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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1900年
68/361

‐‐1900年春の第一月第三週、プロアニア、ゲンテンブルク‐‐

 町には堂々と自動車が走り、人々が白線の隙間をひしめきながら歩く。国産車の普及のために行われた各種の法整備は、わずか一週間という凄まじい迅速さで行われた。

 技術が法律を追い抜くことはプロアニアでは日常茶飯事であったが、法律が技術に追いついたのはこの瞬間が初めてだったように思われる。

 極秘の技術を一気に一般化させた宰相アムンゼンは、一般市民からは『宰相閣下』と慕われ、戦場に送られた若者たちも同様に、彼が指導し推し進める経済のV字回復を信じて、戦地へ意気揚々と向かっていった。


 その日、霧と煤煙の都ゲンテンブルクには、青い空が広がっていた。

 薄い煤煙の向こう側にある大海のような快晴は、人々の高揚感を益々駆り立てた。資本家は次々に出資をし、労働者は次々に仕事をこなし、定時が過ぎると妻の為にショッピングに向かう。彼らはそうした希望の芽を、ようやく得るに至ったのである。


 バラックの城から黒い車を十分ほど走らせた小高い丘で、僅かな執務の合間に宮殿を抜け出した国王ヴィルヘルムは、立ち昇る煤煙を見おろしていた。僅かな閑居は手持ち無沙汰で、彼は携帯している錫杖代わりの拳銃を弄んでいた。


「陛下、こちらにおられましたか」


「宰相閣下か。いい渾名だね」


 ヴィルヘルムは拳銃を仕舞い、視線を向ける。宰相アムンゼン・イスカリオは、相変わらずの猫背と無表情で、ヴィルヘルムの意外なほど晴れやかな笑みを受け容れた。


「陛下、悪い報せがあります。エストーラに向かわせていた斥候の部隊が潰走しました。どうやら国境に壁を作っているようです」


「ほう。それで、どうするつもりだい?」


 ヴィルヘルムは手摺にもたれ掛かる。珍しい青空の下では、漆黒のスーツは際立った存在感を放つ。アムンゼンもまた、涼しい顔のままネクタイを直した。


「やはりカペル王国を先に攻めるのは正解だった、ということです。あの皇帝は完全に、こちらを害する気は無い。そして、こちらから害するのを遅らせることに、何らのリスクもない。あちらには最低限の国境警備隊を差し向けて、我々はカペル王国の前線に集中するべきでしょう」


「宰相閣下は、『もっと速く軍を動員していればよかったです、ごめんなさい』とは、言えないんだね」


 ヴィルヘルムは目を細めて笑う。


「無意味な反省とおべっかに価値はありませんので」


 彼の表情は一切崩れない。王の嗜虐的な暗い笑みさえ、無彩色の鉄仮面を引き剝がすことは困難であった。

 ヴィルヘルムは肩を竦める。拳銃を手に取り大仰に両手を広げて振り向くと、青空に向かって語り掛けるように答えた。


「失敗は失敗だ。反省は重要だろう?」


「陛下は、シュッツモートに大軍勢を派兵するリスクをご存じでしょう。ならば、これは失敗ではありません。いうなれば必要経費でしょう」


 アムンゼンは報告書を開く。識字率の非常に高いプロアニアの兵士一人一人の肉筆には、トンネルで起こった出来事の一部始終がもれなく書かれている。それが法律上の必要な手順であるかのように。


「この派兵で我が国はエストーラから非戦の約束を得ました。そして、同国が国境と定めているのが、スエーツ山脈のトンネルであるということも。もう一度申し上げますが、これで、我々は無駄な資源をエストーラの側に向ける必要がなくなる。また、筒抜けの情報の出所がほぼ明らかとなり、我が国民に向けるべき言葉についても、以後は気を遣う必要もないということです」


 ヴィルヘルムは目を細める。立ち昇る煤煙の下では、食事にありついた労働者たちがコーヒーとクッキーを楽しんでいる。太陽も最盛期の輝きを取り戻し、上機嫌に彼らを見おろしている。


「最後の情報について、具体的な説明を求めようか」


「えぇ、陛下。では、エストーラからの贈り物すべてを集めた展覧会を企画しているのですが、これについて許可を頂くことは出来ますでしょうか」


 ヴィルヘルムは堪え切れずに大笑した。昼下がりの丘には、燦然と輝く太陽の光が、余すことなく降り注いでいた。


 アムンゼンには、この丘で王と話すもう一つの目的があった。しかしその前に、王から次の公共事業についての奏上を受け入れてもらわなければならない。これは、十分国益に適う活動だと思われたためだ。


