‐‐1900年夏の第一月第二週、プロアニア、ゲンテンブルク‐‐
ゲンテンブルクの中心部には、二つの川に囲まれたごく小さな洲が存在する。この洲には、ゲンテンブルクの市議会を行う為の施設である、霧雨館公会堂と呼ばれる古い建物群が建っている。そして、この霧雨館公会堂の中には、様々な地域からの出土品や芸術品を集めて保管する、展示設備が存在する。
この、普段は疎らに人が訪れるに過ぎない、霧雨館公会堂附属博物館に、今日は長蛇の列があった。建物の入り口から橋の上まで続くそれを作った民衆は、博物館での特別展示を心待ちにしている。
開館と同時に人の行列が建物に雪崩れこむ。敷地内にある古い礼拝堂だけは、普段と変わらず閑散としている。
特別展示は南西の建物で開催される。急傾斜の屋根を持つ、地面より数段高い均整の取れた建物の中には、プロアニア王がブランドブラグ辺境伯と呼ばれていた時代まで遡る、皇帝からの下賜品や、エストーラの芸術家が作った彫刻、さらに多くの贈り物の絵画などが展示されていた。
法典と秩序を愛するプロアニアの人々はこうした展示品について一つのテーマを設けて展示することが多い。それは諸外国では非常に珍しい展示方式で、特にカペル王国やエストーラでは、収集家の興味関心と見栄によって、雑多で多様な世界を一か所に集約する。
プロアニアの神経質ともいえる秩序崇拝は、こうした個人による無秩序の露呈を許しはしなかった。見せるべきものには順序立てをし、精緻に組み立てられたテーマで一点一点を結びつけ、一つの結論へと観覧者を導くことが求められた。
そして、霧雨館公会堂に集められたプロアニア各地にある芸術作品の数々も、そうした一つのテーマを基に作られたのである。
先ず、観覧者達は、薄暗い室内に座るダイアロスの像を目の当たりにする。腰を下ろし、片膝をついて、直向に鉄を打つ彼らの主宰神の像である。
その隣には、軍神オリエタスが佇み、遥かな空を見つめている。
彼らの間には白い解説用の看板が掛けられており、そこから観覧者は展示品のテーマを知る。彼らは入場と同時に、この展示品に引き込まれ、展示会の価値を見出して、順路を進んでいく。
次に、観覧者は美しく繊細なタッチの肖像画が飾られる広場にたどり着く。分厚く塗られた絵具が陰影を作り、或いは水彩の淡いタッチで描かれた、優しい色合いの風景画、王の威厳に満ちた肖像、家庭教師と子供、赤ら顔の農民が踊るカーニヴァルの光景……それらがスポットライトを当てられて、木製の額縁によって飾られている。
周囲の闇に溶け込んだ黒塗りの額縁の傍には、絵画の説明と元になったと思われる風景や人物の写真が飾られていた。
さらに順路を進むと、フローリングの床の上に、煌びやかな衣装が囲いもなく飾られている。エストーラの宮廷人の衣装を彷彿とさせる、絹製や毛皮製の大層豪華な代物である。
観覧者はそれを手で擦ってみたり、肌触りを確かめてみたりしながら、エストーラの宮廷衣装の復元を、年代順に眺めた。
順路は折り返し、続けて色彩豊かな抽象画の飾られた部屋にたどり着く。そこには、あり得ない場所に花が咲き、時には騙し絵のような不気味な回廊や、正確な筆致の動物のスケッチなどが、所狭しと飾られている。解説を書いたボードもより細かく小さくなり、多くの絵画に囲まれた室内は、どこか無秩序を思わせる雑多さを感じさせる。
そして、この室内の中心部分には、巨大な宗教画が飾られる。『カペラの結婚』と題された宗教画には、各国の主宰神が全てもれなく描かれ、彼らがカペラを祝福する様子を描いている。この絵画は同展覧会の目玉の一つであり、人々は解説を基に興味深く絵画を観察する。エストーラ宮廷美術の最高傑作と目されるこの絵画は、人々の目に晒されることに一切の動揺を見せず、好奇の視線の数々を、漏れなく受け止めていた。
最後の部屋では、エストーラのオーケストラ美術と社交ダンスを再現した展示が並んでいる。マントとケープ、ブリオーとプールポワンの時代から、女性用ハイヒールや煌びやかなドレスに、キュロット・ズボン、現在愛用されているロマンチック・スタイルまでの服飾を年代順に並べ、エストーラの宮廷での私生活を描いた優美な絵画などを木製の額縁で飾っている。
順路を終えると、出口付近の売店には、記念品が売られている。プロアニアの民族衣装であるスーツや、絵画の遠近法に関する研究論文、数学的に絵画の空間を解析した記念論文集、文化人らによる批評文など、識字率の高いプロアニアならではの土産物も多くみられる。
満足した観覧者は、未だ入り口の行列に並ぶ人々の姿に優越感に浸りながら、土産物を片手に、好奇の瞳を再び入り口の看板に向ける。
『エストーラ・カペルの退廃芸術展』と記された日焼けしたような色合いの看板には、時代遅れの芸術的な手法を愛する、老害じみた皇帝の横顔が描かれていた。




