‐‐1898年冬の第一月、エストーラ、ベルクート宮1‐‐
私が宮殿に入城すると、陛下は既に失業者対策の勅書作成に取り掛かっておりました。時計の針は未だ深夜の3時で、陛下の睡眠時間は僅か1時間と28分でございました。
「陛下、お休みください!お体に障ります!」
私は慌てて陛下に駆け寄ります。陛下は瞼に作ったくまをこすり、力なく笑みを返されました。
「ノア、有難う。すまないね。だが、今も寒さに震える臣民がいると思うと……私には耐えられないよ」
陛下はそう言って再び勅書に向き直ります。私は恐る恐る勅書を覗き込みます。陛下らしからぬ、僅かに乱れた文字で、食糧配給所の立ち上げと、倒産した商会の建物の政府による高額の買い上げ、これを通じて会長たちへの資金の工面と元商会組合員への給与の支払い請求、そして、日雇いではありますが、劇場や集会所の清掃員志望者の募集などが記されております。
食料の備蓄も多くなく、先回の戦争のために国庫も大きな損失を被っているというのに、陛下の行動は止まりません。その代償が我々ではなく、陛下御自身の忍耐と激務であるという事実に、思わず目頭が熱くなるのです。
「陛下、どうか、もうお休みください。陛下のお体が持ちません。先日も教会に貧者の救貧を願い入れておられたではありませんか。国庫も底を尽きてしまいます。帝国が崩壊すれば、臣民全てが悲しむに違いありません」
陛下のお手にしがみつく私に対して、陛下は静かに笑みを返します。何かを諦めたような、酷く悲しい笑みです。
「帝国はじきに崩壊するよ。だが、残せるものは全て残さなければ。せめて臣民が路頭に迷わぬようにしなければ。それが、国家の僕である君主の務めだ」
陛下は私の手を優しくどけると、再び勅書の書き込みを始めます。疲労困憊の、痩せこけた、しわだらけの手で、わずかな灯りを頼りに、時にはかくつきながら丁寧にペンを走らせるのです。
私は咄嗟に上着の胸ポケットに手を当てます。じゃらり、と銀貨が擦れる音が響きました。
私はポケットの中を探り、財布を机に叩きつけます。陛下の手が一瞬止まりました。
「私は国家の僕たる陛下の臣です。陛下を支え守ることが私の勤め。それが出来ぬなら、この金は国家のためにお使い下さい」
陛下は私の皮財布を見つめます。それは、私が侍従長に着任をした17年前に、陛下より賜った古い財布です。陛下は僅かに目を細め、一筋の涙を零されました。
「もどかしいな、ノア。私には何もできない。この災厄に太刀打ちする術がないのだ。臣民を守るのが私の務めだというのに……皆が苦しみ、犠牲になっていく……。せめて私に、力や知恵があったなら……」
陛下は勅書の印綬欄に涙をこぼします。滲んだ涙の雫は羊皮紙の上で暫く留まり、染みとなって紙に吸い取られていきます。
私は、陛下の震える手を握りました。細く弱弱しい、老人の手です。
ムスコール大公国の片田舎、東端ウラジーミルに生を受けた陛下は、昔から大衆の心に敏感なお方でした。断絶寸前のエストーラ家に招かれた若い陛下は、よく笑う快活で無知な御仁でした。初めは我が国の言語もわからなかった様子の陛下が、机に向かって文字を、私と向かい合って語学を寝ずに学んだのが思い出されます。
お父様がエストーラから離れて暮らしておられた陛下に、時には愛国主義者の凶刃も迫りました。さらに、帝国の宗教儀礼を良しとしない聖典派、陛下の信教寛容化のご意見を良しとしない聖言派による陛下暗殺の企てもありました。
多くの困難に、陛下はその寛容さと優しさだけで向き合い、こうして40年にも及ぶ長い統治を続けられたのです。
陛下の涙は留まらず、一筋になって頬を伝っていきます。決して陛下には突出した才がございません。しかし、それを『認め知ること』は、陛下最大の才と言って差し支えないのではないでしょうか。
「陛下。陛下がご自身を無知と嘆くなら、我々が知恵をお貸しします。陛下がご自身の無力を嘆くなら、我々が陛下の守りたいものを守りましょう。だから今はお休み下さい。陛下がいなければ、我々は知恵を貸すことも守ることもできないのですから」
陛下はしわがれた声で咽び泣きます。艶やかなその手を取ったその日から、皺だらけの手を取った今まで、私はただ、陛下に仕えると決めておりました。今生のすべてを陛下の臣として過ごしたいと。私は陛下を労わりながら、ベッドへと誘います。点々と零れる雫は月光に照らされ輝き、絨毯の上を濡らします。その染み一つ一つが、我々家臣の誇りであれと、私は再び胸に刻むのでありました。