‐‐●1907年、夏の第二月第三週、プロアニア王国、ペアリス‐‐
前触れもなく市門が開いたかと思うと、落し門の外側から電車が通過してくる。駅のホームに停まった電車は、ボタンの上にある開閉ランプを点灯させて、ぷしゅう、と大きな音を立てた。ボタンは内側から押され、乗客たちが押し寄せてくる。武器を携えた兵士や、長身の民族衣装を着た男、帽子を斜めに被った気障な女性などである。彼らは小銃やステッキで、運び込まれた穀物に着いたタグを捲った。
全ての穀物がきっちり10㎏ずつ、規格の麻袋に入れられている。ホームに穀物を運ぶ眠たそうな目の男は、荷物を下ろすと挨拶もせずに階段を駆け上っていく。
その男は、ソルテという都市では鉄道の敷設を行った男である。仲の良い、戦争後遺症を抱える男と共に、ペアリスでは食糧の車両への積み込み作業を任されていた。
ソルテ地区における鉄道敷設の監督を担った一等兵きっての申し出もあり、この二人は「仕事の出来るサボり魔とその監視役」として、一緒に異動することとなっていた。
彼らの願いは聞き入れられなかったが、それは幸運だったのかもしれない。
タグを杖で捲る紳士は、麻袋を抱えて降りてきた眠たそうな目の男に向けて言った。
「この袋、少し小麦が多い。支払いは済んでいるから、差分だけ持って行きなさい」
「おお、有難うございます!」
紳士は麻袋を開くと、小麦を二粒取り出して、それを男に手渡した。男は無邪気に喜びつつ、2粒を大切に、自分用の巾着袋に仕舞った。
「速く次を運んで来い」
「はぁい」
男は間延びした声で返し、階段を駆け上がっていった。
紳士は使用人に荷物を運び込ませ、兵士達に耳打ちをする。兵士はそれに対して一言だけ「規則ですので」と答えただけであった。
駅のホームに着々と貨物が集められると、車掌が機械時計を見て、三秒後に笛を鳴らした。すると、電車の各車両が一斉に扉を開き、再び扉を閉める。半数の兵士が銃を担ぎ直し、ボタンを押して扉を開けなおした。
ペアリスの市民たちが荷積みを始める。兵士はタグの届け先ごとに車両を指示し、彼らの荷積み作業を監督する。
銃を提げたままで、何気なく青空が視界に映る。入道雲が高く聳え、落し門越しになだらかな丘陵地帯が見える。そこには収穫されきった農場があり、それが線路を囲っている。線路を跨ぐ痩せた農夫たちは、次なる耕地を目指して、移動していくように見えた。
「この世の地獄……」
兵士がそんな言葉を零す。ペアリスの農夫たちは、日々大地の恵みを授かって、これまで暮らしてきた。今は王によって破壊された穴ぼこの大地を再び均しながら、耕作を続けている。続けているに過ぎなかった。
収穫物のプロアニア王国への納入は、各耕作地の面積に応じた割合で徴収される。ここで言う耕作地とは、戦前に残されているカペル王国の資料と、その当時の耕地の広さに応じて算出された。
要するに、戦後の破壊された耕地面積は、全く考慮されていないのである。
プロアニア王国の閣僚は、科学技術と律令に対して偏った知識を持っていたのかも知れないと思った。彼らは意外にも農業に無知であり、あるいは関心が薄く、また人心への関心は殊更に薄かったのであろう。ペアリスという辺境に派遣された兵士は、連日痩せ衰えていくペアリスの農夫たちを目にしていた。
しかし、規則は規則である。生活を保証されるためには、自分達も規則を守らなければならない。農夫もしかりである。
「おい、気を付けろよ」
「す、すいません」
階段の方から声がする。重そうに穀物を入れた袋を運び込む、後遺症を抱えた男がホームへと降りてきた。
戦前は良い生活をしていたのだろう、相方の男よりもずっと質のいい服を身に着けている。軽々と階段を一段飛ばしに下りる彼の相棒は、慎重に下を確かめながら進むこの男を抜かして、さっさと目的の場所に荷物を降ろした。
「おい、半目!駆け下りると他の人に迷惑だぞ!」
悲痛な声で男が叫ぶ。眠たそうな男はへらへらと笑いながら、片手を挙げて去っていった。
兵士達の目に映るのは、いつもそうした光景である。眠たそうな目の男が、続々と仕事をこなし、真面目な男が注意をする。彼の作業効率は悪いが、規律を重んじる人間性は好感が持てる。
発車のベルが鳴る。労働者たちは、慌てて荷積みをこなしていく。一分後、時刻表通り、きっちりの時間に、電車が出発する。兵士達はそれを見送ると、次の電車の到着まで荷物をホームに下ろす手伝いに向かった。