「いいだろう、君の願いを聞き入れるよ。好きに企画すると良いさ」


 ヴィルヘルムはいつにも増して嬉しそうに笑う。アムンゼンには、それが「感情」からくる快楽なのか、「理性」からくる結論なのか判然としなかった。


 彼は躊躇いを覚える。もし仮に、それが感情からくるものなのだとしたら、自分はこの国王を完全に考慮せずに行動しなければならない。それが、プロアニアにおける統治の正当性である。

 一方で、理性であると答えたならば、彼のこれまでの行動に関して、詳細な理屈を尋ねなければならない。彼は普段とは比べ物にならない逡巡を経て、ついに春風がその背中を押したのである。


「快晴にちなんで、畏れながら、お伺いしてもよろしいでしょうか」


「ふぅん?珍しいね」


 ヴィルヘルムは顎で言葉を促す。アムンゼンは高鳴る心臓の鼓動が顔色を変えることのないように自制をしながら、国王の首筋を真っすぐに見つめた。


「陛下、何故陛下はここに君臨するのでしょうか」


 ヴィルヘルムが目を見開く。アムンゼンの鋭い眼光と、不意を突かれた王の視線が交わった。彼は徐に空に向き直り、手摺に体重を掛けながら項垂れる。やがて、意を決したように、その頭を青空へ向けた。


「プロアニアにおける王とは、秩序である。王自体に特別な力はなく、王がある民族を象徴する存在というわけでもない。では、なぜ王が存在するのだろう?アムンゼン、君はどう考えるかな?」


「王という柱によって、国民が支えられているからですか?」


 当たり障りのない回答をする。今の彼にとっては、柱によって支えるというのは、明確な理屈を引き出すためのマジックワードに過ぎない。

 王は視線をゆっくりと下ろし、時間をかけて振り返る。そして、自嘲的とも取れるような笑みを零した。


「国民が望んだからだよ」


 アムンゼンは息を呑んだ。迷うことなく、自分の立場を肯定できる。彼が立ち回りについて確信を得かけたが、王は構わずに続けた。


「王は秩序だ。秩序が無ければ、人々は争い、乱れ、相互に信頼関係を築くこともままならない。人々は自然状態を求めてはいない。だから自らと他者を律する秩序を求めたのだろう。それが『私』だ。そして、秩序は出来る限り単純かつ広範であることが望ましいだろう」


 ヴィルヘルムは振り返る。自らの使命に確信を抱いた真っ赤な瞳が輝いた。

 煤煙の立ち昇るバラックの工場群が、丘の下に広がっている。


「そして、私がプロアニアの王である限り、私が求める秩序はプロアニアの秩序であることが望ましい。それが、民が私達を必要とする理由だ」


 ヴィルヘルムは首を傾げて同意を求める。それは、普段の嗜虐的な笑みではなく、自信に満ちた純粋な笑みであった。


 ‐‐圧倒的な権威を演じていたのだな‐‐


 アムンゼンは王の所作一つ一つと、彼の理屈とを繋ぎ合わせることで、王の不自然な行動の数々に対する答えを見出した。

 無秩序を排除し、自然による無限の闘争を排除する。それが国家の存在理由である。故に、彼は秩序でなければならず、秩序を保証するための力を保たなければならない。こうして、圧倒的な権威を持つ国王ヴィルヘルムという性格が確立した。


 アムンゼンは静かに顎を引く。王の威厳に満ちた偶像が、赤い瞳を輝かせて佇んでいる。煤煙で霧がかったような地上に立ち並ぶバラックの工場群は、無限に広がっているように思われた。


「陛下。私は、貴方の理想を輔弼する者として、恥じない働きをすると誓いましょう」


 アムンゼンは古いしきたりに従って、王に跪く。王は宝剣代わりの拳銃を、アムンゼンの頭上に突き立てた。アムンゼンは拳銃を受け取る。徐に立ち上がった彼は、背筋を伸ばし、敬礼を返した。


 灰色の煤煙が空を流れていく。真っ青な空の中に、白い太陽が瞬いていた。


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