‐‐1895年春の第三月第一週、エストーラ、ノースタット‐‐2
舞台座は、中央を突っ切る赤絨毯から真っすぐに階段を昇れば、一等席へと続くように設計されております。そして左右に伸びる青絨毯に沿って劇場へと入場すれば、市民にも親しみやすい廉価な二等席へと入場することができます。
この壮大な大劇場は、複雑な幾何学アーチによって天井を彩られ、クリーム色のこれらのヴォールトが、さながら一つの絵画を描くかのように張り巡らされております。そして、そのヴォールト一つ一つを額縁として、細かな絵画‐これらには、陛下が好んで用いられる2羽の「架空の」鳥、オオウミガラスとワライフクロウなども含まれます‐が、所狭しと描かれております。
陛下は一つ一つの絵画を噛みしめるように見つめ、赤絨毯のちょうど中心に差し込む、薔薇窓からの鮮やかな光の中で振り返ります。
「私は、嬉しい」
その言葉を受けて、自ら案内役を買って出た建築士がおろおろと噎び泣きます。陛下は彼の肩を叩くと、優しく抱き寄せ、その功労を称えられました。
こうした博愛的なご様子は、陛下の即位から続く、諸々の強烈なトラウマによって作られたものであることを、我々家臣一同は知っておりました。
今回は特に、かつて建築士の一人が、陛下の「不思議な形だね」というお言葉に気を病み、自ら命を断ったことを、陛下は酷く気にしておられることでしょう。我が国を担う芸術家の一人を殺めたと自らを責める陛下の痛ましいご様子は、今でも目に焼き付いております。
そうして、家臣たちは陛下のお言葉が本心のものなのか、或いはそうではないのかについて、判別することはなかなか叶いません。それでも、建築士の栄誉の為に、我々は彼を労わるよりほかに方法はないのでございます。
「では、劇場へとご案内いたします!さぁ、陛下、此方へ」
建築士は涙を拭い、快活とした表情で陛下を赤絨毯の上に案内します。陛下は彼に礼を言うと、その後ろに従っていきます。侍従長たる私は、その後ろにつこうと足を止めておりましたが、陛下は私を手招きし、隣り合って歩くことを望まれました。
かくして劇場に至ると、三階建ての巨大な観覧席には、黄金の手すりと、真っ赤なカーテン、それに備え付けの杉のテーブルなどのほか、陶磁の艶やかな皿にケーキが並んでおりました。すでに準備万端という様子のこの特等席に、陛下はゆっくりと腰掛けました。私もそれに続き、陛下は自ら建築士と私に、ケーキを取り分けてくださったのです。
「カサンドラも、この場所に招きたかったね」
「えぇ……」
私は静かにそう答えると、陛下とともに劇場を見下ろします。
皇后陛下であらせられる故カサンドラ妃は、ノースタットから西南西にある、巡行先の教皇領で、聖言派の活動家たちの凶刃に倒れました。元は美貌に恵まれたこの上ないご身分であられたお方でしたが、陛下が多忙の上に、陛下の大叔母君による過剰なほどの厳しい言付けにより心労に病み、ノースタットを嫌い離れるようになりました。教皇領へのご巡行もその一環とした逃避であり、陛下は努めて穏やかに接しておられましたが、一度旅立てば中々お戻りになられませんでした。今でも、陛下は彼女の傍に居られなかったことを悔やみ、時折「悪夢に見る」と仰せられます。
取り分けられたケーキはそれぞれ、陛下が大粒の栗を中に入れたモンブラン、私には私好みの、大粒のイチゴが乗ったショートケーキです。ワイングラスには、葡萄ジュースが静かに注がれます。陛下が執務中であることを殊更に気にされるがために、アルコール飲料を避けるようにと伝えた為でしょう。陛下はグラスを手に取ると、私と、建築家と共に杯を突き合せます。しわがれた穏やかな「乾杯」の音頭は、実に心洗われるものでございました。
劇場には、多くの観客が詰めかけております。二階席には豪商や職人ギルドの長、芸術家、建築家、下級の貴族や下級の聖職者たちが、三階席には上流階級の貴族と聖職者たちがすでに劇場に顔をのぞかせています。
広い一階席には、我先にと良い席を争う一般の臣民であふれかえっております。陛下はその様子を静かに見下ろしながら、私に向けて演目のキャスティングについてお尋ねになります。豪華な新築のにおいの中に、人のにおいが充満するようになると、劇場を明るく照らすシャンデリアの灯りが半分消されました。
わっと歓声が上がり、舞台座の赤カーテンが窓を覆い、舞台の幕が開きました。
壮麗なオーケストラ音楽に合わせて、帝国最高の芸術が、貴賤貧富の別なく、帝国のあらゆる人々に向けて、開演されたのでございます。