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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1897年
35/361

‐‐◯1897年春の第三月第一週、エストーラ、舞台座1‐‐

 長い飢饉の一年を越えて、エストーラ経済はようやく立て直しの目途が立った。

 皇帝生誕祭の演目は、『カペラの結婚』で、カペル王国の主宰神カペラの結婚式に、各地の主宰神がそれぞれの形で祝賀を送るというものである。昨年の事件を通してもなお、エストーラの温和な老帝は、四か国同盟との協調を諦めてはいなかった。彼は各国の君主に招待状を送り、最新の舞台座での最高の一時を、彼らと共有したいと考えていた。


 ムスコール大公国の新宰相シリヴェストール・アバーエフ・マスカエヴァは、ブリュージュ占領事件の責任を取って辞退した前首相の後任として、胃痛を堪えながら舞台座へと到着した。

 舞台座の周囲では、少し瘦せ型だが十分に元気な様子の臣民たちが、ムスコール大公とエストーラ大公の紋章旗を振りながら彼を出迎える。二つの犬鷲紋章(ベルクート)は仲睦まじく互いを見つめあっており、ムスコール大公国での『責任追及』の洗礼に疲れ果てた彼の涙腺は既に緩み切っていた。

 絢爛な衣装の中に混じって、襤褸切れのような衣服をまとった子供たちが混ざっている。彼らは着飾った人々の腰の高さから顔を覗き込ませ、控え目に彼に手を振って見せた。それは彼に、曇天の空の下、貧民たちが凍えるのを防ぐために奔走した、ムスコール大公国の八等官の逸話を想起させた。彼はエストーラの老帝に、子供たちの為に自分たちがやってきたことの詳細を伝えようと、この時思い立ったのである。


『ヴィルコメン、ヘル・シルヴェスター!』


 皇帝の御用馬車から降りた彼は、絶え間ない歓声の中に、そうした人々の声を聞いた。あまりの暖かさに零れそうな涙を堪え、彼は新顔の指導者として相応しい挨拶をする。スーパー・スターにでもなった気でいるのかと、パパラッチが紛れていれば鼻で笑うに違いない。


「シリヴェストール閣下、ようこそおいで下さいました」


 ヘルムートは普段よりも少し明るい調子で声をかける。彼にとっての第一の故郷の指導者は、気さくな老帝の様子にこれまた感動した。


「ピアル陛下、暖かいお出迎え、感謝に堪えません!」


 二人は握手とハグを交わすと、玄関前でしっかりと観衆たちに見えるように友好のポーズを取る。シリヴェストールは既に、この国の虜になりつつあった。


「昨年の大飢饉やご不幸がありましたから、『貴方の臣民』が悲しみにくれてはいまいかと、正直心配しておりました」


「私は国内に餓死者を1224名出してしまいました。未熟な統治者を支えて下さったのは、他ならぬ『エストーラの臣民』なのですよ」


 ヘルムートは自嘲気味に微笑む。シリヴェストールは自身の非礼に気づき、短い謝罪の言葉を述べた。ヘルムートが首を振って微笑む。二人は観衆の歓声を背中で受け止めながら、舞台座へと入っていった。


「おおこれは凄い!圧巻の幾何学アーチだ!」


 すっかりエストーラの空気に飲み込まれたシリヴェストールは、天井を見上げるなり、独特の建築様式に歓声を上げた。彼の故郷は降雪で屋根が落ちないように、雪がよく滑るように屋根に傾斜のある建物や玉ねぎ型のドームを見ることが出来るが、芸術の粋を極めた天井世界を見ることは難しい。広い平面の天井に、春露に煌めく蜘蛛の巣のような幾何学アーチを見つけた彼は、既に祝儀をいくら支払うべきかを考える始末であった。


「全く素晴らしいでしょう?我が国の誇りです。そうそう、建物のどこかに、貴国と私の絆が隠されておりますよ。探してみてはいかがでしょうか?」


 ヘルムートはそう言って、ゆっくりと歩き始める。それに三歩遅れて、シリヴェストールも舞台座の一等席への道を進む。天井を覆いつくす神話と幾何学アーチの壮麗さ、赤絨毯が導く鷲の像を有する手摺付き階段、そして壁面の繊細な金銀細工と絵画の数々。北方の民は、これを日常的に見ることが出来る臣民たちに、小さな嫉妬心さえ抱いた。


 手すり付き階段の赤絨毯の上をゆっくりと登り、景色を楽しみ終えたかに思えたシリヴェストールは、壁面に描かれた二羽の鳥の姿に、思わず表情を綻ばせた。


「ピアル陛下、ウラジーミルでの暮らしはいかがでしたでしょう?」


 三歩先を行くヘルムートが足を止める。彼は白い髭を揺らしながら、満面の笑みで振り返った。


「あの最高の時間が、全ての人々に平等に与えられればいいのに。恥ずかしながら、在位以来のこの目標に、なかなか私は行きつくことが出来ないでいるのです」


「そう簡単に到達されては、我が国の威信にかかわりますよ。虹の雷(オーロラ)の伝承はわが国固有のものですから」


「友愛の精神がある限り、オーロラは私達の頭上に輝くのでしたね」


「だからこそ、陛下の頭上にオリヴィエス様が虹をかけて下さるのでしょう」


 色白の中年は、すっかり収まった胃痛にも気づかずに、白い歯を見せて微笑んで見せた。


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