‐‐1907年春の第一月第二週、ムスコール大公国、タイガ地方‐‐
苔むした岩肌がようやく顔を覗かせ、白い雪の面積が徐々に少なくなっている。西方世界に遅れて春の兆しを受け取ったムスコール大公国は、かつて酸鼻極める凶行が行われた施設の解体作業を始めた。
内部にあった機器や外部に被害を齎しかねない機材の解体と撤収を終え、その侘しい建造物が視認できなくなる雪原の仮設施設に集められていく。
ベルナールはかつて平和兵器を開発した時と同じようにコーヒーを沸かして施設内を映すモニターを点け、開けた窓を眺めていた。
窓の外には与党とのすり合わせをした当初から、大論争を続ける国会を尻目に研究と開発、改良を続けていたプロアニア王国の新兵器に似た兵器が「吊るされている」。三角形を交互に重ね合わせたようなトラス構造の支柱によって支えられたそれは、真っすぐに天を向きながら聳えている。白く塗装された機体は所々異なる色で再塗装されており、その形は角を取り除いた四角のようで、細かな文字が記されていた。
ベルナールは以前の実験とは異なり言葉少なのまま装置の設置を観察し、燃料が完全に充填される様子を確かめた。
「赤子のようだ」
ベルナールはぽつりと呟く。プロアニア製の細い躯体のロケットと比較して、取り付けられたロケットエンジンの影響で末広がりの形に見える不格好な機体である。それが支柱に支えられる姿は、正しく自立歩行できない赤子である。
燃料の充填が終わり、作業員たちが手を挙げて合図をする。作業員たちが一斉に兵器から距離を取り、仮設施設の中へと避難していく。全員の退避が完了すると、ベルナールの電話機が激しいベルの音を響かせた。
コーヒーカップを下ろし、その手で受話器を持ち上げる。
「全員、退避が完了しました」
彼は利き手で通話機を持ち上げ、それに向かって低い声を返す。
「了解しました。準備が出来次第、発射して下さい」
彼はペンを取り、バインダーに留めたままのメモ用紙にペン先を置く。暫くして、外部から拡声器によるカウントの声が響き始めた。
ゼロのカウントと同時に、地面に向けられた噴射口から熱と煙が噴き出す。噴出された高音の業炎は、地上の雪を溶かしながら巻き上げていく。数秒の滞留時間の後、機体が僅かに浮き上がると、支えていた支柱が地面へ向かって倒れていく。同時に機体が空へと飛びあがり、長い支柱が地上の雪を砕いて埋まっていく。
暫く地面に対して垂直に飛んだロケットだが、やがて再び起こった3カウントの後で徐々に傾いていく。そのままロケットは天を突きながら徐々に傾き、やがて完全に地面と垂直になると、そのまま急激に地表へ向けて加速しながら下降を開始した。その傾斜の先には件の施設の跡地があり、ベルナールは施設に置かれたカメラの映像を確認する。
暫くして巨大な揺れが映像越しに観察され、それからほんの一瞬のうちに、カメラの映す景色が漂白される。強化硝子に守られた建物の外から、風に乗って爆音の残響と地鳴りが届く。ベルナールはそれを確かめると、メモ書きを残してから、別の映像を確認する。映像の中にはいまだ健在の棟の中が映されている。
「現状トラブルらしいものはない。もう一発は?」
彼が呟くと、もう一発のロケットが弧を描いて彼らの頭上を通り過ぎていった。
ベルナールは再び椅子に掛け直し、沈黙を守る映像を見守る。加速するロケットが接近すると、その映像も先程と同様にぶれ始め、やがて炸裂と共に視界を失った。
再びメモを残したベルナールは、電話機のベルが鳴ると同時に受話器を取る。手に取った受話器からは、歓声も漏れていた。
「目的地点の破壊に成功しました。実験は成功だと思われます」
ベルナールは通話口を持ち上げながら、ぽつりと呟く。
「成功してしまったか……」
僅かな間を置いて、通話口に近づけられた口が、「こちらも確認した。有難うございます」と答える。満足げな別れのあいさつの後に受話器と通話機を戻すと、ベルナールは窓の外へ視線を向けた。
白く瞬く太陽の下で、雪がキラキラと輝いている。花開くように雪原に横たわって埋まるトラス構造の支柱は、我が子を失くして絶望に暮れていた。
「何かが迫ってくるのを先んじて見るのは、耐え難いものだな」
春の日差しは雪のクッションを溶かしていく。岩肌にこびりついた苔が露を受け止め、吸い上げながら膨らんでいた。