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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1906年
252/361

‐‐1906年秋の第二月第二週、プロアニア王国、ケヒルシュタイン2‐‐

 コンスタンツェに関わると毎度面倒ごとに巻き込まれる、というのが、フリッツ・フランシウムの私見であった。そして実際に、この人物に関する周囲の評価は芳しくない。

 曰く、手遊びが多く、動きや言動に合理性に欠けるところがある。曰く、実用性のない兵器の開発にも積極的であり、研究者として社会に貢献する気概がない。

 彼は彼の兼ねてからの希望である、何の意味も見いだせない「宇宙飛行」という野望を叶えるべく権力者の望みを叶えた。それが長時間続くようならば、この場所からすぐに立ち去ってしまうだろう。この、規律だけをこしだしたようなプロアニア王国に在って、その生きざまは何と身勝手であろうか。

 それらの評価は、フリッツの視点から見ても決して的外れなものではなかった。むしろ、言葉通りと言ってよいほど、的を射た指摘である。

 とりわけ気掛かりなのは、彼の立ち回りが社会正義に合わせて品行方正に過ごしたフリッツの生活を脅かしはしないかと言ったことだ。

 フリッツは根っからの科学者である。彼はケヒルシュタイン大学名誉教授・ケヒルシュタイン化学アカデミー主任研究員、プロアニア王国国立科学コロキウム会員という格式高い、名誉ある称号を複数持つ。それ故彼は権威を味方につけており、厭世家であると同時に非常に保守的かつ保身的であった。二人の科学者は、根本的な部分で生き方が異なっているのである。


 製造ラインの外にある廊下は暗く狭い。燃料の節約はプロアニア人にとって当然の義務である。


「……いいかね。ロケットの開発というのはその主たる目的に軍事利用がある。君の夢はその延長線で叶えればよいことで、基本的には業務上必要な研究のために予算を利用して貰いたい。科学省の予算から出るのだから、そこは分かって頂けるね?」


 フリッツは腰の後ろで手を組み、威圧的に振り向く。責任を追及する際の険しく事務的な視線で射殺そうと試みた。コンスタンツェはポリポリと頬を掻き、不思議そうに首を傾げた。


「その科学省の予算獲得に大きく貢献したのは俺ですよ。それに、約束を反故にされても困ります」


 フリッツは片眉を持ち上げて眉を顰める。激しい怒りと共に、焦燥の感情が沸き上がる。

 長い睨みあいのうちに、彼の中から憎しみとは異なった感情がより鮮明になっていく。彼の脳裏をムスコールブルクの学生達が過ると、彼は眉間を押さえ、返答を試みた。


「確かに君の夢をかなえるのは我が国の使命の一つだ。それが私達の約束事でもあるから。だが君は我が国の研究員、つまり我が国の構成員だ。我が国の繁栄のために力を尽くしてくれるね?」


「勿論!既に貢献しているつもりでいますが」


 フリッツは重い溜息を零し、「その通りだね……」とだけ返す。胃液がじりじりと喉へ上がってくる。嫌な酸味と共に、無邪気な瞳が付き纏ってくる。僅かな罪悪感が込み上げてくるにつれ、顰めた眉間の皺が解け、持ち上げていた眉が垂れ下がっていく。


 コンスタンツェは不思議そうに首を傾げた。暗い廊下を通り過ぎる作業員の表情は見えない。彼らは二人の姿に一度振り返り、そして自分の仕事へと戻ってしまう。フリッツは思いつめた表情で、爪先を見おろす。よく手入れされた革靴は、入念に磨かれて滑らかな艶があった。


 長い沈黙を破ったのは、コンスタンツェであった。


「……もう、大丈夫ですか」


 コンスタンツェはしきりに来た道を振り返っている。フリッツは長い吐息を零した。


「そうだね……」


 フリッツの背後から、一目散に来た道を戻っていく。彼の背中を見送ると、彼はそのまま前進を始め、暗い廊下の突き当りにある給水室へ向かった。

 彼はコーヒーフィルターを広げ、ひとさじの豆を入れ、給水室の保温用ポットに手をかける。静かに湯を注ぎながら、細かな泡が湧きたつのを見つめる。

 淹れたコーヒーがフィルターに浸み込み、ゆっくりとカップへと滴り落ちていく。フリッツは口の中の酸味を飲み込むと、フィルターを外し、湯気立つコーヒーを仰いだ。


 喉を通っていく苦みと酸味が、腹を満たしていく。じんわりと熱を伝わり来ると、ムスコールブルク大学に通う学生達の姿が脳裏を過った。

 凍てつく冷気と吹雪く雪の中で、赤ら顔の学生達が大学を出入りする。動きは無駄だらけで、統率はなく、軍隊であれば教官に殴られても仕方のない連中である。

 そして、彼らの柔らかい表情の数々は魅力的であり、皺の寄った老人の腫れぼったい瞼を刺激する。


「実用性……合理性……魅力的な言葉だ……」


 彼は一つ息を吐き、カップの底を手で支えつつ、踵を返した。足音意外に物音のしない仄暗い道で、すれ違う相手の顔も覚えられないまま、項垂れるに任せて会釈をする。小さくくぐもった挨拶が交わされ、訛りのように重たい足先を持ち上げ、慎重に自分の研究室へと戻っていく。

 廊下の向かう先は仄暗く、底の知れない闇の中へと続いていた。


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