‐‐1899年春の第二月、プロアニア、ゲンテンブルク2‐‐
ゲンテンブルクの市民たちにとって、カペル王国は着飾った蛮族に他ならなかった。彼らの君主には文字すら書けないものもあり、現に彼らの記憶の中でアンリ・ディ・デフィネルが文字を書いた場面と言うものはなかった。その上未だに馬に跨ることを強さとのたまっていた。プロアニアでは既に、機関車、電車、自動車などが最新の乗り物で、こうした車両の技術が外に漏れないように、高架道路や地下通路を発展させて、地上を馬車が走る、と言う使い分けをするようになっていった。
エストーラは、少しは鼻が利くらしく、火器を装備した軍隊を比較的早い時代に準備した。そのため、カペル王国よりは進んだ国だという印象を抱いているが、やはり騎兵、竜騎兵、コボルト奴隷軍人などの騎兵部隊を重視する点で技術不足だという認識を持っていた。
最大の友はムスコール大公国で、四か国戦争の手痛い敗戦の際に、敵国としては唯一手を差し伸べてくれた友好国である。当初は科学技術ではカペル王国並みに遅れていたこの国は、プロアニアを友とすることによってその技術をよく学び、今ではプロアニアにも比肩する技術大国となっている。やはりプロアニア国民にとっても、ムスコール大公国は心の優しい友人と言う印象があり、また、技術を吸収する優れた弟子としても一目置いていた。
それ故、アムンゼンからしても、いくら地下資源が豊富だからと言って、この国を仮想敵に配置することは考慮しなかった。彼が仮想敵として国民の怒りの矛先に選んだのは、魔術の才能だけで鼻を突き上げると印象を持たれたカペル王国であった。
就任挨拶の後、彼はすぐさま上級会議室へと潜り、国王との会議に乗り出していた。
「先ずは就任おめでとう、アムンゼン。これからは僕にどうした貢献をしてくれるのかな?」
ヴィルヘルムは拳銃の安全装置をいじりながら、アムンゼンを舐めるように見る。僅かな表情も崩さないままで、アムンゼンは率直に答えた。
「第一に、国営企業を立ち上げて、失業問題を解決します。そして、失業者が労働にありつけるように、大規模な工事を行います」
「先ずは雇用創出か。その次は?まさかそれで終わりではないだろう?」
アムンゼンのこめかみに銃口が向けられる。鈍色に輝く銃身には、ヴィルヘルムの嗜虐的な笑みが映っていた。
アムンゼンは冷汗一つ零さずに、即座に応える。
「公共事業は道路の建設、国営企業は自動車製造工場です。ウネッザのアルセナーレでされていたようなコンベア式製造を更に画一化させた、大量生産体制で、機動力を高めます」
アムンゼンは一度言葉を区切り、眉を持ち上げる。国王の機嫌は良く、彼に顎で話を続けるよう促した。
「我が国の経済が立ち直り、カペル王国のブリュージュ駐屯兵らが警備を緩めた暁には、我が国の生産力を総動員した高機動力を生かし、ブリュージュを占領します。そして、そのまま国民の銃口をカペル王国へと向けるのです」
王は目を見開いてみせる。光のない上級会議室では、その爛々とした瞳だけが、異様に強調されて見えた。
拳銃がゆっくりと角度を落とす。仮面のような無表情が、嗜虐的な笑みからの答えを待つ。
「勝算はあるのかい?単一で二正面の戦争になるだろう」
「なりません。エストーラは私達を攻められない」
アムンゼンは地図上に自軍を示す赤い駒を配置する。エストーラとプロアニアを隔てる巨大な森林地帯に三つと、世界を見おろす山麓に一つ、カペル王国側にその他の駒を配置する。
「森林地帯を越えての大規模な攻勢は、騎兵中心のエストーラには困難が伴います。逆に、この森を踏破するのは、我が国にも大きなリスクが伴います。よって、我々もこの森を踏破するには準備が必要ですし、彼らもそれを考慮して大規模な攻勢をかけてきません。我が国とエストーラを繋ぐために開発されたのは、このスエーツ山脈地帯ですが、この場所を突破するには、我が国が開発したトンネル地帯を進む必要があります。彼らは技術的には我々に後れを取っているのであり、攻勢を仕掛けるならば当然人海戦術に頼らざるを得ません。しかし、実際には彼らは必然的に狭く地の利がない、不利な戦闘を強いられることになります。ですから、スエーツ山脈からの攻勢は考慮されません。その上、老帝ヘルムートは反戦主義者です。最後まで重い腰を上げることはないでしょう」
続けて、アムンゼンはカペル王国側に、緑色の駒を配置する。最初にブリュージュに迷いなく配置された駒は、真っすぐにプロアニアの部隊を睨んでいる。
アムンゼンはそれから時間をかけて、首都周辺、主要都市、そして重要な拠点となっている古い要塞に、緑色を配置させた。
「カペル王国を攻める際に重要なのは、拠点を避けて進軍することです。現状、彼らはブリュージュを中心に守りを固めていますが、わが軍の攻勢によりこの近辺に兵力を集中させることになるでしょう」
赤い駒がブリュージュへ向かう。緑の駒が躊躇いがちに持ち上げられ、いくつかの要塞からブリュージュ付近へと進軍する。河川と草原地帯を乗り越えた両軍は、国境付近のヴィロング要塞近辺で衝突した。
「……問題は本隊が完全に衝突するヴィロング要塞。この付近で一度、我が部隊の攻勢が滞る可能性があります」
ヴィルヘルムは赤い駒を海上に新たに配備する。その駒はそのまま、ゆっくりと北へ向けて出港した。
「いくら準備しようとも読めない部分はある。睨みあいのうちに取れる場所を取っておくというのは?」
「私は海軍力を信用しておりませんので」
アムンゼンは海上の駒を引き戻し、北の玄関口ケヒルシュタインへと引き戻すと、元から配置されていた赤い駒と共に、陸地に沿うように併走させた。
「こうするでしょう」
「ほう、逆らうか」
ヴィルヘルムは目を細めて笑う。アムンゼンが無表情のままで首を振る。
「御奏上申し上げたにすぎません」
安全装置が掛け直されておかれた拳銃が再び握られる。そのまま、ヴィルヘルムの腰に拳銃が戻された。
「いいだろう。尊重しよう」
彼らは顔を突き合わせながら、ヴィロング要塞付近の駒を配置しなおしたり、新たに机上に広げた周辺の拡大地図に駒を配置しなおしたりしながら、日中とも日没とも付かない長い時間を、上級会議室で過ごした。