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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1900年
62/361

‐‐1900年春の第一月第一週、カペル王国、ペアリス3‐‐

 オー・ド・ショースにプールポワンといういで立ちのフランツは、出来合いの木製の錫杖を握り、魔術師らしい立ち振る舞いもできるように着飾っていた。


「閣下、マリー様はご無事でしょうか」


「あの女は死んだ、そう信じる方が心持ちは楽です」


 フランツは言葉を遮るように杖を振るう。レースのカーテンが二人を遮るように膨らんだ。


「少し、一緒に話しませんか?」


 フランツはその声に自分と同じ匂いを嗅ぎ取り、道の脇により、並んで歩くように促す。皇太孫は一歩進み、二人は足並みをそろえて歩き出した。


 身長はこめかみから上が突き出すほどの差がある。歩くたびになびくレースのカーテンから、ミモザの花が僅かに顔を覗かせる。


「フェルディナンド様は既にご存じかと思いますが、私は故郷を捨ててこの場所に流れ着いた男です。アンリ陛下の言うとおり、私は誇りのない男でしょう」


 カーテン柄が映った影が、二人の顔に重なる。フランツは腰を丸くして、一歩一歩を踏みしめるように歩いた。フェルディナンドとの歩幅の差を、動きの鈍さで合わせた彼は、自嘲気味に鼻を鳴らす。穏やかな風が、黄色い花びらから香りを送り届ける。


「しかし、自分の命の為に、妻や、領土を見捨てること……その二つを天秤にかけた時、私がその選択をするのは間違っているでしょうか?私の命は、マリーの命より軽いというのでしょうか?」


 ミモザの明るい黄色が責め立てるように廊下を明るく照らす。皇太孫の頭上にある罪人には、涙も、恐れも戸惑いもなかった。だが、自らの選択に確信を持っている様子でもなかった。

 暫く沈黙し、二人は陽光から逃げるように角を曲がる。窓の外には、新緑が顔を出した。


「僕には、貴方の選択を否定することが出来ません」


 フランツは立ち止まる。拳を緩やかに握り、深刻そうな表情で、静かに視線を下ろした。革靴の爪先は、降り注ぐ陽光で僅かに光沢を放っていた。


「殿下……?」


 緑の目下には、鮮やかな花畑が広がっている。赤や、黄色の花が咲く宮殿自慢の庭園では、庭師が汗を零して歩いていく。庭師が通り過ぎた後には、濡れた土が濃い焦げ茶色に色づき、鮮やかな緑の上にぽつんと乗った水滴が光の粒となって輝いていた。


 廊下では、華やかな調度品が陽光に輝き、陶磁の花瓶は白く光を映している。華のない緑を背景に、フェルディナンドは真面目な表情で続けた。


「僕は、同じ立場だったら怖いと、そう思います」


 フランツは言葉を返そうとするが、言葉を発することが出来なかった。フェルディナンドは諦めたような、同情に満ちた笑みを浮かべている。


 フランツの唇がわなわなと震える。錫杖を持つ手を下ろし、首を垂れる。光さえも、彼を責め立てるように降り注いでくる。


「私は惨めな男だ。それは認めよう。しかし、それほど非難を受けるべき男なのか?」


 彼は自分なりの最善を尽くしたと信じていた。全ての正しい光が彼の罪を照らし出して降り注ぐとしても、彼はプロアニアの軍勢を押し込めないと判断したし、自分の犬死よりはまだ使える命の温存を選んだ。彼からすれば、自らの命の価値に比べれば、ブリュージュという『土地』の損失は飲み込むべき軽いものに思われた。

 しかし、事態は全て悪い方向に向かっていた。彼は故郷を失い、妻は消息も分からず、国王からは非難され、悪癖が未来の上司たる皇太孫の耳に届く。彼自身がどう言い訳をしようとも、世間は彼を認めようとはしないし、また世間が認めたとしても、自分の失くしたものは当分戻ってはこないだろう。

 それでも、彼の眼前に立つ少し背が伸びただけの少年は、惨めな男の選択に寄り添うことを選んだ。


「祖父が言っていましたよ、命は宝だと」


 フランツは唇を嚙み締めながら、目を弧にして笑う。救いを求める両腕が、静かに少年を抱き寄せた。


 その時、春を告げる温い風が、二人の間を通り過ぎていった。


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