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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1899年
46/361

‐‐1899年春の第一月、カペル王国、ペアリス、デフィネル宮‐‐

 親代わりの祖父にカペル王国へ婿入りするように告げられたフェルディナンド少年は、宮殿の様子にそわそわと視線を泳がせていた。

 大蔵卿のレノー・ディ・ウァローは貢物と言わんばかりに大量の菓子を渡してくるし、同棲を余儀なくされたイローナは自分にはまるで無関心で人形遊びに勤しんでいる。

 年頃の彼にとって「女の子」との同棲は居心地が悪く、周囲からの奇異の視線も彼に緊張感を与えた。

 彼は自分のやるべきことがいまいち分からないまま、祖父が自分によく言っていたようにイローナに好きなことを好きなようにさせていた。


 対するイローナも、椅子に座ったままで置物のようなフェルディナンドを、不思議なお兄ちゃんが来たという風にしか思っていなかった。

 部屋はイローナ専用の個室で、ピンク色の壁紙の上に、薔薇やアイリスの模様が描かれている。額縁に嵌められた絵画には、愛らしい動物たちが描かれており、つぶらな目は全く動かない。フェルディナンドには目が動かないことが不気味に思われたし、額縁の絵画にぎょっとする彼の姿から、イローナは彼のことを動物嫌いなのだと確信していた。


 この気まずい空気が流れて既に二週間は経つ。イローナは既に彼のことを気にしなくなっていたが、フェルディナンドの方は彼女のことが気がかりでならなかった。


 子煩悩のアンリの前で、自分は彼女をどう扱うべきか。やたらと自分に取り入ろうとするレノー閣下は、自分を使って何をしようとしているのか。それにイローナは、自分のことをどう思っているのか。答えのない問題に雁字搦めのままで、彼は身動きが取れないでいる。


 イローナは人形遊びに飽きたのか、柔らかい羽毛布団のかかったベッドから飛び降りて、机に向かう。机の上には彼女の遊び道具がたくさんあり、切れない紙製の包丁や、野菜を模した縫い包み、数多の動物の置物、人形用の衣類クローゼットなどが置かれている。彼女が背伸びをして何かを取ろうとするので、フェルディナンドは机の方へと向かい、彼女の顔の高さに身をかがめた。


「どれが欲しいの?」


 イローナは書籍を指さした。それは子供向けのものではなく、カペル王国の吟遊詩人が歌った恋愛抒情詩が記されたものだ。

 彼はやはりイローナも宮廷人なのだと認識した。素晴らしい教育を受けて、一人の姫君として懸命に努力をしており、幼いながらに素晴らしい心構えを持っているのだろう、と。

 フェルディナンドは本を取ってやる。イローナが本を受け取ると、続けて指さしたのは、銀筆であった。フェルディナンドはそれを、学者や学生がよくする覚書用に使うのだと解釈した。


「どうぞ」


 それぞれを受け取ったイローナは、突然地面に寝転がり、ページを広げた。それまでとは違い、彼女は首を揺らし、足でリズムを取りながら、銀筆で白紙の頁に落書きを始めた。


 フェルディナンドは暫く硬直する。自分の中に作られたイローナ像が一瞬で崩壊した。


「お絵かき、好きなの?」


 イローナはこくりと頷く。彼は彼女と視線を合わせて、笑顔を作って尋ねた。


「お兄ちゃんも混ざってもいい?」


 イローナは一瞬目を見開いて驚く。フェルディナンドが後悔して、前言を撤回しようと口を開けると、彼女は口元を緩めて頷いた。


「ありがとう!」


 少年の明るい声が部屋に響く。机の上には白紙の紙が置かれ、少年に手を引かれるままに、姫は椅子に掛け直した。白紙の紙の上に、丸く短い指で支えられた銀筆が乗ると、そこには丸の周りに放物線の線が描かれたり、葉と茎が僅かに離れて浮かんでいる花が書かれたりした。

 少年も目の前に白紙の紙を置き、長い深呼吸をする。僅かな静寂の後で目を開けた少年は、銀筆を慣れた手つきで持ち上げる。城内に稀に現れる国王代書人がするような指の運びに、今度はイローナが釘付けとなった。


 時には細く、時には力強く。そうして作られる線の強弱が、柔らかい体毛の質感を作る。丸い輪郭の上には細長い耳が立ち、銀筆で周囲に色付けされることで、体毛が僅かにかかる、つぶらな瞳に光が射した。


 皇太孫フェルディナンドは、彼の望むままに宮廷画家に手ほどきを受けたその才能を存分に発揮し、丸く毛並みのよい兎の絵を描いてみせた。


「うさぎ!」


 イローナの丸い顔が明るくなる。フェルディナンドは静かに筆を置き、少女に優しい眼差しを送った。

 彼が仮に、従来の皇帝の息子や孫であったなら、三流の武術でひどく肩身の狭い思いをしただろう。彼はそっと紙を持ちあげ、イローナに手渡した。


「あげる」


 上質な紙は、ペンだこの出来た指から、丸く短い指へと渡される。少女の瞳がキラキラと輝き、愛らしい兎のつぶらな瞳と向かい合う。


「ありがとう!すごい、すごい」


 少女がはしゃぐ姿を慈しむように眺めながら、少年は紙をもう一枚取り出す。臣民のために節制に勤しんでいた指先が、銀筆の感触に歓喜する。少女の黄色い声に呼応するように、昼下がりの個室には、雲の切れ間から光が差し込んだ。


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