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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1908年
278/361

‐‐1908年春の第三月第一週、エストーラ領ハングリア、ジュンジーヒード2‐‐

「誰もお前のような卑怯者に投票することは無いだろうな」


 早朝の開口一番に、ジェロニモが父から受け取った言葉だった。父は投票用紙を手に持ち、息子に見せつけるように、獅子の紋章に丸を打ち込んだ。


 息子は黙ってその様子を見届けると、自宅を後にして、行列のできた大きな橋へと向かう。コボルト、貴族、市民、様々な人々がぞろぞろと並んで、士官学校へと向かっていく。乗馬をした騎士が通りかかると、通路が自然と開けられた。


 投票用紙の束を持つ従者がそれに続く。ジェロニモは自身の主君が持つ軽率なまでの善性を想い、皮肉な笑みを零した。


 真珠の都に象徴される水面の輝きと、それに共鳴する窓の輝きに目を細める。輝きの中から現れた騎士たちは堂々たる振る舞いで橋を渡り、やはり市民は彼らに道を譲る。そうしたことが何度も繰り返された。


 ‐‐あまりにも、この町には似合わない制度だ‐‐


 ずっと長い間従属してきた市民たちは、彼らの居住区にいる騎士たちに言い包められて、投票用紙を捧げたのだろう。ジェロニモはその現実を目の当たりにしても、何も動じることは無かった。なるべくしてなったものであるから。コボルトも然りだろう。殆どが、彼らに用紙を委ねているはずだ。


 行列は遅々として進まず、投票開始時間を告げる鐘が鳴る。

 暫くすると、どたばたと荒々しい蹄の音が響き、士官学校の方向から先程の騎士たちが駆け戻ってきた。


「こんな仕組みは狂っている!」


 捨て台詞を吐いた騎士たちが橋の上を駆け抜けていく。市民たちは、それをどよめきながら見届けた。従者が騎士の後を必死に追いかけていく。ほとんど減っていない投票用紙を見て、ジェロニモが思わず目を見開いた。


 そして、市民たちは橋の向こうにある士官学校に視線を送る。遠くから怒号が聞こえ、それを宥める人の姿が前方から後方へと順々に伝わってくる。


 ‐‐これまでの見かけだけの改革とは、本当に訳が違うらしい‐‐


 人々はようやくそれに気づき、自分の手に持つ投票用紙を強く握りしめた。


「おい、さっさと進めよ」


 ジェロニモの後ろから非難めいた声が掛かる。


「あ、すいません……」


 彼は急いで行列の波に合わせて歩いたが、内心は動揺していた。

 勿論彼は立候補者であるから、投票用紙は持たない。自分の投票用紙を大切に握りしめるように、前屈みになった。


 いざ、評価される立場になると、途端に緊張感が押し寄せてくる。ある意味で投げやりだった彼は、橋の中央、列のど真ん中で狼狽えてしまった。


 続々と騎士たちが退場していくので、橋の中央は常に開かれた状態で行列が続いていく。ジェロニモは深呼吸をし、姿勢を正して腰に帯びた剣の柄を掴んだ。


「失礼します」


 行列から抜け、橋の中心からややずれた位置を、堂々と歩き始める。顔も見られるべきではないと市民に紛れていた自分を奮い立たせて、堂々と、騎士とすれ違って歩く。


 橋が途切れ、士官学校が目前に迫る。投票所受付のコボルトがジェロニモの顔を認めると、扉に手をかけて開いた。


 士官学校の中に出来た行列は、銀色の投票箱に向かって、蛇行するように続いている。彼は行列とは別の通路を進み、立候補者が並ぶ投票箱の前まで辿り着く。立候補者はそれぞれの家紋を背に、緊張と困惑の表情を浮かべている。中には、紋章ではなく、職業を示す看板を背負う人もあった。ジェロニモは、主人が不在の啄木鳥紋の前へと到着する。一度、帝国の旗に向かって深い一礼をした彼は、柄を握ったまま向き直る。そっと武器から手を離し、投票箱へ繋がる行列に目を凝らした。


 投票用紙を大切に握りしめた人々が、投票箱の前に立ち、用紙を投入しては立ち去っていく。ジェロニモは静かに目を閉ざし、競技場を吹き抜ける風に身を委ねた。


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