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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1909年
298/361

‐‐1909年春の第一月第三週、プロアニア、ゲンテンブルク‐‐

 大地に立つ巨大な鉄塔を見る時、プロアニア人はある種の勇気を与えられる。彼らの英知の結晶が、偉大なカペル王国の魔術師を打ち破り、エストーラという強大な帝国を降伏させた。彼らの力が、神の作り出した理不尽な世界を打ち負かしたのである。


 今、ゲンテンブルク郊外の広い草原の中に立つ鉄塔は、末広がりの形を成している。中央の巨大なロケットエンジンを囲みこむようにして、固形燃料を詰めた小さなロケットたちが連なっている。以前のスマートな構造のロケットとは異なり、そのずんぐりとした形態は、どこか愛らしさすら漂う。しかし、それは宇宙進出へ向けて最適化を続けたコンスタンツェの出した一つの答えであった。


 アムンゼンは、完成品を一目見るなり、連なるエンジンに眉を顰めた。


(燃料の消費が激しいな……)


 この無駄の多い機体は、さながら鮟鱇のようである。深海に潜む不細工な鮟鱇のメスに取りすがる、多くの雄の群れのようだ。


 アムンゼンは机に肘をついて目をぎらつかせる国王を一瞥する。ヴィルヘルム・フォン・ホーエンハイムは彼を取り囲む市民になど目もくれず、見定めるようにこの非効率な機体を見つめている。


「これが人類初の宇宙飛行か。面白い形をしているね」

「えぇ。兵器としての効率面では劣りますが」


 王と宰相の滔々とした口調の会話に、コンスタンツェが無遠慮に割り込んでくる。


「まずは大気圏を超えること!これに大量のエネルギーが必要です。ですから、初めの機体にロケットエンジンを多用して、重力に逆らって浮上します。そして、わが星の衛星軌道上に上がること。これが今回のミッションです」


 コンスタンツェのきらきらとした瞳を、宰相は訝しげに睨む。王は高い鼻を持ち上げて、乾いた笑いをこぼした。

 周囲を囲ったバリケードの外側に、烏合の衆が群がっている。空は高く青く澄んでおり、それを薄っすらと工場から漏れる煤煙が覆っていた。

 人々はコンスタンツェと同じような期待の表情を見せているが、バリケードの内側を守る兵士たちは緊張感に満たされている。それにも増して、科学者たちと技術者たちは、手を合わせて祈るような有様であった。


 草原の中に作られた不気味なミステリー・サークルの中心に鎮座する、鉄塔のアエネイスが抱える中央のエンジンに、液体燃料が注入されていく。張りつめた空気を楽しむ王は嘲笑の声を漏らし、科学者たちに一瞥をくれる。


 重苦しい緊張感の中、技術者たちの背中が、猛毒の燃料を注入し終えて急ぎ退避を始める。所定の発射時間まで、間もなく十分前となっていた。


「陛下、ご準備を」


 アムンゼンの声を受けて、ガラスで防護されたスイッチを開ける。滑らかな赤いスイッチを素手でなめるように触り、慈しむようにうっとりとした視線を送った。


「支度が速いのは良いことだ」


 ふふっ、と小さな声が漏れる。猫背の宰相がじっとりとした目つきでその仕草を観察している。期待に何度も腕を振りあげるコンスタンツェを、フリッツが腹をさすりながら見る。奇妙な期待感と緊張感のグラデーションの中で、刻一刻と、発射時刻が近づく。都市の工場群が稼働を停止し、昼食の予鈴が町に響き渡るころには、群衆はこの大きなサークルの中に我先にと群がった。


 市民全員がこの場所にいるのではないかというほどの、驚異的な人口密度。がらんどうの町から、最後の煤煙が吐き出されると、一瞬、空の青がその彩度を増した。


「|カウント・ダウンを《Der Countdown》」


 科学者たちが顔を見合わせる。脂汗にまみれた掌で白衣を握りしめる。搾り取れそうなほどに白衣に染みた汗が、ボタンを中心にジワリと広がっていく。王、宰相、科学相が耳栓とゴーグルをし、科学者たちもそれに倣った。


「3・2・1」


 静かに、厳かに。緊張感に満たされたサークルの中に声が響く。目を見開き、瞬きも忘れて機体を注視する群衆たちは、澄んだ空の青を生まれて初めて見た。その美しささえ、鈍色に光を湛えて佇む鉄塔のアエネイスの弾頭に霞む。真っ青の中に、アルミニウムの球体が眩く輝いてる。太陽よりもなお近く、その光に当てられた群衆は胸の高鳴りを抑えきれずにカウントを叫んだ。


0(Null)!」


 強烈な熱線とぬるい風圧が周囲の草原を吹き抜ける。雑草を切り裂き、強烈な火炎がサークルの内側に浴びせられる。風になびく白衣、コンスタンツェの目に、豪炎と粉塵が映る。ゆっくりと機体が持ち上がり、やがて熱線が地上から離れると、その堂々たる威容が空へと高く昇っていく。巨大な風圧だけが周囲に残り、強烈な熱線が肌を撫で上げると、歓声に満たされたサークル内が一瞬にして静寂に満たされた。宰相は空を見上げ、猫背を伸ばして、英知の結晶を見送る。


 ロケットの粉塵が尽きると、機体が一つ、一つと打ち捨てられていく。最後の機体が空の彼方まで消え去ると、科学者たちは脂汗に満ちた掌を重ねあい、感涙にむせび始めた。

 その行く末を見届けていたコンスタンツェは、空に留まる噴煙が青の中に霧散するのを、眩しそうに目を細めて眺めた。


「まだ、始まりに過ぎない……」


 技術者の一人が、ヘッドホンを手で押し込みながら、フリッツに向けて叫んだ。


「『声』を検知しました!」


 甲高い、鳥のような鳴き声が、彼のヘッドホンの中で産声を上げる。フリッツが静かに手を挙げ、ヴィルヘルムに耳打ちをする。腰に帯びた拳銃をそっと撫でたヴィルヘルムは、静寂の中ですくりと立ち上がると、拳銃を天に向けて撃ち込んだ。


「私たちは!何も与えられなかった私たちは!ついに、神の天蓋を撃ち破った!」


 頭を割るような大歓声が上がる。アムンゼンはゆっくりと空を見上げ、流れる白い雲に隠された向こう側を見つめた。


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