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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1907年
262/361

‐‐1907年春の第一月第二週、エストーラ、ノースタット2‐‐

 一時の気の迷いと言うのは年をとっても抜けない悪癖と言いましょうか、とにかく居心地の悪い雰囲気を作ることは往々にしてあると思うのです。


 やっちまったぁ……!


 と言うのが、正直な内心で御座いました。

 陛下の熱心な願いを叶えるためとはいえ、長く責任ある立場にあった御仁を、斯様にぞんざいに扱うというのは、それこそ命の危険を顧みぬ蛮行と言いますか、そういった類のもので御座いましょう。

 一つ言えるのは、今晩、私は暗殺に怯えて夜を過ごさねばならぬということです。嗚呼、くわばら、くわばら。


 扉の前で暫く議場の言葉数が少ないのを気にして佇み、会議終了の控え目な鐘が鳴りましても、どうにも動きが見られません。つい心配になりドアノブに手を掛けまして、扉を打ち開くのですが、思うよりも大きな音が立ち、ノア様と目が合ってしまいましたので、急ぎ扉を閉ざしてそそくさ立ち去ったのでした。


 自室に戻り、枕を被って打ち震えていると、バタバタと人の行き交う音が響きました。遂に我が身もこれまでか。不死鳥ホーストブリュックの返り咲きも叶わぬまま、惨めに枕を濡らして血染めのベッドを作るのかと、情けなくも鼻水を啜り、オリエタスに死後の救いを祈るのでございます。


 思えばうまくやって参ったつもりでしたが、閣僚としての席を受けても、アインファクス様とフッサレル様のように仲睦まじくもなく、またダン・ジェロニモ様やベリザリオ様のように克己に燃える時期もなく、ただ流れに乗って無言でここまで来てしまいました。陛下に媚びの一つでも売っておればよかったものをと我が立ち振る舞いを呪いつつ、ベッドで打ち震えるのですが、一向に人の来る気配もありません。

 ひと先ずは危機も去ったかと顔を上げますと、よりにもよってそこにはファストゥール家の所の当主が私を睨んでいました。


「やるなら一思いにやりなさい!終生の句は貴方に預ける!」


「いや、別に要らないのですが……」


 その男、眉間のほりが大層深く、剛の者たる啄木鳥紋の盾を持ち、いよいよ不死鳥の首を断たんと刃を構え……。


「は?」


「いや、別にあなたとは何の関わりもないので、終生の句はいらないのですが」


 目を瞬かせる私に向けて、彼は訝し気に眉を顰めます。そして、不死鳥の紋章を描いた旗を、丁寧に折り畳んで私に差し出しました。


「忘れ物ですよ」


「あ、どうも……」


 私は無防備なままそれを受け取りました。あとで慌てて銀食器に旗を擦り付けたのですが、何ら反応もなく、また彼もとっくに退室して、隣室からジェロニモ親子の口論が聞こえてまいりました。



 ‐‐1858年秋の第三月第一週、エストーラ、ホーストブリュック城‐‐


 ホーストブリュック家と言えば、皇帝選挙権も有するエストーラ有数の大貴族です。紋章は代々、鶏の頭に亀の甲を背負い、射干玉の黒い魚の尾を持つ不死鳥で、朱色(ギュールズ)金色(オーア)緑色(ヴァート)黒色(セーヴル)銀色(アージェント)の五色を用いたものであります。


 代々エストーラ一門の配下として仕えておりましたが、青い血の濃いこと明らかなやんごとない身分でしたから、しばしばその帝位を脅かす存在でもありました。


 私も幼いながら世継ぎとして陛下のご即位式に招かれ、その戴冠を観覧しつつ、続く忠誠の儀も子供ながらに執り行ったのでした。

 儀式の折、陛下は緊張した御様子で、若く張りのある頬を赤らめておられましたので、私も立ち振る舞うに当たってはぎこちなく、跪き、剣を受け、手の甲に接吻をしたのでした。


