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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1895年
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‐‐1895年春の第三月第二週、カペル王国、デフィネル宮‐‐

 未だ寝静まるペアリスのデフィネル宮に、暁の空から光が降り注ぐ。群青にわずかな茜色が混じる空は、まだ星々と月の世界であり、王都ペアリスの東に新築されたデフィネル宮殿にさえ陽光が顔を覗かせていない。

 憂鬱な表情の王妃アリエノール・ドゥ・フランソウスは、遠く南東の故郷ナルボヌにうつろな瞳を向けて、物思いに耽っていた。

 彼女にとって、ペアリスの宮殿は息の詰まる環境であった。太陽とのどかな大農園、それににぎやかで自由な農民と、種々雑多な商工業者らが、要塞のような黴臭いナルボヌ城の周りをかけていく。低い城壁は脱税を避けるだけに作られて、設けられた鋳造所から、金や銀のにおいがする。そんな故郷ナルボヌでは、アリエノールは毎日を刺激的に過ごしていた。

 この着飾られた動きにくいドレスとも無縁であったし、何よりナルボヌでは「男の職場に女がいること」が、まったく違和感なく受けいれられた。それは彼女から2代前の女領主、ジョアンナ・ドゥ・ナルボヌなる人物の時代に築かれた気風らしいと、アリエノールは伝え聞いていた。

 一方、このペアリスは高い城壁と富める者たちによって支配され、王妃ともなれば迂闊に庶民と顔を合わせることもかなわない。それがどれほど退屈なことか。彼女はペリドットのイヤリング、エメラルドをはめ込んだネックレス、さんざめく黄緑色のスフェーンを嵌めた大きな指輪を構っては、深いため息をつく。天蓋付きの良質なベッドに向かう気にもなれず、外出用のドレスのままで、小さなバルコニーから空を眺めていた。


 デフィネル宮は薄い空色の外壁を持つ建物であり、代々王家の守護者であったデフィネル家がカペル王国からの王位継承に際して建設を決めた、比較的新しい離宮である。日中には空に擬態したような控えめな印象を与えるこの宮殿には、日夜宮廷の要人たちが会議や謁見のために集っている。


 ぼんやりと暁の空が色めきだすのを見つめていると、部屋の外から聞きなれた足音が響き始める。その足音がするたびに、彼女は背筋を虫が這うような不快感に見舞われるのである。


「陛下の変わり者にも困ったものだ」


 王国の大都市ル・シャズーを治める大蔵卿、レノー・ディ・ウァローの声である。アリエノールは、この家臣が一等苦手であった。というのも、彼女に対して一方的な敵対心を抱いているためである。思わず漏れた小さなため息の後、彼女は室内へと戻った。


「しかし、ウァローの娘とあれば、十分王家に匹敵する家柄だというのに、何故彼女にこだわるのでしょうね。子息も授からぬナルボヌの商売女などと……」


「……このままご子息が生まれなければ、カペル王家は再び断絶の憂き目に遭う。私の元気なうちに、是非王位継承者の顔を見てみたいものだ」


 二人分の足音が遠ざかっていく。アリエノールは唇を引き結び、足音が消えるのを待った。空が赤みがかっていく。足跡の通り過ぎた静寂の中で、彼女は机に額をついて塞ぎ込んだ。


 『ナルボヌの商売女』という言葉は、彼女のプライドを傷つける言葉である。ナルボヌ伯爵は貴族ではあるが、女領主ジョアンナの代に行われた、負債を完済するための大規模な経済政策によって、ナルボヌ出身の女貴族といえば「商人」だ、という印象がすっかり板についてしまったのである。

 財政難に苦しむ王家がナルボヌ伯爵令嬢とカペル王国王子のおよそ不釣り合いな結婚を認めたのも、こうした「金持ち」の印象のためであるのは間違いない。彼女が肩身の狭い思いを抱くのは、やはりこうした「不釣り合いな」しかも「金目当ての」婚姻という周囲の印象に晒されるためである。子供が女性のみで跡取りができないことも、こうした肩身の狭さに拍車をかけた。


 彼女は机から顔を持ち上げ、赤くなった鼻先を再び東の窓へ向ける。空がデフィネル宮の色を取り戻していく。今日も、彼女の憂鬱な一日が始まろうとしていた。


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