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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1899年
44/361

‐‐1899年春の第一月、カペル王国、ナルボヌ2‐‐

 二人は部屋に入るなり本棚や化粧台に寄りかかって息を切らせた。贅沢品が邪魔をしたアリエノールは、当初出遅れを見せていたが、勘を取り戻してからは年によって衰えたマッシューを一気に引き離した。すっかり汗まみれになった二人だが、その顔は晴れやかで、喜びに満ちていた。


「ひぃー……。やっぱ年には勝てんなぁ」


 マッシューが大きく伸びをして笑う。狭い採光窓からは、魚と肥料のにおいが仄かに香っていた。


「体が鈍っても負ける気は無いですよ」


 アリエノールも息を切らせていう。まだ年端もいかない頃の、父の異様な健脚が懐かしく思い出されていた。

 二人はようやく呼吸を整えると、汗まみれの服を着替え始める。マッシューもアリエノールも、使用人と同じような動きやすい服を着なおした。


 ジャラジャラとした宝飾品を服の上に置いたアリエノールは、鞄の中から水を取り出す。マッシューは椅子に掛け直し、最新の年代記から白紙の頁を開いた。


「で、今日はどんな商談だ?」


 それは、一世紀続くナルボヌ伝統の話し出しだった。


「あぁ。ブリュージュのことで……」


 水を鞄にしまったアリエノールは、手頃な高さの荷物に腰を下ろした。彼女の父は眼光を鋭くさせて、鞄のほうを見た。

 彼女も父はまだ健康そのものだと確信して、安堵しながら鞄の中から地図を取り出した。


「ご存じの通り、私とアンリ陛下で話し合った結果、エストーラとの交易をウネッザ経由の海路を主流に切り替えることにしたのですけど……。皇帝陛下がブリュージュの復興について気にしていらっしゃって。ナルボヌも、ブリュージュとの関係は深いですから、何かいい案はないかしら、と思って」


 マッシューは腕を組み、目を細めて唸る。引き結んだ唇が、事情の複雑さを感じさせた。


 背もたれのない椅子に座った彼は、唸ったまま顎を引く。狭い窓から射す逆光が、彼の難しい表情に暗い影を被せている。


「アリエル。商売で重要なのは、中間コストの削減だ。ナルボヌ領に運河が開通した当初、水車小屋が疎らだったのもそういうわけだ。いずれにせよアビスを経由するのだろうが、ここからブリュージュに物資を供給するのは運賃に見合うメリットがない。帝国もじり貧だろうから、金を吸い上げることもできない」


 地図の上には、三か国の詳しい地理が描かれていた。エストーラ、カペル王国を繋ぐ内海の航路を通ると、プロアニアと国境を接したブリュージュは最終目的地となってしまう。金銭的にも資源的にも、中継交易地点であったブリュージュをわざわざ通るというメリットは、ナルボヌ側からはほとんど存在しなかった。二つの道を繋ぐ大都市アビスには、大聖堂の不滅の火が、挿絵で描かれているだけだ。


 父の回答は、アリエノールにとっては予想通りであった。逆に言えば、マッシューの知恵はまだ衰えていないという事でもある。彼女は複雑な心境を抱きつつ、父に上目遣いをした。


「そこを何とかできませんか?ほら、穀物を仕入れてもいいですし、日用品でもいいです」


「そうは言ってもなぁ……。せめてプロアニアと繋がっていれば……」


 マッシューは言いかけて、思いついたように目を見開く。しばらくその表情で固まったまま、前屈みになってアリエノールの目を見た。


「ブリュージュは、プロアニアに占領されたんだよな?」

「えぇ、そうですね」


 父の表情は逆光で暗く見える。彼女の回答にその口が弧を描くと、悪だくみをするような不気味な笑顔となった。


「と言うことは、彼らはその装備を見た、と言うことだよな?」


「そうなりますね」


 マッシューは口に手を当て、片眉を持ち上げる。その仕草は、彼が新しいビジネスのにおいを嗅ぎ取った証でもあった。


「アリエル。情報は金になるぞ。そっちに流れているブリュージュでの証言を漏らさず教えてくれ」


 アリエノールが彼のアイデアを察する。しかし、彼女には、それが名案だとは到底思えなかった。


「お父様。既にカペルの守備隊がブリュージュを守っていますよ」


「それは『技術の価値を知らない人々』だろう。お前に相談するほどの陛下が、その価値を知らない筈はない」


 マッシューは不敵な笑みで彼女を見つめる。彼女は、生まれて初めて取引を受ける時の父親の逞しさを肌で感じた。


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