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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1908年
289/361

‐‐1908年夏の第一月第四週、ムスコール大公国、サンクト・ムスコールブルク‐‐

「プロアニアに追いつけ、追い越せ」と、技術開発を進めるムスコール大公国の新聞記事に、新たな事業の話題が飛び込んできたのは、祈りの日を終えた憂鬱な朝のことである。コーヒーハウスに入り浸る人々は、「原子力発電」の可能性について、あれこれと語り合っている。


 友人と同じ席に馴染み、温かいコーヒーを啜るアーニャは、彼らの侃々諤々の議論に耳を傾けた。


 賛否両論ある。「新規技術は歓迎すべきである」、「プロアニアに先んじて実用化を急ぐべきである」、「そもそも、プロアニアに追従していくべきではない」、「重大な事故の懸念がある」

 ……それぞれの議論に合理性があるだけに、アーニャはこの問題に積極的に関わるべきか頭を抱えていた。


 朝の日差しは程よく優しく、デモクラシーの足音も聞こえない、静かで平和な日である。彼女はコーヒーの香りを堪能しながら、街路の方に意識を向けた。


 重い足取りで歩く労働者たちの姿が微笑ましい。ガス灯に括り付けられた送電線は、高級住宅地や店舗に向かって伸びている。職業安定所の前には疎らに人がおり、そうした真面目な求職者の横を、不真面目な労働者が急ぎ足で通り過ぎていく。

 学生達の溌溂とした声、じゃれつく姿も微笑ましい。未来を担う彼らを、大学構内の未来博士の像が見送っている。


(原子力への抵抗をなくすためにも、平和利用の道に予算を割くのは必要かもしれない)


 アーニャは髪を束ねる。うなじがわずかに覗くポニーテールに、店員の男性が視線を送った。

 新調の腕時計を確かめ、会計へ向かう。店員は急いでレジへと向かった。


「半リーブルです」


 アーニャが小銭を渡す。男性はさり気なく手から小銭を受け取り、お礼を述べた。


「いってらっしゃいませ」


「どうも」


 ポニーテールが揺れる。石鹸の匂いに思わず店員の鼻腔が広がる。

 アーニャはくすくすと小さく笑い、姿勢よく退店した。


 退店してすぐに、アーニャは手帳を取り出す。ひと月の最後の週の初めに、黒い字で議題が記されている。その隣に暗号めいた一言を記し、宮殿への道を急いだ。


 通勤中の労働者たちは、見知ったアーニャ閣下の姿を一瞥し、面白がって声をかける。それとなく反応を示す彼女を見送ると、彼らはひそひそ話を始めた。


 シリヴェストールの時にもあったことだが、町で宰相が歩いていると自然と新聞記者などが現れる。彼女は早足になりつつ、彼らから投げかけられる質問に答えた。


「巷では原子力発電に注目が集まっておりますが」

「平和兵器と同質の動力を兵器としてではない形で、平和的に利用するのは、喜ばしいことだと思います」


「閣下とユーリー様と密会が行われたとのお噂がございますが」

「存じ上げません」


「では、ユーリー様とはどのようなご関係ですか」

「国の未来についてお話をする機会はぜひ欲しいところです」


「平和兵器の利用に、エストーラの技術が有効であるとの意見がございますが」

「そのような意見は存じ上げております。ですが、操縦士の命を危険に晒すリスクを考えると、賢明な方法とは考えません。それに、あくまで抑止力としての保有と言う立場を堅持するべきです」


 様々な質疑に対して、可能な限り毅然とした態度で答える。アーニャの早足が加速し、宮殿の敷地に逃げ込むように駆けこんだ。記者たちは大声を上げて様々な質問を飛ばす。アーニャは足首を労わりつつ、議事堂へと歩いた。


「ヒールで走ったのか。挫いてないか?」


「ルキヤン様。おはようございます」


 ルキヤンはアーニャに挨拶を返す。記者の姿が見えなくなると、二人は大きなため息を吐いた。


「あの……シリヴェストール様の時もあんなだったのですか?」


「君はいつもそう聞くな。あんな感じだ。大層疲れるだろう?」


 アーニャは後ろを気にしながら「少し」とだけ答えた。


 アーニャは鞄を肩に掛け直す。衣擦れの音に、隣にいる大男の視線が動いた。


「本当に大丈夫か?」


「えぇ」


 アーニャは再び早足になる。ルキヤンの歩幅が大きくなっていく。

 暫くして、彼はきまりが悪くなり、歩幅を小さくした。そのすきに、アーニャは殆ど逃げるように通り過ぎていった。

 アーニャの後ろ姿を見送ると、今度はルキヤンの後ろからユーリーがのんびりと歩いてくる。


「ルキヤン様もお盛んですねぇ」


「……お前ほどではないがな」


 二人は足並みを揃えて議事堂へと入る。短い夏の日差しは強く、心地よい。汗ばむ議員たちが記者の目を盗んで議事堂へ入っていく。


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