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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1907年
263/361

‐‐1907年春の第一月第四週、エストーラ、ノースタット‐‐

 基本法の草案を練るために、閣僚一同、陛下と足並みを揃えて日夜会議に勤しみました。ムスコール大公国の大使館経由で送られてきました電話機なるものも手伝って、陛下も大公国の閣僚に教えを請いながら、手探りの大規模な法改正に挑まれました。


 とりわけ関心の深かった出来事と言えば、陛下がムスコール大公国の宰相閣下、つまりはアーニャ首相ですが、彼女に相談をされた際のことです。


 ジェロニモ様やアインファクス様の言伝で、会話は家臣らによる傍受が可能なように法陣術を作用させておりますので、その一部始終を欠けることなくご紹介することが出来ます。

 先ずは、陛下から閣僚会議での基本法の進捗を説明されます。その日のお題は『自衛平和』に関するもので御座いました。


「……以上の通り、我が国では軍隊を解体することはせずに保持し、その決定について『有事法』という法律を設け、侵略行為へ対する防衛についてのみ、有事法に基づく議会か国民投票によって、対抗をすることと致しました」


 陛下のご説明の後、アーニャ閣下は暫く思案され、やがて諭すような言葉遣いで応じられました。


「そうした形にするのであれば、国民投票は避けるべきです。我が国では有事の際に、それが必要とされておりますが、国民投票によるのでは時間が掛かりすぎます。悪意ある侵略者に対抗するならば、とかく迅速に行動が起こせるようにするべきです」


「確かに、この度の災害を通して、私も多くを学びました。貴重なご意見を有難うございます」


 アーニャ閣下は随分と慎重に考えるお方のようです。陛下の言葉が結ばれてから暫く、長い沈黙を守られておりました。私は陛下の御傍に控えておりましたので、通話の内容を詳細に知るのはアインファクス様でしたが、それでも、長い沈黙は、陛下が受話器を慣れない手つきで掴むお姿を眺めるだけでもわかるほどです。時折受話器を持ち替え、まさか難聴にでもなったのか、というご不安なご様子で回答を待っておられましたので。


「また、有事法に関しては、『侵略』の定義を絶対に曖昧にしてはなりません。曖昧にすればするほど、貴国の自由度は増しますが、その分、大義を用いての侵略行為が、解釈によっては可能となります。あくまで戦力は抑止力として持つというお考えであれば、尚更慎重に定義づけをする必要があります」


「仰る通りです。人間は間違いを犯す生き物、悲惨な歴史を繰り返すようなことはしたくありません」


 陛下のご返答に対する、長い長い沈黙。陛下は幾度か受話器を持ち替え、時折「もし」と、通話口に吹き込まれます。アーニャ閣下にも迷いがあったのでしょう。陛下が再度お声を掛けようとした矢先に、このように返されたのでした。


「もし、陛下が望むのであれば、ムスコール大公国と軍事同盟を結び、帝国の戦力一切を放棄するという手段もありますよ」


 それは、ハングリア独立のためにと陛下が慮った際のご提案でもありました。陛下の喉仏が動きます。

アーニャ閣下は更に続けられました。


「我が国は平和と友好について強い関心を抱いております。民も戦争を忌み嫌い、正しい道、対話による問題の解決を愛しています。ですから、陛下と同じお気持ちであるはずです。『一切の戦力を保持しない』としても、我々が友好である限り、貴国には不滅の平和を約束いたします」


 願ってもないご提案に思えます。陛下は暫く言葉も返さず、ただ一点を見つめております。

私にはそのお姿が気懸りとなって、陛下の顔を覗き込みました。しかし、陛下は目を赤くして、口をへの字に折っておられました。物憂げな瞳で疫病記念柱に視線を向けながら、陛下は静かな声音で答えられます。


「折角のご提案ですが、その御提案はお断りしなければなりません。申し訳ございません。戦力を私共が持つというのは、確かに様々な危険をはらんでいるように思います。しかし、我が国が我が国として、独立の国家として、貴国や、プロアニア王国、アーカテニア王国と対等の立場で手を取り合うためには、たった一つの国家にその命運を預けるわけにはいきません。私は確かに平和を望んでおります。そして、経済復興を急ぎたい。ですが、その為に臣民が抱く誇りを、文化と人としての尊厳を、砕くことは出来ません」


 そこで私は、陛下が何を提案されたのかを知りました。そして、陛下の願いを知ったのです。


疫病記念柱の前で待ち合わせをする男性に、女性が後ろから抱きつき笑い合っております。記念柱の女神の像には、一羽の鳩が留まり、その上を犬鷲(ベルクート)が滑空しております。ごみ袋を運ぶ飲食店の従業員が大通りの裏手に向かい、腰を労わって店舗へと戻っていきます。

 舞台座へ向かう馬車の列と、その後に続くように心を躍らせてスキップをするご婦人、そして慣れない足さばきでご婦人の動きに合わせる紳士、或いは、人知れず道の外れで愛を確かめ合う二人の女性たち……。

動き出した穏やかな時間を噛み締める人々が、記念柱を待ち合わせ場所に選び、人に合わせ、自分の望む在り方を決然とした態度で振舞う。文化都市ノースタットにあって、人間の人間たるあり方とは何か。陛下が物憂げな瞳で見つめる先には、その答えがあるように思われました。


「それに、戦争を忌み嫌うか否か。それさえも、本当は正しい、間違いという言葉で表現したくはないのです。私とヴィルヘルム君との心の持ちようが違うこと、大切にしたい物事の違うことも、私は尊重したいのです。どうかご理解頂けないでしょうか」


 暫くの沈黙。アーニャ閣下の、深い思慮。プロアニア経由で得られた精密な機械時計が長針を動かし、沈黙の場を繋ぎます。押し黙るワライフクロウと、優し気に目を輝かせるオオウミガラスとが陛下の御背中を見つめておりました。

 やがて長針が二つ動くと、アーニャ閣下も静かに口を開きます。


「陛下がお望みであれば、それが宜しいと思います。勝手なご提案、失礼いたしました。汗顔の至りです」


「いいえ、私のことを考えて下さって、本当にありがとうございます」


 陛下は微笑みを浮かべると、世間話を少ししてから、受話器を置かれました。

 陛下は暫く窓の向こうを見つめながら、膝に手を置いておられます。


「陛下……?」


 私が陛下の顔色を窺うと、陛下は赤くなった目で、声を殺して呟かれました


「きっと、大丈夫だ。私は臣民を信じている」


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