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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1900年
71/361

‐‐1900年夏の第一月第二週、エストーラ、ベルクート宮2‐‐

 皇帝の日課である水晶の確認は、最早一日の初めだけに留まらなかった。エストーラの芸術家たちが魂を込めて作り上げた傑作の数々を、プロアニアの人々はにやつきながら眺めた。


 彼ら曰く、正確性において写真機に劣る、絵画の歴史的価値は低く、絵画は誤謬や不正の素になるという。遠近法の基礎もなっていないと笑う人々がその手に持つのは、プロアニアにおける最新の測量技術に関する論文である。彼らは日毎自らの持つ知識を披露しながら、後進的な芸術作品を指さして笑った。


 皇帝の心はますます弱っていったが、それ以上の収穫があった。プロアニアの人々の言うとおり、測量の分野において、正確な距離を算出するための研究は遅れていたのである。

 裏を返せば、彼らは皇帝に直接、その手法を伝授したのである。彼にとって、これほど素晴らしい教員もいなかった。あとは膨大な情報の取捨選択だけが残るが、それは即位後に語学と共に叩きこまれた帝王学の中にある一分野に過ぎない。重要な点だけを吸収することは、造作もないことであった。


 かくして、皇帝の纏めたプロアニア的な正確な測量術は、陸軍大臣ジェロニモからトップダウンに一般兵士まで伝えられ、特に砲手や工兵達には正確な文言で伝えられた。


 こうした研究の末、プロアニアにあった幾つかの数学的な知見や物理学的な知見は、エストーラの軍人たちにとっての友人となった。


 しかし、特別展示は有限である。皇帝は、ある日の夕方、彼らの絵画が持ち出される瞬間を目にした。


「なんだ……?」


 ヘルムートはその奇妙な出来事に不安を隠せない。閉館間近の、鮮やかな茜色が町に降り注ぐ中、彼の眼はゲンテンブルクの暗い空の下に出た。


 霧雨館公会堂の中央広場には、チケットを手にした見物人達が、自前の椅子や飲み物、重そうな麻袋を抱えて待機している。皇帝が前のめりになり中央広場を眺めると、彼の眼は、積み上げられた額縁の山を見た。


「まさか……。待て、待ちなさい!」


 思わず悲痛な声が漏れる。届くことのない声が、透明の中に虚しく響いた。震わせた空気が届くより早く、プロアニアの軍人たちは瓦礫のように無秩序に積み上げられた額縁を指し示し、聴衆に向けて説いた。


「さぁ、紳士淑女諸君!ここに積みあがる瓦礫の山は、目に付くばかりでくその役にも立たない!皇帝陛下が犬の散歩をする様に、さぞ似ていることだろう!」


 水晶から割れんばかりの笑い声が響く。サーカスの進行役がするように、兵士は大仰に額縁の周りを歩きながら続ける。


「我が国には有用な化石燃料があるが、これらは一度土に埋もれても私達を支えてくれる。果たしてこの芸術たちが、何の支えになっただろうか?せいぜいが、メモ書きに使われるくらいだろう!」


 兵士はそう言うと、額縁の山を蹴飛ばした。鈍い音を立てて、木製の額縁が崩れて落ちる。彼の眼は瓦礫の上を滑りながら、衆目に晒される。


 凍てつく視線が真っすぐに、先人達の魂を見おろしている。無表情の者、伏し目がちな者、零れる笑みを耐えられない者たちが、不完全な芸術の末路を待ち望んでいた。


 日は傾きゆく。彼の眼のまえに、軍靴が立ちふさがる。


「さぁ、メモ書きの半分を無駄にした彼らには、報いを受けてもらわなければならない。我々にとって貴重で希少な限りある資源を、半面も無駄にした者たちは、報いを受けるべきだろう!」


「やめてくれ……!どうか……!」


 軍靴が持ち上がり、彼の眼の上に覆いかぶさる。耐え難い音とともに、視線が上へと折れ曲がり、視界が泥に塗れる。鉄兜の下にある、冷ややかな瞳が彼を見おろしていた。

 聴衆から歓声が上がる。背後からバチバチと、炎が猛る音が響いた。


「やめろぉ……!」


 皇帝の声は宙を舞い、町の彼方から再びこだまする。水晶の中をたちまち炎が包み込み、やがてぷつりと視線が消えた。


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― 新着の感想 ―
[一言] なんということでしょう…。 双方の国の立場から物語を読み進めたうえで思うことは、プロアニアの人々の眼差しの残酷さです。 よりにもよって、エストーラが大切に育ててきた文化を踏みにじる、その行為…
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