。救貧院での炊き出しも満員御礼状態で、ブリュージュからの流通の重要性が身にしみて感じられる。

 とはいえ、エストーラからはナルボヌ・ウネッザ経由で物資が来るし、教会に収められる税金も減ったとはいえ決して少なくはない。寄進料が激減したのは大打撃であったが、聖務庁としては切り盛りのしようがないわけではなかった。

 戦争の打撃を受けた庶民に比べれば、オルクメステスは自分の幸運に感謝することの方が多かった。


 ダンドロ銀行に馬車が到着するなり、彼は乱暴に飛び降りて、扉をこじ開けた。息を切らせ、血相を変えた教皇の姿を、行員たちは驚愕の目で見ている。やがて呼吸を整えた教皇は、受付へと早足で向かい、前のめりになって尋ねた。


「ベリザリオ・デ・コンタリーニ氏は来られたか」


「少々お待ちください」


 受付が頭を下げ、それを受けて役員が走る。既に命令が行き届いているのか、5分もしないうちに談合室の準備が整ったようである。


 教皇はほとんど顔パスで銀行員らに道を譲らせた。彼が歩くたびに床がずん、と音を立てるので、彼が来たことは直ぐに行内に知れ渡った。


 一方で、既に談合室で待機していたベリザリオは、手持ち無沙汰に足を組み替える以外にはほとんど音を立てずに、客人を待っていた。

 教皇が談合室に到着すると、ベリザリオは気さくに片手を挙げて挨拶をしてみせた。


「教皇猊下。今日もお変わりないようで」

「君も、無事で何よりです」


 二人は軽い挨拶を交わすと、そのままソファに深く腰掛ける。受付の従業員がコーヒーを持ち寄って二人に配膳すると、二人はようやく本題に入った。


「カペル王国はお変わりありませんか?」


「国境以外は静かなものですよ。少々観察がしにくくなったのは残念ですがね」


「猊下が聡いお方であるお陰で、こちらの研究も捗ります」


 ベリザリオは一枚の巨大な紙を懐から取り出し、スクロール状の紙から、革ひもを解いていく。革ひもはコンタリーニ家の紋章と共に取り除かれ、スクロールの紙は机一面に広げられた。


 オルクメステスが小さな歓声を上げる。ところどころに修正の痕が残る羊皮紙には、鯨のような巨大な布の下に、人が何人も乗れるほどの大きな籠が描かれていた。


「この楕円状の袋の中を、空気より軽い物質で満たせば、恐らく空を飛ぶことが出来るでしょう」


 それはごく単純な構造であった。空気との重みの差が空を浮かばせるというもので、舵を切れば、ゆっくりとではあるが方向転換もできる。動きは決して速くはないが、高度を調整すれば、殆どの攻撃を避けられるだろう。オルクメステスはその設計図を注意深く眺め、必要な要素を読み取ると、ベリザリオに視線を戻した。


「君、空気より軽い物質というが、そうした物に覚えはありますか?神が満たした物質の外側に、物質があるなどと仰せにならないように」


「そこはそう。実は我が国の鉱山から良い物質が見つかりましてね。こちらは動力を整える必要がありますが、貴国ならばすぐにでも実用可能ではないでしょうか」


 ベリザリオはそう言うと、透き通った小瓶一杯に詰められた気体を指し示した。オルクメステスはそれを不思議そうに眺めている。ベリザリオは指を踊らせながら、瓶一杯の気体についての解説を簡潔に述べた。


「まだまだ研究不足ではありますが、この気体は不燃性で空気のように燃えることもありません。浮力に耐えうる重さなど、ある程度調整は必要でしょうが、ひと先ずはその小瓶一杯で、どの程度の重さを浮かせられるのか試さなければなりません」


「つまりは、未だ手探りの段階だということですか」


 ベリザリオは大仰に首を振って項垂れる。それは、研究に必要なものについて工面を求める際の常套手段であった。


「なかなか苦慮しております。分かり次第ご報告いたしますが、もうしばらくお待ち頂けますでしょうか」


「いいでしょう。ですがお忘れなきように」


 オルクメステスはこめかみを抑える、独特な祈りの仕草をする。


「この問題を早期に解決するには、こちらが圧倒的な力を持つ必要があります。プロアニアが陸の文明である以上は、我々は上から捻り潰すしか方法がありません。それだけに、兎に角早急に実用化をしたいのです」


「ご安心ください、教皇猊下。理屈さえわかれば、あとは実用化を目指すだけです。研究を急ぎ、良い報せを心待ちにしてください」


 ベリザリオはそう伝えると、懐から空の麻袋を取り出した。オルクメステスはこめかみを抑え、金貨を入れた麻袋を差し出す。ベリザリオもこめかみを抑えて応じ、上目遣いで教皇の尊顔を仰いだ。


「お互いに、神のご加護がございますように」


 ベリザリオの言葉に、オルクメステスは不機嫌そうな顔で頷いた。


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