‐‐●1909年、春の第一月第三週、プロアニア王国、ナルボヌ‐‐
神様が定めて下さったのは
身分、階級、容顔、才能
我らの姫君が下さったのは
金、金、金と、そして金
どちらが眩く美しいのか、見紛うはずもありません
金、金、金と、金こそ全て
金あってこその愉しみよ、金あってこその自由よ
金さえあれば何も要らぬ?いやいや、金あってこそ全てが満ちる
ここはナルボヌ、黄金の鎖、人は囃す、吝嗇のバナリテと
被占領者の不自由など、この都市には構うものなどなかった。王妃アリエノールへの弔いもそこそこに、ナルボヌの人々は次の支配者に数多の交易品を工面した。
もちろん代金は割高である。占領者たちは大いに金を持っているからだ。
ここに沢山の富を残し、一つの豊かな楽園を作る、それこそが、市民たちが敬愛する王妃アリエノール、つまり吝嗇のバナリテことジョアンナ・ドゥ・ナルボヌの遠い血縁者への本当の弔いである。
ナルボヌに配置されたプロアニア兵は幸運である。金を払えば贅沢な暮らしができるからである。市壁も低く、通行税のためだけに建てられたものと分かるので、プロアニア人にも敷居が低い。
ウネッザと水路を繋ぐこの地は、大規模な商業施設と貨幣鋳造所があり、経済活動も盛んに行われている。プロアニア王国占領統治下にあっても、エストーラ帝国への海路が開かれており、一つの交易拠点として、役割を担うことが出来る。旧カペル王国内において、この場所だけが殆ど元の都市の様子を残していた。
プロアニア兵はナルボヌの中枢である古い要塞で業務に集中することも出来る。この楽園には反逆者も居らず、聞き分けのいい人々と共に、豊かさを取引することが出来る。カペル王国のどこを探しても見られない、契約社会がそこにはあったのである。
要塞を警護するプロアニア兵は、機械的な小型の船舶が、川から水を引く堀へと入ってくる姿を目にした。船舶にはプロアニアの国章があり、積荷はあまりにも多い。食料や戦略資源に混ざって、硝子細工などの嗜好品も運び込まれてきた。
兵士は積み荷を降ろす水兵たちをちらちらとしきりに見る。群がる市民たちは荷物の中から、交易品を買い取れるように、水兵に話を持ち掛けていた。
「話の分かる連中」は、水兵に適切な価格を提示する。差額を富として得られたウネッザ領から来た水兵は、代価としてナルボヌの穀物の提供を受ける。乏しい支給品しか得られない水兵たちは、この取引に大いに満足し、皆小麦入りの麻袋を担いで船内へと戻っていった。
遅れて降りてきた水兵の一人が、きょろきょろと周囲を見回す。その手には大きな木箱があり、中身が容易に想像できる、ウネッザの特産品である辛い酒のラベルが貼られていた。彼は取引相手を見つけると、自分の木箱を取引相手に手渡す。取引相手からは麻袋一杯の穀物や、航海には必要不可欠な柑橘類、色とりどりのベリーを受け取った。
プロアニア兵はその様子を眺め、取引終了後の市民たちに向けて叫んだ。
「関税の徴収のために、そのまま、こちらの市場にお集まりください!」
声を聞くまでもなく、市民たちは続々と旧市場へと集う。
古い要塞であるナルボヌ城の外周、堀のごく近くに建てられた吹き抜けの市場には、かつて関税の管理を行っていた財務担当官の執務机がある。兵士は机に向かい、一つ一つの交易品を検品すると、そのうちの一割を徴収する。
最後の市民から旨そうな酒を徴収した兵士は、集まった市民たちに丁寧に頭を下げた。
「お疲れさまでした」
「いつもお勤めご苦労様です」
市民たちも兵士を労い、自分達の古い家屋へ戻っていく。手に乗り切らないほどの大量の荷物を続々と馬車に乗せた兵士は、要塞で待つ上司に報告するために、操車台に飛び乗った。
馬車を走らせる兵士は軍歌の鼻歌を歌う。身に染みこんだ調律と共に、要塞の跳ね橋を渡った。城壁に囲まれた急峻な道を、馬に鞭を打ち進んでいく。見張りの兵士達が双眼鏡で馬車を見つけて、ふざけて笑いながら「侵入者発見!」と叫んだ。女神カペラの小さな社が建てられた広場に至ると、タレットから続々と兵士達が群がってくる。
「ウネッザの酒だ!旨そう!」
「関税だから、勘定が終わってからな」
「ちょろまかすなよ」
「しないよ、そんなこと」
浮足立った兵士達が、馬車を囲い込む。上官が肩を怒らせながらパレスを降りてくると、兵士達は素早く背筋を伸ばして敬礼をした。
「どうだ、どうだ。今日の収穫は」
馬車から続々と荷物が下ろされる。市民の半数分はある交易品が整列していくと、上官は目を弧にして笑った。
「何事も無くて何より。私のお陰だな」
彼はそう言うと、記帳係を押し退けて、真っ先にウネッザの酒を取り上げる。商品の定価よりも三割は安い硬貨を記帳係にぶつけ、うっとりとしながら濁った瓶の底を眺めた。
「評価額通りの硬貨を渡したから、記帳し直しておけ」
兵士達は敬礼を続けながら、不服そうに表情を曇らせた。上官は兵士の顔色を眺め、彼らを見下して鼻息を鳴らした。
「この地での物価は俺の裁量下にある。俺には権利があるからな。いいな。絶対にこの酒に触れるなよ。正当な権利があるからな」
「何が正当な権利だよ……」
酒を乞うていた兵士がぼそりと呟く。上官はきつい吊り目で声の主を睨み、兵士は肩を強張らせて姿勢を正す。鼻を鳴らした上官は再びうっとりと酒瓶を撫でながら、パレスの中へと潜っていった。
「あーあ、ここに吝嗇のバナリテがいたならなぁ……」
兵士達の一人が、ナルボヌ年代記にその名を残し、カペル王国にもその名を轟かせた女傑を偲ぶ。一同は乾いた笑いを零すと、それぞれの取り分を記帳係から受け取った。