‐‐●1900年春の第一月第一週、カペル王国、ヴィロング要塞‐‐
ざっく、ざっくと、夜毎穴を掘る音がする
町は不滅の炎を映し、道には野営のカンテラ灯る
死者を導く焔の如く、それらは闇に浮かぶように
妖しく輝き、空に浮かぶ
春にさざめく朧月よ、我らが声を聞き給え
救い導きその先が、仄暗き地を這う蛇の腹などと
どうか答えて下さるな
我は耳を傾ける、ざっく、ざっく、と掘る音に轟々と鳴く車輪の音
地下壕まで掘削せんと、土嚢を積んで盛り重ね
気づけば再び蛇の腹 うねる毒蛇が横たわるのは、果たして西か、それとも東か
ブリュージュとカペル王国の国境に位置する交通の要衝、ヴィロング周辺には、人が列をなして通れるような、長い塹壕が築かれていた。
ブリュージュ占領の報を受け、カペル王国はすぐさま行動に移る。エストーラの国境封鎖に遅れること一週間、プロアニアのブリュージュでの地盤固めが過ぎる直前には、カペル王国の精鋭部隊がヴィロングの平原に集結していた。
彼らもかつてのように突撃による正攻法で戦うことが凡そ困難であることは熟知していたため、第一に国境の守りを固め、第二に敵に消耗戦を強いる戦略を選んだ。
雪解け水で泥濘が靴に纏わり付く春の第一月、塹壕を掘っていた戦士たちはようやく、エストーラ経由の噂話で、プロアニアが再侵攻の支度を整えたことを知る。かくして、雪解け水が足に凍みる泥濘の塹壕には、異様な緊張感が漂っていた。
「おはよう」
「おはよ。朝から怒鳴られたのはどいつだ?」
二人の若い兵士が塹壕に足を下ろしながら話し始める。遅れて到着した一人は、半分瞼を閉じたまま、半笑いで手をあげる。鉄兜を被った兵士は、ハハッ、と声を零して笑った。
「半目はさぁ、危機感とかないのか?いつも遅刻してくるけど」
「だってさ、俺、まだ来てないの、知ってるから」
半目と呼ばれた男が答える。彼が弓の弦をとつ、と弾くと、塹壕の間を縫って栗鼠たちが近づいてきた。
半目はポケットから団栗を取り出すと、栗鼠の手前にそっと撒く。彼らは機敏な動きで団栗を持ち上げると、殻を砕いて口の中にしまい込む。
頬を一杯に膨らませて目を細めた栗鼠たちは、半目と目を合わせて何度か鳴くと、彼の脛を登って肩に乗った。
「なぁ、栗鼠と話して進軍を知るのか?」
若い兵士達が栗鼠を見物に来る。鉄兜も、半目の前で屈みこみつつ、栗鼠がすばしっこく果物を頬に貯めるのを眺めていた。
「だって人間みたいに騙したりしないし」
「ふぅん……」
栗鼠がふと、鉄兜を見上げる。育ちのよい彼は半目と比べて装備も充実しており、体格も非常に良い。鼻をひくつかせる栗鼠と睨みあった鉄兜だったが、栗鼠は直ぐに視線をそらしてしまう。ある瞬間にのみ感じる、刹那的な関心事項であったようだ。
栗鼠はすっかり膨らんだ口を無造作に動かしながら、兵士達の足元を気ままに動き回っている。兵士達も小さな歓声でこの小さな生き物を出迎え、大袈裟に身をかわしてみたり、近づいて餌を投げてみたりする。塹壕に満ちていた、強張った表情がすっかり緩むと、鬼瓦の騎士が肩を怒らせながら駆け寄ってきた。
「たるんでいるな!気を付け!」
兵士達は塹壕の中で背筋を伸ばす。半目は周囲を見回すと、一拍遅れて背筋を伸ばした。
「お前、まだたるんでいるな!その辺を走ってこい!」
「はぁい……」
半目はゆっくりとした動作で塹壕から這い上がり、騎士に背中を叩かれながら野営地までの道を走っていく。鉄兜と視線が合うと、彼は気の抜けた笑顔を向けた。
国境封鎖によって数々の贅沢品が自国へと流入しなくなってからというもの、兵士達は自分の上司がひどく機嫌が悪いことに辟易していた。娯楽と言えば、エストーラから送られてきた慰問用の楽器くらいで、それも前線の兵士からすれば遠いところにある娯楽だった。
鉄兜は目の高さまで掘られた塹壕から、敵国側を覗き込む。地平線の向こうには、今は人の姿もなかった。