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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1900年
61/361

‐‐1900年春の第一月第一週、カペル王国、ペアリス2‐‐

「いいか、あれは人間の屑だ。男の恥は背中に傷を受けることだと覚えておきなさい」


「は、はい……」


 子供部屋には、大量の線画が散乱していた。アンリは娘の婿がひどく内気なことを気にしていたため、ブリュージュ伯爵から悪影響を受けないように気を配らなければならなかった。


 愛娘イローナも年頃となり、アンリを避けるようになっている。婿であるフェルディナンドは姿勢を正して、少々不憫なこの義父の愚痴を聞いていた。


 イローナはアンリに背を向けて、蝶々の絵を描いている。フェルディナンドの手ほどきで、その技術も随分上がっていた。


「いいか。君は皇太孫、そしてカペルの国王となる者だ。あのように敵前逃亡を図るような人間には断じてなってはならない。いいな?」


「は、はい……」


 カリカリというペンが滑る音が止まり、乱暴に立ち上がる音が部屋に響く。男二人はぎょっとして、イローナの方へ振り向いた。


「もう、お父様は出て行って下さい!娘の部屋に勝手に上がり込むってどういう神経っ!?信じられないんだけど!」


「イローナ、パパはね、君の身を案じて……」


 手で娘の大切さをジェスチャーしていたアンリだったが、イローナは乱暴に父親を出口へ押し込む。彼から仄かに臭う不愉快なにおいも、彼女を凶暴にした。


「そういうの良いから、ほら出てって!」


「イローナ、待って、こら、待ちなさ……!」


 彼女は父を部屋から押し出すと、乱暴に扉を閉ざして鍵をかける。そのまま作業机に座りなおすと、深い溜息を吐いてペンを取り直した。


「イローナ、そんなに怒らなくたって……」


「……甘やかすお兄ちゃんも悪いんだからね。大体、年頃の娘とお兄ちゃんが、どうして同じ部屋なのよ。そう思わない?」


 イローナはペン先で紙を叩きながら言う。蝶々の下に、鱗粉が降り注いで見えた。


「……迷惑なら外に出るよ」


 フェルディナンドは作業に戻ろうとして取ったペンを下ろす。線描の見事な宗教画には、まだ陰影が施されていない。


「気にしてないわよ、今更」


 イローナは再び深い溜息を零し、紙の上にできた点々に舌打ちをする。フェルディナンドは音をたてないように恐る恐る立ち上がり、ドアに手をかけた。


「やっぱり、外に出てくるよ」


「ん」


 イローナは絵に集中している。眉間に深い彫りが刻まれているのが、苛立ちを物語っているらしかった。

 フェルディナンドはそっと扉を開け、廊下に出る。しばらく立ち尽くし、イローナから伝染したかのように、小さな溜息を吐いた。


 最近、イローナの機嫌が悪い。それは彼にとって深刻な悩みの一つだった。

 もしかしたら自分が原因かもしれないし、だからよくトイレを理由に出て行ってしまうのかもしれない。元々絵画以外の才能は芳しくない自分に、愛想が尽きてしまったのかもしれなかった。

 彼はふらふらと宮殿を歩く。飾られている絵画の中には、自分の故郷で見慣れたタッチのものも多い。ただし、その多くが、彼が好む風景画ではなく、肖像画や宗教画の類である。


 暫く廊下をふらついていると、侍女らとすれ違う。彼は丁寧に挨拶をして通り過ぎたが、侍女らの視線はこちらの背中に向いており、どこか浮ついたような奇異の視線を送られている。この宮殿では肥満体質か筋肉質かどちらかが多く、華奢な男が珍しいのかもしれない。

 彼はそのままあてもなく、宮殿を散歩することにした。


 三つ目の部屋まで、宮殿の見どころとされるものはほとんどない。この辺りはあくまで居住空間で纏まっており、外に見せるための空間ではないためだ。

 とはいえ、神は細部に宿る。デフィネル宮という場所は、王が生活を楽しむためのものであるらしい。一歩進めばあちこちに、宮廷画家の絵画やフレスコ、彫像や陶器の花瓶、見事な調度品の数々にも出会うことが出来る。それは、エストーラのベルクート離宮にも劣らない絢爛さであった。


「おや、フェルディナンド様。随分大きくなられて」


「フランツ閣下……」


 農民服一着でペアリスまで逃げ延びた、フランツ・フォン・ブリュージュは、今はカペルの宮廷服で着飾っていた。


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