 我が故郷である、壮麗なホーストブリュック城の一室で、正装に身を包んだ私は、儀式で受け取った剣を陛下に返すために客室を訪れました。


 長くすらりとした脚に肘をかけて、陛下は物憂げに夕陽を眺めておられました。

 私の顔を見るなり、陛下は嬉しそうに表情を綻ばせて、視線を私に合わせるべく屈みこまれました。


「あぁ、君かぁ。ホーストブリュック城からの眺めは大層綺麗だね」


「もったいないお言葉にございます。皇帝陛下、お剣、を、お返しいたします」


「わざわざ有難う」


 陛下はまだ若い、静脈の少し浮きあがった手で、私の頭をくしゃくしゃと撫でられました。まだ皇帝の装束をご着用なされておりましたので、金襴のローブの内からは白いキュロットとタイツが覗いておりました。ちょうど私の目線がそれくらいの高さでしたので、私は背伸びをして、陛下のなされるように陛下のお膝を撫で返したのです。


「うーん、ははは……」


 陛下は苦笑なされ、私もそれを復唱いたしました。見事な赤絨毯に片膝をつく陛下は、何か思いつくと私をひょい、と抱き上げられました。


 私の身長では窓を覗き込むのがやっとでしたから、窓から見える故郷の全景を見たのは、確かこの時が初であったと思います。


 茜色が沈みゆく山際に、影うちかかり、烏の影が山の黒に向かって飛び立ってゆきます。宮中庭園に引かれている細い川が、青い屋根の建築物に挟まれて流れていきます。そこに射した茜色の日差しがきらきらと波打つのがそれは見事で、宛ら陛下の皇帝装束のようでした。

 空には夕陽を追うように月が登っており、薄く白い光を弱々しく放っております。

 また、城内の庭園も色づき、私の知る緑の芝生は赤みがかって眼下に広がっております。窓には私と、私を抱きかかえる陛下の御姿が反射して映り、その景観は、母の肖像画にある遠景とよく似ておりました。


「どうかな。自然と、人が作った建物がどちらもきらきらと輝いているよ」


 窓を鏡として自分の姿を見たところ、涙を溜めた時と同じく、私の穢れを知らない丸い瞳には二つ、光が反射しておりました。


「まそかがみ、照るはあが目の、夕月や」


 何気なく私が呟くのに、はっとした陛下が顔を覗き込まれます。陛下の目にも夕月の浮かぶのを見た私が、短い指で目一杯陛下の頬に触れますと、陛下は愛おしそうに目を細めて仰るのです。


「凄いねぇ。将来は立派な詩人になるね」


 返礼の句が無いと悟ると、幼い私は陛下の頬を二、三度両の手で叩きます。若く端正な風貌の陛下は困り顔で笑い、私を床に下ろされて頭を撫でられたのです。


 殿上人となって、そのお背中を御見かけするたびに、物憂げな表情を隠しきれなくなり、憔悴していかれる陛下の御姿に心を痛めたものです。

 繁栄と凋落はさながら鏡の如し。世は無常とは申しますが、動乱期に傾く斜陽の帝国を見事に立て直された陛下の御姿を目の当たりに致しますと、まこと、世の無常とは人智の知り得るところには御座いませんな。


 悼の頃 君に賜る 御剣を 偲ぶ私も はや杖家なり


 宮中祭祀をこなすのも覚束なかった陛下が、今は帝国の象徴として立ち振る舞う、まことに結構なことでは御座いませんか。

 ホーストブリュック家をやんごとなき出自とは申しましたが、はてさて。陛下に師事することはや24年となりました私は、陛下の御姿を見て国章を振る人に、真の無常を感じずにはおられません。何せ、ホーストブリュック家の栄光よりほんの短い間に、陛下は臣民の心に仁の花を芽生えさせたのですから。


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