‐‐1908年春の第三月第四週、プロアニア、旧カペル王国領アビス‐‐
車窓には、倒壊した市壁の遠景が映る。焼け焦げた、高い高い鐘楼の中には、主人のいない巨大な油皿があり、在りし日の思い出を偲んでいる。
大きな貨物車両が町を通過する。都市を横断する線路の中心には、貨物駅があり、カペル人達が忙しなく荷物を運んでいる。
旧教会の門は閉ざされたままであった。カペル人が結社をする恐れのありそうな大きな施設は他にも幾つもあり、それらの周りにはプロアニア兵が巡回している。
昔は、こんな風ではなかった。アビス教皇庁を中心に、信心深い人々が祈りを捧げ、自分とは異なる分野の専門家たちが、日々神学の研究に勤しんでいた。プロアニア兵の抑圧された心が伝播して、聖都を単なる地底世界に作り変えてしまった。
私は白衣の裾を尻の下敷きにして、地底世界をぼんやりと眺める。白い雪の降る夜の町に、学生達の笑い声があるのとは違って、色彩豊かで、あまりにも殺風景でもある。
『地上に太陽を作る』
1億度以上の熱線を核分裂により捻出し、異なる重水素原子の核融合反応を起こす。それは、強力な爆発力と人道に悖る圧倒的で無差別な殺傷力を作る。
「平和兵器」が皇帝の一撃であるならば、それはさながら「至上天の審判」であろう。そして、技術的には、私達にはそれらを作る準備があり、弾頭に取り付ける技術がある。
破滅の閃光の後にあるものは、蒸発した雪原と、死屍累々の瓦礫の山、蕩けた建造物、干上がった河川である。
あの心穏やかな人々の文化が一瞬にして消し飛ぶ。「形」すら残らずに消滅する。あの学生達の貴重な研究成果が焼失する。
「そんなことがあってなるものか……」
アビスの教皇庁に蔦が張っている。それは鐘楼へ向かって真っすぐに伸び、今にも頂点へと上ろうとしている。
鐘楼の裏から強い日差しが顔を覗かせる。眩い光の下で、物憂げな表情の兵士達が銃を提げて歩いていく。カペル人は、それから逃げるように歩幅を広げて積荷を運んでいく。焦りと恐怖の入り混じった表情である。
考えてみれば、この命があるばかりに、私達は苦しむのかも知れない。命はいずれ潰えるが、人類の終末まで文化を残すことは出来るだろう。
「せめて、建物だけでも残せないものだろうか……」
私はため息交じりに呟く。車両は、瓦礫の集会場を石で削るカペル人とすれ違った。
太陽が再び建造物に隠れ、車両は日陰を通り抜ける。いよいよアビスの市壁を潜るところまで辿り着いてしまった。
車両は排気ガスを一気に吹き出して停車し、運転手は窓のハンドルを回す。運転席の窓が開くと、兵士が顔を入れ、免許証と通行許可証の提示を要求する。運転手は免許証を、私は通行許可証を取り出して、それぞれを運転手が提示した。
兵士はボールペンをノックし、通行記録を残す。最後に免許証と通行許可証を返すと、仲間達に合図を送った。
はじめに落し門が、次に市門が開かれる。木材特有の軋み音を聞きながら開く視界を眺めていると、白い雲を纏う遠い尾根の中に、虹色の光の筋が射しこんでいるのが見えた。開けた視界の中を揺蕩う雲の白い光が、薄い空気から濃い空気を貫通して、私の視界を満たしていく。
それは世界を透過するような光であった。その白さは門の向こうまで届いているかのように、遠景と同じ色をしていた。
「……謎の霊感が……」
すぐに陛下に奏上しなければ。そう思った私は、帰還を待ちきれずに、車両の脇に押し込まれた電報を取り出した。
車内に、慣れない鍵盤を叩く音が響く。車体が揺れるたびに、紙の位置を直し、未整備の獣道のような、カペル王国特有の道を進んだ。
右脇では、道路と並走するように、線路が続いている。線路は首都ゲンテンブルクへ向かって一直線に伸びており、その線路の上を電車が走行する。すれ違う電車の車窓には、私の国に住む資本家や、交代の兵士などが乗車している。車窓に映る彼らの表情は暗く、俯きがちに何かを見おろしている。
長い、長い電車の通過を見届けると、視界に緑、一面の緑が映る。約2年も続く、両陣営に甚大な被害を齎したヴィロング要塞までの道筋を、僅かに数十分で通り抜ける。車両はヴィロング要塞を通過し、整備された道路を真っすぐに進んだ。
見慣れた国境の門が現れる。兵士達に通行許可証を提示して、塀に囲まれた狭い道路を進む。アビスから2時間と掛からないうちに、私達はプロアニア本国へと入国を果たしたのであった。