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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1899年
58/361

‐‐1899年冬の第二月第三週、エストーラ、ノースタット‐‐


 舞台座の前には皇帝陛下のお言葉を待つ市民が集っておりました。皆不安げに入り口の周りを埋めて、数段高い舞台座の玄関を見上げております。陛下は物憂げにその様子を眺められると、静かで深いため息を零されました。


「最悪の想像ばかりが、的中するものだな……」


 絵画連結水晶から、ブリュージュの惨状を傍受した陛下は、その記録を基に幾つかの仮説が的中し、最早後戻りのできぬ状態であると、私に向かって仰いました。

 陛下就任直前に下されて以来の、実に44年ぶりの皇帝勅書の発布となります。人々は次の重要な問題と言えば世継ぎか帝国の解体か、ということで、既に数日間噂話が絶えないままでした。誰もが皆、あの皇帝が戦争を始めるなどとは思ってもおりませんでしたから、今は彼らの不安も、自身の命よりは誇りに関するものだったに違いありません。


「ノア。もし民が、私に石を投げたとしても、その者を捕らえたり、傷つけたりしてはいけないよ。深い悲しみと不安はもっとものことだから、私はそれを受け容れる立場にある」


 陛下は視線を戻し、演説の内容を確認されながら続けます。朝の降り注ぐ日差しの中に、白い息が窓へと流れていきます。

 町の至る所で氷柱が輝き、雪解け水が再び凍り付いた路面の上で、野犬が滑って転がっておりました。


「陛下……」


 野犬を介抱する優しい夫婦が、氷の上を不格好に通って、舞台座の前へと進んできます。


 歴代皇帝の棺が納められるカプッチョ・サルコファガス教会の鐘が響き渡ると、陛下は銀製の杖を掴み、腰を労わりながらゆっくりと立ち上がりました。


「行かなければならない。私は、皇帝なのだから……」


 カプッチョ・サルコファガス教会の重厚な宗教音楽を奏でる鐘が、踏みしめるごとに重みを増す陛下の一歩を促していきます。階段を下り、エントランス中央の扉に立つと、窓越しに陛下を待つ民衆の姿がありました。やがて最後の鐘の音が長い余韻を残して打ち終わると、陛下は深い深呼吸をして、扉に手を掛けられました。

 冬特有の、蝶番が軋む鈍い音を立てながら扉が開ききると、皇帝の姿に臣民が国旗や国章付きの旗を振ります。陛下は気丈に手を振って応じると、そのまま玄関口まで進み出て、銀の杖に体重を預けました。


 歓声が過ぎると、重く、長い沈黙が場を支配します。さらさらと、丁寧に折り畳まれた原稿が開かれます。


「心苦しいことですが、臣民の皆様に、大変残念なお知らせをしなければなりません。先日、極秘情報網(ウルトラ)の情報筋によって、我々にとっての文化の母であり、学問の友であり、信仰の盟友でもあるブリュージュが、プロアニア王国によって占領されました」


 聴衆の雰囲気が一気に変わります。苦しみや憎しみに顔を歪める人々の、苦悶の表情を見回しながら、陛下は苦しそうに瞼を下ろします。杖で身を支えるために前で組まれた手が体重を乗せ、圧し掛かったものを受け止めた背中を丸めてしまいます。


「私は、皇帝としての未熟さ故に、臣民や、コボルトの戦士たちに多大な被害を与えてしまいました。これは私の不徳の致すところであり、その点について、先ず私は皆様に深くお詫びしなければなりません」


 陛下が深く頭を下げられます。どこからともなく嗚咽の音が響き、聴衆が静かに目を覆ったり、あるいは丸い瞳を僅かに赤くして、陛下の言葉を待ったりしています。


「そして、この件について、私たちは臣民の幸福のために、どのように対処するべきかについて、一晩を通して語り明かしました。やがて、私たちは、これまでの臣民と私たちの合意によって導き出した答えに至ったのです」


「我が臣民は、互いの幸福と世界中の人々の幸福を侵犯しないために、これまでの長い困窮の時代を耐え抜き、そして乗り越えてまいりました。これは偏に、臣民の平和への願いと社会への貢献の果実です。私は、不断の努力を以て、この果実を守らなければなりません。臣民は平和を望み、廷臣たちもまた身を粉にして経済の再建に尽力してまいりました。私はこれを大変嬉しく思います」


 次に続く言葉を、誰もが信じられなかったでしょう。しかし、陛下は、カプッチョの大きな鐘の音よりもなおもはっきりとした声で、その言葉を仰いました。


「しかし、帝国領において横暴に振る舞う事を覚えた災害が、再び喧しい声を上げ、目を覚ましてしまったのです。我々はこの最悪の洪水に対して、一致団結して立ち向かわなければなりません」


 はためく無数の国旗と国章が、手を掲げて歓声をあげます。その歓声は、悲痛極まりない溢れる涙や、震える手によって、何とか支えられております。陛下は顔を持ち上げ、臣民の賛同の声を耳にすると、瞳一杯に蓄えた涙が隠れるように、深い、深い礼をされました。


 ‐‐一致団結して‐‐


 臣民の白い息がぶつかり合いながら、この言葉が繰り返されました。無数の息が作る温もりは、青く澄んだ空の彼方へと、静かに消えていきました。


主な出来事

  プロアニア宰相にアムンゼン・イスカリオが就任

  プロアニア、都市幹線高速道路建築を開始

  プロアニア、公営自動車会社『ハンザラントワーゲン』を設立

  プロアニア、ブリュージュ侵攻(世界大戦勃発)


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