‐‐1908年春の第三月第二週、エストーラ、ベルクート宮‐‐
故郷がプロアニア領となり、支持基盤を持たないベリザリオ様を除いて、代議員に選出された顔ぶれには、見慣れた人々も多くおられました。
赤絨毯を敷いた雛壇に、420名の代議員が一堂に集まります。陛下は赤絨毯の脇に私と共に控え、銀製の杖で身を支えております。陛下の後ろでは従者たちが、420名分の議員勲章をそれぞれ105ずつ入れた大きな箱を持っており、皆緊張した面持ちで雛壇を見上げております。
雛壇から少し離れた、赤いカーテンの裏では、宮廷楽団員が控えており、陛下が中央に歩まれるのを今か、今かと待機しております。
かくいう私も初めてのことでして、議員たちの例に漏れず緊張しきりなのですが、陛下はどこか嬉しそうなご様子で、ムスコール大公国製の映写機を持つ一団と、宮廷画家とに陽気に手を振っておられます。
さて、今世紀最大の『受勲式』開幕を告げる第一歩が踏み込まれると、高音から始まる盛大なファンファーレが響き渡ります。皇帝陛下は噛み締めるように一歩、一歩と進みゆき、中央の議員の前に立つと、国旗に向かって深いお辞儀をされました。
陛下に倣い、議員たちが頭を下げます。一斉に焚かれるフラッシュと、割れんばかりの拍手の音が邸内を満たします。陛下は従者から勲章を受け取り、その血管が浮きだした細い手で、議員一人一人に受勲を施していきます。
庶民から立候補したのであろう、明らかに裕福な身分でない議員の元に来ると、陛下は受勲と共に、「これからの未来を楽しみにしています」と労いのお言葉を掛けられました。先程まで緊張で固まった議員の体はほぐれ、今度は目の周りを真っ赤にしてわなわなと唇を震わせました。
陛下のお言葉は、それに足る言葉でございましたから。
一人一人に丁寧に受勲を施している陛下は、陛下の忠臣であらせられた方々の前にやって来ると喜びに表情を緩ませて、短く「おめでとう」とだけ仰います。
胸元に輝く勲章を突き出さんが如くに胸を張りだした議員は、受勲を賜りつつ深く頭を下げ、陛下が次の受勲のために移動するのを見送りました。
勲章の入れられた箱が空となると、先頭の従者がすっと後退をし、次の従者が一歩を歩み出して陛下に箱を差し出しました。陛下はそこから勲章を取り、議員たちへの受勲を再開します。
空になった箱を持って雛壇を下りた従者が、私の元へと戻って参ります。彼は戻って来るなり、大層嬉しそうに、「陛下の息遣いが聞こえました」と語りました。
陛下自身、息が上がるほどの興奮を感じておられるようです。私は下から、陛下の御姿を拝見いたしました。
細い体躯と皺の寄った手指、鈍重な動きと曲がった腰、それを支える銀製の杖。立派なご老人となられたにもかかわらず、その振る舞いはどこか優雅で、高貴な指使いをされております。名もなき議員たちにもそれが指伝いに伝わっているのか、彼らの背筋はしっかりと伸び、また、その仕草の一つに至るまで敬意に満ちたものとなっております。
やはりこの人以外には皇帝はいない。そう感じさせるのです。
音楽の変調に合わせて、受勲の動きは活発になっていきます。陛下御自身が直接勲章を授けるその手さばきも素早くなり、しかし、語り掛ける言葉はより丁寧に、感情深いものとなって参ります。
外野たちも、その瞬間をフィルムに収めようと、何度もシャッターを切りました。ジジジ、とフィルムを送る音も増加し、宮廷画家も鉛筆を手にデッサンに勤しんでおります。
二つ目の箱がなくなり、再度従者がこちらへと戻って参ります。彼女は名誉あるこの仕事に何を思ったのか、空になった箱に大切に蓋をして、柔らかな指で箱を一撫でするのでした。
「どうでしたか」
「身の引き締まる思いです」
若い喉が鳴り、顔が持ち上がります。つ、と頬を伝う一滴に、映写機のフラッシュが反射いたしました。
受勲式の顔ぶれの中に、真珠の都から当選したジェロニモ様が居られます。ご立派なご様子で、堂々たる眼差しを陛下へ向けられました。
陛下は口角を持ち上げて、勲章を持ち上げます。武人特有の厚い胸板に、青いリボンの勲章が付けられます。
「いつも、有難う。君がいなければこの国はきっと……」
陛下の語尾が小さくなっていきます。ジェロニモ様は陛下の旋毛を見おろしながら、目を細めました。
「感謝のお言葉など。私こそ、陛下に深い御恩がございますのに」
そう答えたジェロニモ様は、陛下に深く、深くお辞儀をされます。幾つものフラッシュが焚かれ、白くなる景色の中で、ジェロニモ様の眼差しは一層強く輝くのでした。
やがて受勲が終わると、陛下は雛壇を従者に介助されながら降り、再び国旗へと深いお辞儀をされました。
今回の主役である420名の議員たちは、胸元に輝く勲章を背負い、映写機のフラッシュに向かって、胸を張ったのでございました。