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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1895年
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‐‐1895年春の第一月第二週、ムスコール大公国、草原‐‐

 空は澄み渡るような快晴であり、「背の低い空」とも表現される、この国特有の曇天からは程遠い見晴らしのよさである。降雪が随分と大人しくなり、いよいよ過ごしやすいつかの間の春季が来る直前のこの日、ウラジーミル近郊の広大な草原地帯には、無機質な防音室が建てられていた。この場所からはるかに8と1/4キール先にある小さな窪地に、彼らの悲願であった平和への願いが設置されている。


「所長、準備が間もなく完了いたします」


 眼鏡に指紋がこびりついた研究員の一人が、目の下にクマを作ったままで細い声をかける。ムスコール大公国の知の源泉、ムスコールブルク大学附属科学研究所の所長であるベルナール・コロリョフは、二百年の悲願に立ち会うこの若き研究者に対して、労いの言葉を述べた。


「ご苦労様。いよいよだな」


「えぇ。人類がいまだ到達していない境地です。眠気も吹き飛びますよ!」


 研究員は目を爛爛と輝かせて答える。ベルナールもまた、手を後ろで組みながらも、落ち着きなく足を組み替えている。

 険しい厳冬が過ぎ、国内の経済が再び活発になるこの頃、地面に埋められた巨大な祝砲が、いよいよ雪原の一帯を噴き上げる。雪原の中には無人の小屋もいくつか設けられ、その中には定点観測カメラが設けられている。周辺の安全に配慮して、辺り一帯に進入禁止の鉄条網が張り巡らせてある。人、たとえ動物であろうとも、この場所に立ち入ることのないように。


「君も、我が国の歴史に名を遺すことになるだろう」


 防音室の中に設けられた小さなコンロの上で、鍋がぴぃ、と音を鳴らしている。研究員が鍋のふたを開けると、湯がぐつぐつと煮えたぎっていた。彼は湯を一度ケトルに移し、その間にドリップコーヒーの支度を始める。


「所長こそですよ。理屈で分かっていても、結局はこれほど長い時間がかかってしまいましたが」


 研究員は、ケトルに移した湯をドリッパーに静かに流し込む。コーヒーが泡立つ音が、静寂に満ちた室内に反響する。

 ベルナールは出来上がったコーヒーを受け取ると、短い礼の後に、さっそく口に運ぶ。心地よい苦みに脳が冴え渡り、彼は安堵に満ちたため息をついた。


「もう少し、私が饒舌ならばと思うよ」


「何をおっしゃるのです。外野には言わせておけばいいのですよ。私たちの偉業は、きっと世界中から称賛されるでしょうから」


 研究員が大仰に手を振って答える。コーヒーがこぼれそうになると、彼は素早くコップを動かして、そのまま大雑把に喉に流し込んだ。

 薄っすらと雪のかかった草原の上を、この国では滅多に見られない完全武装した兵士たちが歩いている。彼らは重い装備で雪に足を取られないように気を配りながら、こちらへ向かってくる。彼らもまた、この美しい青空を見上げながら、浮かれた様子で仲間たちと笑いあっていた。


「確かに、この国の人は彼らを嫌うが、彼らが嫌われていることが我が国の誇りでもあるかな」


 この国の人々はヒステリックに戦争を嫌うと、ベルナールは嫌というほど思い知らされていた。

 平和兵器の開発構想は200年も前から行われていた。異常な技術革新を進めているプロアニア王国の資料の中に、この兵器に関する理論を記した論文があったのだ。時の宰相ロットバルト卿は、プロアニアへの資金援助の対価として、技術を受け取ることで、強力な平和兵器を自国で開発するために邁進してきた。

 秘密裏に進められたこの研究活動がようやく開発の目途が立つ頃に、一般国民に向けて公表されると、過激な反対運動が生じるようになった。その火消しの矢面に立たされたのが、ほかならぬベルナール当人であった。


「総員、退避完了を確認。これより実験を開始する」


 その声に、現場の雰囲気はがらりと変わる。誰もが強化硝子のほうを向くか、現地の定点カメラの映像に目が釘付けになる。


「3,2,1、0」


 直後、強烈な閃光が辺りを包み込む。続けて爆音が周囲の静寂を切り裂き、この世のものとは思えない巨大な熱風が地上をえぐり取った。雪のかかった草原は「蒸発」し、あまねく地上にあった生命は一瞬にして消滅した。実験用に建てられた仮家屋は、あるものは鉄骨を残して崩壊し、あるものは瓦礫となって崩壊し、あるものは炎上し、またあるものは影だけを残して跡形もなく消滅した。爆心地を中心として、地上からあらゆるものが消失した時、快晴を覆う不気味な雲だけが、地上を睥睨していた。


 爆音が過ぎ去った静寂の中、濛々と立ち込める雲が傘を作り、さながらキノコのように膨らんでいく。膨張した巨大な雲が、太陽を覆いつくすなかで、ベルナールは呆然と立ち尽くしたまま、細い声を零した。


「私達は今、神の作りし大地を砕く力を、手にしてしまったのかもしれない」


 先程まで姿勢を崩していた研究員は顔面蒼白になって、それまでそこにあったものを見つめながら、大きく唾をのんだ。


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