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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1908年
287/361

‐‐1908年夏の第一月第一週、アーカテニア、マドラ・スパニョーラ2‐‐

 パラツィオ・デ・スパニョーラで執り行われる身分制の緊急会議、コルテスが催されるのは実に50年ぶりである。特にカペル王家に連なる家系が王位を継承すると下火となり、第三身分の参加者が王による指名で決められることとなると、その意義をすっかり失ってしまった。

 絵画ばかりの暗い雰囲気を持つ宮殿に集った第一、第二身分の参加者が連なり、第三身分では王族の債権者達がこぞって席を埋める。法王は犬鷲の紋章が記された親書を開き、厳かな口調で語り始めた。


「エストーラ帝国の元外務卿、フッサレル・フォン・ボーヴォルフ殿からの親書である。この度、民主制に移行したことに関する挨拶と共に、プロアニアの増長に対する対策として、秘密裏にアーカテニアとの関係を深めたいとのことである。この文書はウネッザ・旧カペル王国を経由できないことから、大回りの航路を通してこの地に届けられた。返答もそのようになる故、一年越しの文書にもなり得る。よくよく慎重にことを進めるべき事項故、コルテスの召集を決めた」


 法王の言葉を受けて、第一身分の人々はこめかみを押さえ、第二身分の人々は腕を組んだ。第三身分の人々は、注意深く特権階級の人々の様子を窺っている。潮風の香りが僅かに香る邸内に、俄かに緊張感が走った。


「して、貴君らはどう考えるのか。我々はエストーラを信用しても良いものか」


「アルフォンゾ猊下、私は反対ですぞ。何せ先の大戦でも帝国は役に立たなかったではありませんか。どうせ役に立たぬ腰巾着を引き受けても重いばかりではありませんか」


 第二身分の一人が語る。一人が答えると、彼らはそれに同調して頷き合った。


「いいえ、同じ神の倉の住民、エストーラの手を取るべきです。異教の反意は治まったとはいえ、我が国には今や同胞も居りませぬ。経済的な連携でも、それは十分ではございませぬか」


 第一身分の一人が答える。聖職者たちの意見は割れたが、第三身分の人々は賛成の声を上げた。


「いいえ、エストーラは神の倉の住民ではありません。そういう人もあるというだけの、雑多な異教徒の群れでしょうが」


 第二身分の人々はその意見に大賛成をし、時には野次を飛ばす。貴族の声が大きくなるにつれて、アルフォンゾはほくそ笑んだ。

 第一身分の声が小さくなり、第三身分からも離反者が現れ始める中、人形のように黙っていたサビドリアが手を挙げた。第二身分の人々は野次を飛ばすのをやめ、第一身分の人は思わず震え上がった。


 慇懃な様子でこめかみを押さえ、一同に礼をすると、サビドリアは法王に余裕のある笑みを向けた。不気味なほどの落ち着きように、目に見えない力に気圧される。


「私は、エストーラとの良縁、繋ぐ手はあるかと存じますよ」


「サビドリア師、彼らは先の大戦では何の役にも立た」

「アーカテニアがその版図を広げるには、カペル王国の権威を復興する必要がございます」


 サビドリアは反論を許さずに言葉を重ねる。参加者たちは顔を見合わせてざわついた。サビドリアの涼しい表情を見て、法王は額に青筋を浮かべる。


 そんな法王を、サビドリアは鼻で笑った。


「こちらにはデフィネル家の愛娘がいる。その権威を返り咲かせ、それを国王陛下が娶るというのが、常道かと存じますが」


「それならば、ウァロー家でもリオンヌ家でも良いではないですか。何故にデフィネル家にこだわるのですか」


 法王が怒りを抑えて声を上げる。サビドリアは人差し指を立てた手を上下に動かしながら答えた。


「ウァロー家にせよリオンヌ家にせよ、勝ち目の薄い戦いに参画するような愚行を犯しは致しませんよ。賢く老獪な公達ではいけないのです。若く、知見の狭いうちに取り込まなければ」


 法王の息遣いが荒くなる。飄々としたサビドリアに向けて、唾を飛ばして怒鳴りつけた。


「地上にあって神に並ぶものなし!王は神の代弁者であり、我は王の父である!神に誓って言うが、貴様のような聖職者の風上にも置けぬ輩の言う事など、誰が聞くものか!」


「剃髪の後も、髪を整えず、法の「王」の名を騙るばかりで世俗に拘る。さしずめアーカテニアの宗教的権威を取り込もうとしたのでしょうが、それにしては我慢も利かず、威勢が良いばかり。法王とはよく言ったものです。司教でも教皇でも、司祭でもなく、法王とは」


「この者を捕らえよ!」


 法王が怒鳴り声を上げる。周囲の衛兵が続々と室内に駆け込み、槍を構える。


 サビドリアは涼しい顔を包囲する衛兵に向ける。途端、取り囲んでいたはずの兵士は槍を落とし、指先を震わせて腕を下した。

 動揺する兵士の中から、ひと際勇敢そうな男を見定めたサビドリアは、その男のでこに人差し指を立てる。慈悲深い笑みを零したサビドリアは、再び席に着きなおした。

 指を立てられた兵士は蹲り、激しい呻き声を上げる。体が不規則に膨張し、口の中から飛び出た舌先が枝分かれして触手となった。触手は狼狽える兵士達を絡め取り、大きな口の中へと捻じ込んでいく。顎が外れ、鎧が弾け飛び、触手で絡めとった兵士達が体内に無理やり押し込まれていく。見開かれた目から血の涙が溢れ、苦悶の声を上げる。サビドリアはこの憐れな苗床を見おろし、うっとりと顔を蕩けさせた。


「それで、コルテスの総意はどうなのですか?」


 賛同者たちが続々と現れる。禍々しい怪物と化した、歪に体が膨らんだ魔物は、舌先で触手を蠢かせながら室内を這いまわる。

 法王は恐怖に慄きながら、悲鳴のように叫んだ。


「閉会、閉会!エストーラとは協力関係を結ぶ!この者を元に戻せ!」


 サビドリアは法王や怯える参加者たちの青ざめた顔を眺める。彼は紅潮した頬を両手で覆い、恍惚としながら、這いまわる兵士を蹴り上げる。その一撃で醜く膨れ上がった肉体が弾け、高貴な身分の人々が着る服を返り血が染め上げた。


 人々は我先にと逃れていく。

 サビドリアは、腰を抜かして動けないアルフォンゾに、ゆっくりと歩み寄った。怯える法王の頬を、細い指先が撫で上げる。


「いい表情ですよ……。芸術的でさえある……」


 うっとりとした表情の彼が声をかけると、アルフォンゾは泡を吹いて気を失ってしまった。


「あとはもう少し、優れた矜持のある方であれば楽しみ甲斐もあるのですが……」


 サビドリアは目を弧にして微笑み、気絶した王を置いて部屋を出ていく。宮殿の絵画はすっかり血で染め上げられてしまった。


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