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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1899年
43/361

‐‐1899年春の第一月、カペル王国、ナルボヌ1‐‐

 穀倉地帯とギルドの建物、風車小屋と関所が入り乱れる込み入ったナルボヌには、エストーラからの水産物や衣類、紅茶などの嗜好品が満載された中型船の群れが列を成していた。久しぶりの里帰りを果たしたアリエノールは、懐かしい光景と言うにはあまりにも盛況したその様に、革製の鞄を抱えたままで呆然と立ち尽くしていた。

 古式ゆかしい要塞、シャトー・ド・ナルボヌの前に設けられた吹き抜けの市場には、冷蔵された新鮮な魚が所狭しと敷き詰められている。その対価として積み上げられるのは、大量の穀物と果物、上質なワインである。工業大国プロアニアが齎した多くの悍ましい技術たちと比べれば、それらは随分と遅れた技術ではある。しかし、それでもエストーラの科学技術も、着実に進歩しつつあることが垣間見えた。


 ナルボヌは、カペル王国では非常に珍しい、経済を重要視する都市である。カペル王国の基本は自給自足であり、そこに貴族や有力者のための交易路が組み込まれているという形式が主流である。そのため、経済活動は限定的で必要最小限のことが多く、ナルボヌが発展する90年ほど前までは、ブリュージュを通して齎される貴族の奢侈品が、交易品の中心であった。ところが、ナルボヌが片田舎から都市へと発展していくと、奢侈品とは別に日用品が多くこの都市から流通し始めるようになる。

 そして、飢饉とブリュージュ占領事件をきっかけとして、この、日用品の交易は一気に国内に普及し始めたのである。

 加えて、冬将軍事件の被害が他国ほど大きくないカペル王国は、余剰の資金をエストーラとの関係強化に利用できるようになっていた。フランソウス家が治めるナルボヌ領は、以前にもまして活気を得るに至ったのである。


「お父様、ただいま帰りました」


 アリエノールがシャトー・ド・ナルボヌの前に降り立つと、彼女の父マッシュー・ディ・フランソウスが両手を広げて出迎えた。


「お帰りアリエル。元気にしていたか?」


 マッシューは娘を抱きしめると、肩を二、三度叩いて友愛を表現する。彼女の鞄のうちにある秘め事など露知らぬ様子で、彼はただ、娘の訪問を歓迎した。


「お父様、今日は随分と賑わっていますね」


「ウネッザからの荷物がとても多くてね。最近は景気がいいのも、お前のお陰かもな」


 上機嫌なマッシューは、抱擁を終えるとやはり彼女の肩を叩いて労苦を労う。彼はアリエノールが故郷のことを思って、王に取り入ってくれたのだろうと、本気で信じている様子であった。


 風車小屋の数が年を追うごとに増えていったが、それらはナルボヌ領の河川敷を通る船をせき止める関所となっている。城の堀へと繋がっている河川の上には、今も船舶が大量に停泊していた。


「お父様、今日はお話があって参りました」


 娘の控え目な上目遣いに何かを感じ取った父は、金歯を見せて大層愉快そうに笑った。


「まぁ、陛下よりも私のほうが金持ちだからな。おねだりは聞いてあげよう」


 アリエノールは含みのある笑みを返す。上機嫌のマッシューは大股で跳ね橋を渡ると、古い城壁に守られた丘を登っていく。故郷の賑やかな笑い声が、宮廷に慣れた耳には雑音に思えた。


「お父様、弟たちは元気ですか?」


「今日も商いに勤しんでいるよ。お前にも教えておいてよかったな」


 マッシューは豪快に笑いながら丘を登る。彼の健脚ぶりは、30度の傾斜があるこの高い丘を息切れ一つ起こさないことにも表れている。守衛たちがアリエノールを見つけては、手を振って声をかける。狭い城壁の間で、アリエノールはそうした声にも気さくに答えて見せた。


 城壁の内側に旧式の火器が複数置かれている。カペル王国の城にしては珍しく、多くの兵器が城壁の狭間から顔を覗かせていた。


「アリエル、陛下はこうした武器に興味はないのか?良ければ間に入ってくれよ。最近はいろいろときな臭い話題も多いし」


 よく手入れされた火器が鈍色に光る。アリエノールは愛想笑いで誤魔化した。彼女の脳裏には、宮廷での蔑称が浮かんでいる。


 都心に立つには少々堅牢が過ぎる長く入り組んだ城壁を登り、カペラの小聖堂に手を合わせると、二人は背の高いタレットと同化したパレスへと向かっていく。


 パレスを開くと、特有の黴臭いにおいがアリエノールの鼻を掠めた。懐かしさと若干の不快感を抱いた彼女は、周囲を見渡して小さく微笑む。


 マッシューは鼻を鳴らし、陽気に肩を竦めて見せた。


「相変わらずだろう?だが宮廷よりも解放感があるか?」


「あの高い階段が無ければいいと思いますけどね」


 アリエノールは仄暗い螺旋階段を見上げる。宮殿での暮らしに慣れた彼女には、昔のように駆け上がるにはあまりにも強い傾斜があった。

 マッシューは自分の額を叩いて笑う。使用人たちが、親しみやすい笑顔でアリエノールに動きやすい靴を提供する。ハイヒールの分だけ下りた視界が、階段の向こうに灯を見つけた。


「行きましょう、お父様。以前と変わらない体力を見せてあげますよ」


 マッシューが腕を組んで不敵に笑う。使用人は顔を見合わせて呆れた笑みを零した。


「まだまだ私も若いのには負けないよ、アリエル」


 アリエノールはドレスをたくし上げ、マッシューは柔軟体操を始める。彼らの視線は既に、頂上にあるマッシューの執務室に向かっていた。


 両者支度が整うと、使用人が合図をする。二人は年齢や地位を感じさせない身軽さで、階段を一気に駆け上がっていった。


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